第31話 間に合わない数
ギルドの作業部屋は、朝からしんと静まり返っていた。
壁ぎわと床には、空の木箱が積まれている。
机の上も、まだ何もない。
ここを、《泥石》と《水石》で埋める。
「じゃあ、始めます」
気合いを入れると、リナが柔らかくうなずく。
「うん。まずは慣らしからだよ」
「はい」
◇
胸の奥で、《アース》用と《ストーン》用の
細い魔力線を一本ずつ起こす。
それを一本にしたのが泥用の統合線だ。
それを太い魔力線につなぎ、ゆっくりと
石の中に流し込んでいくイメージを持つ。
机の上に生成された石の表面が、ぷくっとふくらんだ。
《泥石》一個目。
「おお……」
リナが身を乗り出す。
「まだ、本気の泥じゃないけど、ちゃんと柔らかくなってるね」
「はい。こんな感じです」
《泥石》は時間差なしで、作った瞬間からじわじわ仕事を始める。
「保管場所は外の棚でしたよね」
「うん。裏庭の板敷きのところ。ここに積んだら、部屋が先に沈むよ」
リナが木箱を引き寄せる。
「十個くらいまではここで作って、そこから先はでき次第どんどん運ぶ感じでいこう」
「分かりました」
同じ要領で、統合線を組んで流す。
二個目。三個目。四個目。
ぷよっとした石が、机の上に並んでいく。
十個できたところで、リナが木箱ごと持ち上げた。
「じゃ、裏の棚に置いてくる」
「いってらっしゃいませ」
泥用の統合線は、もう完全に手になじんでいた。
土ソリで散々やった動きだし、
光り石や悪臭石でも似たようなことはしている。
リュシュアさんにも言われた。
「いきなり無茶をするな。
まずは安定させろ」
うん。ここまでは順調。
じゃあ、次は重ね掛け泥石だ。
◇
泥用統合線二本を組む。
それを束ねて太い魔力線で、
一気に石に流し込むイメージだ。
どろっ、と濃くなる感覚。
明らかに中身が重い。
《重ね掛け泥石》一個目。
さっきより、表面がもこっとふくらんだ。
「うわ、いやな足場って感じする……」
戻ってきたリナが、顔をしかめる。
「これはきっと転ぶわ」
「重ね掛けも成功、ってことですね」
「うん。これなら、オークの足もちゃんと取れると思う」
リナがまた木箱を引き寄せる。
「じゃあ、ここからは量産ね」
「はい」
◇
日が少し傾きはじめたころ、リナと一緒に数を確認した。
「……二九十八、二九十九、三百」
「重ね掛けなし泥石、三百個ちょうど」
リナが、軽く肩を回す。
「……よくやったよ、アレンくん」
「うーん、でも思ったより伸びないですね」
朝から動きっぱなしで三百個。
けっこうな量ではあるが。
「とりあえず、一回バルドさんたちに見せに行こうか」
「はい」
俺とリナは、石の入った木箱を一つずつ抱えて、
奥の部屋に向かった。---
◇
簡易会議室の机には、
森と砦、その間の平地を描いた地図が広げられていた。
《風切りの牙》とバルドさんが集まっている。
「どうだ」
バルドさんが顔を上げる。
リナが報告した。
「重ね掛け泥石が三百個。水石と眠り石は、ほぼ手つかずです」
「そうか」
バルドさんが短くうなずき、ガイルに視線を向ける。
ガイルが地図の平地を指でなぞる。
「森の出口から砦まで、だいたいこのくらいの幅で、
一直線に来るだろうと見ている」
「全部を泥にするなら、
一メートルおきに石を並べても足りん」
「だから、真ん中を厚く、両端はそこそこにする」
セラが、さらさらとメモを走らせながら続けた。
「計算すると、
最低でも《重ね掛け泥石》が千個前後は欲しいわ」
「《水石》は、その三分の一くらい。
三百個前後が目安ね」
ディランが、わざとらしく頭を抱えた。
「千個って、数字で聞くとほんとエグいな……」
バルドさんが、俺を見る。
「今ある泥は三百。必要なのは千。
水が三百、眠りはあればあるだけだ」
「現状、まったく足りていない」
「……はい」
声が少し、上ずった。
今の三百個を作るまでで、もう十分頑張ったつもりだった。
だが、泥だけでも千個という数字の前では、3百はほとんどゼロに毛が生えた程度だ。
「本番までの時間も、そう長くはない」
バルドさんが腕を組む。
「だが、だからといって無理をさせても意味がない。
今日は今日はここまでだ。屋敷に戻って休め」
そう言われて、俺は思わず口を開きかけ
――飲み込んだ。
頭では分かっている。
けれど、胸の奥には、別の声が張りついていた。
足りない。全然足りない。
このままで本当に間に合うのか。
会議が終わり、各自が散っていく。
その流れから、ほんの少しだけ外れた。
◇
「アレンくん?」
ギルドの廊下で、リナが俺の顔を覗き込む。
「今日はもう帰ろう。明日また――」
「……もう少しだけ、作ってきます。
重ね掛けの感覚を、今のうちに掴んでおきたいので」
自分でも、言い訳だと分かる言葉だった。
リナはしばらくじっと俺を見てから、小さくため息をついた。
「ほんの少しだけ、だよ? ちゃんと切り上げるって約束できる?」
「はい。ちょっとだけしたら、すぐに帰ります」
その約束をした時点で、どこかで破るつもりだったことも、分かっていた。
◇
作業部屋に戻る。
外はもう赤く、室内は薄暗かった。
胸の奥で、泥用細線を二本、同時に起こす。
それを束ねて、石へ一気に流す。
《重ね掛け泥石》一個目。
続けて、二個目、三個目。
魔力が、胸の真ん中に重く沈んでいく。
頭の奥は、じわじわと熱くなるような、鈍い痛み。
けれど、手は止めない。
千個必要。
でも、今は三百。
せめて、五百までは――
どのくらい時間が経ったのか、はっきりとは分からない。
ただ、机の上の木箱が次々と埋まっていき、
裏庭の棚にも、重ね掛け泥石の入った箱が増えていく。
三百五十。四百。
頭の中で、ぼんやりと数字だけを数え続ける。
五百まで、あと少し。
あともう少しだけ。
身体の感覚がぼやけてきて、
胸の奥の魔力線が、時々うまくつながらなくなる。
それでも、無理やり繋ぐ。
次の瞬間、視界がふっと揺れた。
「アレンくん!」
遠くで、リナの声が聞こえた気がした。
そのあと、世界が暗くなった。
◇
目を覚ますと、見慣れた屋敷の天井があった。
ゆっくりと身を起こすと、胸の奥と頭の芯がどっしりと重い。
扉が、ゆっくりと開いた。
「起きたか」
父さんガルドが立っていた。
背後にはルーク兄さんもいる。
「……俺、倒れました?」
「ギルドの娘さんたちが、半分泣きそうな顔で運んできたぞ」
兄さんが、肩をすくめる。
「ちょっとだけって言って、急ピッチで作業していたらしいな」
言葉に詰まる。
「足りない数を、気合いで埋めようとしたのか?」
父さんの声は淡々としていた。
「気持ちは分かる。だが、結果がこれだ」
言い返せなかった。
「今は休め。夕食の時間になったら、下りてこい」
それだけ告げて、二人は部屋を出ていった。
シーツに背中を預けると、再び意識が沈んでいった。
◇
夕食時、ミーナに起こされて食堂へ向かう。
大きなテーブルの上には、スープとパンと肉料理。
家族が席に着いていた。
母さんエリシアが、すぐに立ち上がりそうな勢いで身を乗り出す。
「本当に大丈夫なの? どこか痛くない?」
「胸と頭が少し重いだけです。動くぶんには問題ないです」
父さんが、短く尋ねる。
「それで、どれくらい作った」
「……泥石は、合計で五百くらいになっているはずです。
あとは、ほとんど手つかずです」
思ったよりもできてなくて、自分が情けない。
「必要なのは、泥が千。水が三百。眠り石もできる限り、だな」
父さんが確認するように言い、ルーク兄さんが頷く。
「森の奥から新しい報告はどうなりましたか?」
「ゴブリンの小規模な集まりが、いくつか同時に確認されたそうだ」
母さんが顔をしかめる。
「ただの群れ、ではないの?」
「向きが問題だ。」
父さんの声が低くなる。
「ばらばらにうろついているんじゃない。どれも、似た方向へ動いている痕跡がある」
父さんが続ける。
「いわゆる流れだ。スタンピードの前に現れることが多い」
兄さんが、改めて俺を見る。
「領主としての見解は?」
父さんは、一拍置いてから、はっきりと言った。
「もう一刻の猶予もない。スタンピードは確実に起こると見て動く」
「森の奥の魔物の数は、時間が経つほど膨れる。待って得をする局面ではない」
スープをすする音が、静かに響く。
「だからこそ、罠石がいります」
兄さんが続ける。
「砦に押し寄せる前に、可能なかぎり削っておく必要がある」
母さんが、心配そうに口を挟む。
「でも、そのせいでアレンがまた倒れたら、意味がないでしょう?」
「そうだな」
父さんが、静かにうなずく。
「魔力には限りがある。無理を重ねれば、今日のように倒れるだけだ」
視線が、こちらに向く。
「アレン。お前はどう考える」
パンをちぎりながら、ゆっくりと言葉を探す。
「無理をしても、どこかで倒れるだけです。
今日ので、それはよく分かりました」
兄さんがいう。
「結果的に、作業は止まったら、計画全体のスピードも落ちる」
「はい。……だから、もっと効率のいい作り方を考えないといけないと思ってます」
父さんが、わずかに眉を上げた。
「方法に当てはあるのか」
「正直、まだ考え中です。
でも、多分、やる順序か、まとめ方を変えれば、同じ負荷で数を増やせる気はします」
兄さんが、少しだけ口元をゆるめる。
「倒れるまで作れば数が増える、という考え方からは抜け出せているようだな」
母さんが、そっと俺の皿にパンを一つ足す。
「なら、まずはちゃんと食べて、ちゃんと寝てから考えなさい」
「頭を使うにも、魔力を回復するにも、栄養は要るのよ?」
「……はい」
スープを飲む。
パンを咀嚼する。
温かさが、おそるおそる身体の中にしみこんでいく
◇
自室に戻り、ベッドに仰向けになる。
天井を見つめながら、今日一日の作業を頭の中で巻き戻す。
泥用の細線を一本作る。
それをもう一本作る。
束ねて、一個ぶんの《泥石》に流す。
また、一本目から。
五百個に届くまで、ひたすらそれを延々と繰り返していた。
まさしくど根性だ。
でも、必要なのは効率、か――
そもそも1個ずつ作成する決まりはないよな。
最初から複数同時に作れないかな。
今までだって、泥ソリのレーンをつくるのに
《アース》と《ウオーター》をほぼ同時に使っていた。
泥用の細線は、毎回まったく同じ形。
2本どころか10本ぐらいまとめて作れそうだよな。
いや、もっとできそうなイメージもある。
胸の奥で、泥用細線を一本立ち上げる。
そのイメージを、横へとコピーする。
同じものが、二本、三本と、並んで立ち上がっていく。
おお、やった。できる。
最初から、こうして作ればいいんじゃないか。
細線を同時に十本、先に作ってしまう。
それを二本ずつ束ねて、順番に《ストーン》に流す。
この形だ。
これなら、大幅に時間を短縮できる。
やることは同じだけど、同時進行にする。
胸の奥が、少しだけ重くなる。
けれど、さっきみたいにぷつんと切れそうな気配はない。
「……いけるかもしれない」
声にならない声が、喉の奥で漏れた。
無理をして数をひねり出すんじゃない。
作り方そのものを、もっと工場みたいな流れ作業に変える。
ラインをたくさん増やせれば、もっとイケる。
明日は、まず細線を同時に作るを20本で試そう。
そうすれば、千個にも届くかもしれない
スタンピードはもう起こる。
それでも、まだ手を打つ余地はある。
そう自分に言い聞かせながら、目を閉じた。




