第29話 森の異変
森での狩りは、少しずつ「いつものこと」になりつつあった。
《偽装落とし穴》を仕込んで、
手前で《スリープ》を一発。
落ちたあとに、もう一度で這い上がりを止める。
トドメはリュシュアの矢。
昨日覚えた《石弾3倍ショット》は、
約束どおり「封印技」として頭の奥にしまってある。
普段は罠と《スリープ》だけ。
本当にヤバいとき用の一発は、
そう何度も練習で撃つもんじゃない。
◇
その日も、いつものように森の中を進んでいた。
木々の間を抜ける風。
土の匂い。
小さな鳥の鳴き声。
——そこまでは、いつもの森だった。
でも。
空気の感じが、いつもと少しだけ違う。
湿気とか温度とか、そういう話じゃない。
「リュシュアさん」
「なんだ」
「今日、なんか……
うまく言えないんですけど、
息が詰まりやすい感じがしませんか?」
リュシュアは、ぴたりと足を止めた。
しばらく、その場で目を閉じる。
数拍の沈黙のあと、
低い声が落ちてきた。
「……少し、濃くなっているな」
「何がですか?」
「マナの密度だ」
リュシュアは、ゆっくりとあたりを見回した。
「昨日までとは、流れが違う」
「普通は、森の中のマナは、
木や土や水にゆっくりと吸われては戻っていく」
「それが、今日は——?」
空気を指でつまむような仕草をして、
小さく絞り出す。
「引っ張られている。
どこか一方向へ、少しずつな」
◇
それからしばらく、
いつもの獣道や窪地、水場を
普段より慎重に歩いた。
でも——。
ホワイトウルフの群れ。
ゴブリン。
名前も知らない小型の獣。
いつも狩っているような相手だ。
ただ、そこにいていい数がじゃない。
「……やっぱり、変ですね」
小声で呟くと、
リュシュアは短く頷いた。
「そろいすぎている」
「普段なら、弱いの、強いの、臆病なの、狂暴なのが、
もうちょっとバラけてますよね?」
「そうだ。だが、今は、
同じものが、自分の縄張りから集まりだしている」
「外側に押し出されている?」
リュシュアの声が、
いつもよりわずかに硬くなる。
「何かに追い立てられているか。
あるいは——森の奥に、
近づきたくないものがいるのか……」
◇
そのときだった。
遠くで、低い振動のようなものを感じた。
音、というより、
地面の下からじわっと伝わってくる「圧」。
「……っ」
思わず足が止まる。
「今の、なんですか」
「分からん」
リュシュアは、素直に言った。
「ただ、この森にはない重さだ。
質量か、魔力か、あるいはその両方だ」
言葉自体は淡々としているのに、
内容は、ぞっとするものだった。
◇
しばらく進んだところで、
少し開けた場所に出た。
地面には、いくつか新しい足跡がある。
オーク。ホワイトウルフ。ゴブリン。
それ以外に、「見慣れない踏み荒らし方」。
「……でかいですね、これ」
普通の獣とは明らかに違う、
ぐしゃっと潰れたような跡。
リュシュアも、眉をわずかにひそめただけだった。
「大物が通った感じではない、な。
何かに押されたか」
「いろいろなものが、無理やり通ったようにも見えますね」
「どちらにせよ——」
リュシュアはそこで一度言葉を切り、
そして、俺のほうをまっすぐ見た。
「……これ以上ここにいるのは、あまり良くない」
はっきり言われる。
「一度、引くぞ」
◇
やっと、自分でも戦うときの形が、
なんとなく見えてきたところなのにな。
前線で剣を振るうんじゃなくて、
その一歩前くらいまで、一緒に行って大丈夫な支援役。
ようやく手応えを感じていたところ。
でも——。
こういう、嫌な前兆を無視して突っ込むと、
だいたいロクなことにならない。
「分かりました。戻りましょう」
素直にそう言った。
名残惜しさも、もどかしさもある。
でも、それ以上に、
「嫌な予感をねじ伏せてまで進む理由」は、
今の俺にはない。
リュシュアはうなずいた。
「依頼は一旦中止だ。
森の様子が落ち着くまでは、お前を連れてこない」
「リュシュアさんは?」
「私は、単独で行動する」
「何が起きてるか、奥を見てくるんですか?」
「森が揺れている。崩れるかもしれない……
だが、そうなる前に、どこかで手を打つ」
言葉の意味は、分からない。
ただ、かなりまずい状況が近づいている。
それだけは、はっきり伝わってきた。
◇
森を出る帰り道。
背中に、まだ重たい違和感が張りついている。
森の奥で、何かが生まれつつあるのか。
それとも、すでにそこにあるのか。
答えの出ないまま歩いているうちに、
森の入口が見えてきた。
リュシュアは、そこで一度だけ足を止め、振り返る。
「アレン」
「ギルドに顔を出して、バルドに森の異常を伝えておけ」
「はい」
「お前は、お前のできることをしろ。
森に来るだけがすべてじゃない」
「……分かりました」
その言葉にうなずきながらも、
背後では、見えない何かが不気味に満ちていくような気配がしていた。




