第26話 エルフのリュシュア
ギルドの朝は、いつもより少しだけざわついていた。
「なあ、あの耳、見たか?」
「見た見た。森の外でしか噂に聞かないあれだろ」
「エルフって、本当にいるんだな……」
受付前で並んでいた冒険者たちが、ひそひそやっている。
視線の先を追って、俺も固まった。
カウンターの端。
人だかりから少し離れた場所に、ひとりの人物が立っていた。
背は兄さんより少し高いくらい。
淡い灰緑の髪。
横に伸びた耳。
本物のエルフだ。
画面越しじゃなくて、本当にそこにいる。
空気が、そこだけ少し張りつめている感じがする。
◇
カウンターの中から、バルドの低い声。
「森の様子が、ちょっとな。
マナの流れに、変な揺れが出てるって話だ」
エルフは、面倒くさそうでも楽しそうでもない、淡々とした声で答えた。
「……話だけは聞こう」
バルドとエルフの会話は、周りのざわざわに紛れてよく聞こえない。
ただ、ところどころ単語だけ拾えた。
「……マナの流れが」
「……魔物の動きが」
「……今はまだ大事にはなっていない」
今はまだ。
その一言が、妙にひっかかる。
考え込んでいたら、受付で手を振られた。
「アレンくん、次〜」
リナの声に、慌ててカウンターへ駆け寄る。
「ごめんなさい、ぼーっとしてました」
「ふふ。初めて見たった顔ね。」
リナが苦笑する。
「今日はどうしたの? ポーションの追加? それとも石の納品?」
「えっと、今日は相談で……」
一度、息を整える。
どう聞けばいいか。
戦い方を教えてくれる人はいませんか——と聞くのはざっくりすぎる。
言葉を選んで、口を開いた。
「今の僕みたいに、
《ストーン》とか初級魔法で罠とか支援をしてる人って、
この街に、いませんか?」
リナが目を瞬かせる。
「今の、アレンくんみたいに?」
「はい。
前に出て剣を振るっていうより、
《光り石》とか《悪臭石袋》とか、
そういうので場を操作するタイプの人です」
言っていて変な分類だと思った。
でも、これが今の自分の戦い方に一番近い。
「できれば、その人がどうやって安全を確保してるかとか、
ここまでは前に出ていいってラインを、教えてほしくて」
リナは少しだけ考え込んで、首をかしげた。
「罠や石で場を操作するなら、斥候や罠師になるけど……
アレンくんみたいに初級魔法で組み合わせている人は、この街にはいないわね」
「ああ、やっぱり」
少し肩が落ちる。
「でもね、その手の話をするなら、
アレンくんにぴったりの人がいるわ」
リナが、さりげなくカウンターの端へ視線を向ける。
「森のほうで長くやってる人。
マナの流れも魔物の動きも見えてる、本物のベテランね」
そこまで言って、彼女は少し身を乗り出し、俺の耳元に口を寄せた。
声を落として、こそっと続ける。
「……で、アレンくんの変な石の話を、わざわざ聞きにきた物好きな人」
「え」
思わず変な声が出た。
「聞こえてるぞ」
すぐ後ろから、低い声が落ちた。
振り向くと、エルフが立っている。
距離が近いと、目がよく見える。
淡い琥珀色。
森の光を閉じ込めたみたいな、静かな目だ。
「……お前が、変な石の元か」
◇
カウンターの中で、バルドが苦笑いを浮かべる。
「紹介する。
森のエルフ、《リュシュア》。
闇と風と火の三属性。弓を持たせりゃ一級品だ」
「今は、森のマナの流れの様子を見に来てる。
ついでに、坊主の噂を聞きつけてな」
リュシュアと呼ばれたエルフが、じろりと俺を見る。
「《時間差光り石》」「《悪臭石袋》」「《浄化石》」
ひとつひとつ、言葉を切るみたいに並べる。
「それに、《偽装落とし穴》か」
「はい、ぜ、全部、僕が作りました」
なんだか、悪事の羅列みたいだ。
バルドが肩をすくめる。
「ちなみに、《高級美容水》とか《ヒール水》とか、
屋敷のメイドや受付の肌の調子を良くしてるのもこいつだ」
「変な石」と「美肌」の組み合わせはやめてほしい。
「ふむ」
リュシュアは、少しだけ目を細めた。
◇
カウンター脇に移動し、簡単な実演を始めることになった。
「じゃあ、まずは《光り石》からね」
リナが、いつものように促す。
《光り石》
《重ね掛け光り石》
リュシュアは、石から目を離さない。
「……ほう。光の強さをいじっているのか」
「はい。今より、分厚く長く光ってくれるほうが便利かなと」
《時間差光り石》
「細い魔力線が巻かれている。途中で調整しているな」
リュシュアの目が、そこでわずかに変わった。
◇
続いて、《悪臭石袋》と《浄化石》。
「うむ。石と他の魔法を混ぜるか。
太い線だけでは、ここまでうまくまとまらん」
「初級魔法だけで、です」
「なるほど。状態、タイミング、保存まで手を入れているのか」
淡々とした声だが、目の奥はわずかに笑っている。
「……やはり、お前は変だな」
褒めているのか、けなしているのか、よく分からなかった。
◇
不意に、リュシュアの手が伸びた。
「手を出せ」
言われるがまま、右手を差し出す。
手首を、軽くつかまれた。
ひやりとした指先。
そこから、じわっと何かが入ってくる感覚。
え、これなに。血管検査? 脈診?
「力を抜け」
言われて、深呼吸する。
深呼吸し、自分の魔力核から手へ伸びる線を意識的に薄める。
できるだけ素の状態にする。
リュシュアが目を閉じた。
しばらく沈黙。
ギルドのざわめきが、遠くになる。
やがて——。
「……妙だな」
低い声が落ちた。
「太い線は、並以下だ」
——ですよね。
それは以前から、オットーにも言われている。
「だが——」
リュシュアの指先がわずかに動く。
手首の下、前腕、指先のほうへ。
「この細い線の本数と通り方は、
人間としては異常だ」
「網というより、織物に近い」
「一本一本が滑らかに枝分かれし、また合流している」
「こういう奴が、初級だけで変なことをやる」
「……お前か」
最後の一言だけ、少し楽しげだった。
「はい、多分、僕です」
言いながら、少しだけ胸が熱くなる。
◇
バルドが、口を挟んだ。
「で、本題に戻るぞ、アレン」
「あ、はい」
「こいつは、森のマナの流れの様子を見に行く。
魔物の分布が、少しずつおかしくなっているらしい」
一瞬、ギルドの空気が引き締まる。
雑談混じりだった周囲の声が、少し遠のいた。
「今すぐ大騒ぎってほどじゃないが、
気づいたときには遅い、ってパターンは勘弁だ」
胸の奥が、ひんやりと冷える。
「ついでに——」
バルドが、リュシュアと俺を交互に見る。
「お前の線の使い方を、見てもらおうと思ってる」
「見て、どうするかは向こう次第だがな」
リュシュアは、無表情のまま、軽くあごを引いた。
「ついでというには、少し手間がかかるがな」
だが、森の揺れと、変な線の動き。
両方を一度に見られるなら、悪くない」
一歩こちらに近づく。琥珀色の目がまっすぐ俺を捉える。
森の奥を見ているような目だった。
やがて、ぽつりと。
「……森は今、どうせまともじゃない」
「ひとりで見るより、変な線をひとつ連れて行ったほうが、
分かるものもあるだろう」
その言葉が、承諾だった。
「ただし、条件がある」
◇
リュシュアが淡々と条件を口にする。
指を一本立てた。
「まず一つ目。
危険と判断したら、即撤退だ。お前の意思は関係ない」
「二つ目。
戦闘中の指示は私が出す。それに従え」
「三つ目。
お前を、前線には立たせない。罠と支援が主だ」
「ただし、必要なら一歩二歩は前に出させる」
「四つ目。
魔力線と魔法運用については、遠慮なく口を出す。
実験も、矯正もする」
「痛い思いをするかもしれんが、死ぬよりはいいだろう」
バルドが、横でうなずいた。
「三つ目と四つ目は大歓迎だな。
前に出さないって点だけは、ギルドとも利害が一致している」
リナも笑う。
「変な石扱えてよかったね。アレンくん」
「なんですか、それ」
◇
問題は、報酬だ。
「料金は?」
リュシュアの視線が、自然とリナへ向く。
「森の様子を見ること自体は、ギルドから正式依頼が出てるわ」
リナが、さらっと言う。
「そこにアレンくんの線の観察と基礎指導ね。
護衛依頼って感じになるわね」
「私はBランクだ。安売りはできんぞ」
「もちろんです。
アレンくんは今、商店一軒分くらい稼いでます。
その懐具合から、一ヶ月分くらいの依頼金は出せます」
「子どもにしては、大金だな」
「生き延びる力がほしいんです。回収できるようがんばります」
◇
バルドが、最後に念を押す。
「アレン。嫌なら、今ここで断ってもいい」
そもそも、お前はまだ五歳だ。
もっと大きくなってからって選択肢もある」
少し考えて——首を振る。
「「僕の線だと、前線で大技をぶっぱなすのは無理です。
でも、だからこそ——」
少し息を吸う。
「ここまでは前に出てもいいってラインを、
自分で分かるようになりたいんです」
「一度、それをちゃんと教わっておきたい」
言い終えて、自分でも少し驚いた。
前に出ないのではなく、どこまで前に出られるかを知ること。
それが、俺の欲しかったことだ。
リュシュアも、ほんの少しだけ口の端を上げる。
「お前の覚悟は分かった。連れて行こう」
ぽつりと付け加えた。
「お前が、その線で何ができるかを見る——
それが、今回の私の楽しみだ」
「よろしくお願いします」
深く頭を下げる。
顔を上げたとき、もう戻れないところまで一歩踏み出している気がした。




