第2話 ひみつの訓練
どれくらい時間が経っただろう。
泣いて、飲んで、寝て。
それをひたすら繰り返す。
外の空気が少し温かく感じる。
窓から入る光の色も、前よりやわらかい。
たぶん、季節が一つ変わったんだと思う。
俺の体は、最初よりはずいぶん動くようになっていた。
◇
「アレン、起きた?」
耳に、聞き慣れたやさしい声が届く。
長い髪の女の人。
この家の人たちが「エリシア」と呼ぶ人――
たぶん、お母さんだ。
「あー……」
声を出そうとしてみる。
でも、まだうまく言葉にはならない。
それでも、この世界の言葉は、だいぶ聞き取れるようになってきた。
何度も何度も、その音と一緒に抱き上げられているうちに、
自分の名前くらいは、ちゃんと染みこんでいた。
アレン。
それが、この世界での俺の名前だ。
「今日も元気ね。ね、ガルド?」
お母さんが、俺を抱き上げたまま後ろを振り返る。
「そうだな」
短く答える低い声。
がっしりした肩。
この家の主らしい男――ガルド。お父さんだ。
「また、あれやってるのか?」
「あれ?」
「ほら、身体をむにゅむにゅさせるやつだ」
大の男の可愛い言葉に、苦笑する。
◇
俺は、最近お気に入りの「遊び」。
それを毎日のようにやっていた。
胸の中の火種を、動かすこと。
自分なりの魔力体操だ。
布団の上で、仰向けになる。
ゆっくり息を吸い込む。
胸の奥の火が、ほんの少しだけ明るくなるイメージ。
あたたかさを、手のひらに。
次に、足先に。
吐く息に合わせて、
胸から腕へ、脚へと、
身体の線をなぞるように意識を送る。
外から見れば、
布団の中で、手足をむにゅむにゅさせているだけだ。
腕を、ぐにょぐにょ。
脚を、ばたばた。
指を、ぱー、ぐー、ぱー。
「……奥様、アレン坊ちゃま、またしてますよ〜」
部屋の入り口から、明るい声が飛んできた。
よく部屋の掃除や着替えをしてくれる若い女の子。
この家の人たちが「ミーナ」と呼んでいるメイドだ。
「ほら、手足がこう……」
ミーナが、俺のまねをするように、
その場で変なダンスを始める。
両手両足をばたばたさせて、腰をくねらせて。
自分の動きが、どれだけおかしく見えているのかが、よく分かる。
お母さんが吹き出した。
「ちょっと、ミーナったら」
俺は真剣そのものなのだが。
そうしていると、お母さんが俺の足先をそっと持ち上げる。
指でつまむようにして、軽く押す。
「でも、ほんとにあったかいのよ? 指先まで」
不思議そうで、でも嬉しそうな声だった。
「さっきも、お風呂のお湯がぬるく感じたくらいですものね」
ミーナがくすくす笑って、俺の足先をつんつんする。
足がびくっと跳ねた。
二人が同時に「あ、ごめんなさい」と笑う合う。
どうやら、ちゃんと外にも伝わっているらしい。
そう思うと、ちょっとだけ誇らしかった。
「ねえ、見てガルド。ほら、ほっぺも赤いわ」
「やりすぎてないか?」
お父さんの少しだけ心配を帯びる声。
「まだ赤ん坊だ。無理はさせるな」
すると、部屋の外から、落ち着いた男の声がした。
「失礼いたします、奥様」
ミーナとは正反対の、低く乾いた声。
よく通って、無駄がない。
「どうぞ」
ドアが静かに開き、年配の男が一礼して入ってくる。
背筋の伸びた姿勢。
整った身なり。
この家の使用人たちが「セバス」と呼ぶ男――執事だろう。
「奥様。ご報告が二点ございます」
ちらりとこちらを見る。
俺は、ちょうど腕をむにゅ、と持ち上げたところだった。
「今日も……たいへんお元気なご様子で」
ほんの一瞬だけ、目元がやわらいだ気がする。
「でしょ?」
お母さんが、少し誇らしげに言う。
セバスは一度だけ俺を確認すると、
何事もなかったかのように話題を切り替えた。
「それと、領主様。
外回りの件ですが――」
お父さんに向き直り、仕事の話へ。
声の調子が、即座に実務のものへ変わる。
大人たちの話は、断片的にしか分からない。
「領地」「森」「魔物」。
どうやら、この辺りは
あまり平和一色というわけではなさそうだ。
だからこそ、今できることを続ける。
言葉は、だいぶ分かるようになってきた。
でも、口から出るのは、まだ赤子の声だけだ。
もどかしさはある。
けれど、焦りはない。
前の人生は、準備もできないまま終わった。
少しずつ。
確実に。
むにゅむにゅと動く手足を見て、
今日も誰かが笑ってくれる。
俺は安心したかのように、ゆっくりと意識を落としていった。




