第19話 次の一歩
浄化美容三術は、裏メニューのつもりだった。
屋敷の片隅やギルドの奥で、
知っている人だけ、こっそり受ける。
「気持ちいい」と笑ってもらって。
「お金払う」と言ってもらえる。
こちらも手応えを感じられる。
そのくらいの距離感で、静かに続いていくと思っていた。
……思っていた、のだけど。
◇
一週間もしないうちに、空気は変わった。
屋敷でも、ギルドでも、
小さな気づきの言葉が行き交いはじめる。
ミーナを見て、誰かが言う。
最近、肌つやよくない? と。
リナを見て、別の誰かが続ける。
クマ、前より軽くなってません? と。
カレンを見ては、
長旅のわりに顔色いいですね、なんて声も上がった。
最初は、ただの世間話だったはずだ。
「アレン様の《ホットスチーム》でしてもらったんです!」
ミーナは、まったく隠す気がなかった。
むしろ、ちょっと誇らしげですらある。
「アレンくんの《浄化》で、ちょっと楽になるコースあるのよ。
でも、裏メニューだからね。私からちゃんと頼むから」
リナも、言い方こそ柔らかいが、あっさり口を割る。
「遠出明けの顔直しって紹介したら、
みんな笑いながらも、本気で食いついてきたわよ」
カレンは、完全に商人の目で宣伝していた。
気づけば、「知る人ぞ知る裏メニュー」は、
「友だちにおすすめするメニュー」になっていた。
◇
そのころの、俺の一日はこんな感じだった。
朝。
屋敷で魔力体操。
《ウオーター》や《ウインド》、《アース》の基礎練習。
オットーの座学が少し。
昼はギルドに行き、
《ヒール水》を何杯分か作り、 倉庫の荷物運び。
街近くへの簡単な荷物運搬クエストに
ポーターとして付いていく日もある。
夕方になると、
屋敷に戻るか、ギルドの一室を借りて、
浄化美容三術の「簡易コース」を一人か二人。
夜。
家族との食事。
そのあと、たまにもう一人だけ予約が入ることもある。
最初のうちは、それで回っていた。
今日はミーナ。
明日はリナ。
カレン隊が泊まりのときだけ、一人追加。
誰の日かがはっきりしていて、
予定がずれることも、ほとんどなかった。
◇
変化は、小さいところから始まった。
「アレン様、今日、ミーナと同じ部屋の子が、一人だけ来てもいいですか?」
最初の“増員”は、屋敷側。
「アレンくん、受付の子がね、
一回だけでいいからって、すごく頼んできて」
次が、ギルド側。
「アレンくん、商隊の仲間で、
これ受けられないなら、もう一晩残るって言い張る子がいてね」
カレンは、もう完全にノっていた。
一人が二人になる。
二人が、「今日は三人まで」に増える。
施術そのものは、嫌いじゃない。
むしろ、かなり好きな部類だ。
《ホットスチーム》で、あたたかい霧をかけると、
表情がふっと緩む。
《浄化+アース》で、
肌の触り心地が変わる瞬間が、指先に返ってくる。
《美容ヒール》で、
一段肌にキメと滑らかさが戻る。
《美顔ライト》で、
鏡の前の顔がほんのり明るくなる。
その変化を見るのが、楽しい。
ありがとう。
助かった。
明日もがんばれそう。
そう言われて、
焼き菓子や果物が机に置かれていく。
それは、それで素直に嬉しい。
……ただ。
◇
ある日の夕方。
俺はギルドの掲示板の前で、立ち止まっていた。
街近郊の薬草採取。
ポーター歓迎。
距離も危険度も、
《風切りの牙》と一緒なら問題ない。
……けど。
「今日も、無理か」
声に出して、ようやく実感する。
「アレンくん、今日、こっち行く時間ある?」
後ろから、セラの声がした。
「……夕方から、予約入ってて」
「そっか」
それ以上は言われなかった。
でも、少しだけ残念そうな気配が残る。
翌日も、似たようなことがあった。
今度は、短距離の荷物運搬クエスト。
「お、アレン。今日ちょうど軽いのあるけど、どうだ?」
ディランの声に、
一瞬、心が動いたあとで――
「ごめん。今日は、ギルドで顔コースの日で」
言ってから、自分で引っかかる。
顔コースの日って、なんだ。
◇
夜。
ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
このまま浄化美容屋を続けたら、
一日は、たぶんこんな感じで終わる。
朝と昼は今までどおり。
でも、夕方から夜が、ほぼ美容で埋まる。
魔力の訓練にはなる。
人にも喜ばれる。
お礼ももらえる。
悪くない。
むしろ、贅沢だ。
……でも。
冒険者になりたいって言ったのは、誰だったか。
《風切りの牙》の荷物持ちで、
森の道を覚えて、
敵との距離を体で覚えて、
前に出ていいラインを少しずつ掴む。
そういう時間が、
美容の予約に押されていく。
胸の奥はあたたかいままなのに、
その周りに、じわっとした違和感が溜まっていく。
◇
「アレンくん、施術しない日を決めたほうがいいですよ」
ギルドの治療室で、
イリスがそう切り出した。
「魔力の回復のため、ですか」
「それもありますけど」
イリスは、少し考えてから続ける。
「私はね、アレンくんに、
浄化だけの人になってほしいわけじゃないんです」
穏やかな声だったけれど、
そこには、はっきりとした意志があった。
「……」
言い返せずにいると、イリスは続けた。
「冒険者になりたい子が、
自分の時間を、ひとつのことだけに全部使ってしまうのは……
私、ちょっと寂しいなって思うんです」
それは、頭では分かっていたことだ。
「でも……
全部やめるのも、違う気がしてて」
「ええ」
イリスが柔らかくうなずく。
「私もそう思います」
「アレンくんが冒険者として走ってる姿、私、好きなんです。
荷物持ちして、仲間と並んで、前を向いてるアレンくん」
一瞬、言葉に詰まる。
「だから、どっちかを捨てるんじゃなくて……
両方ちゃんと続けられる形を、探しませんか」
その言葉が、
胸の奥に、静かに落ちてきた。
すとん、と。
「……それと私、まだ浄化美容、受けてないんですよ?」
「ふふ。順番待ちしてるんです。
なくなったら、困りますから」
◇
帰り道。
夕暮れに染まった街を歩きながら、
ふと、《ヒール水》のことが浮かんだ。
飲んだからといって、
その場で劇的に変わるわけじゃない。
でも、時間をかけて、
じわじわと体を楽にしてくれる水。
――水そのものが、働く。
それだ。
《浄化》と《ヒール》を、
人の手じゃなく、水の中に定着させられたらどうだろう。
顔全体を整える施術みたいなことは、さすがに無理だ。
でも、一日の終わりに一杯飲むだけで、
体と気分が、ほんの少し軽くなる水なら――
十分、意味がある。
毎日じゃなくていい。
施術は、特別な日や、
ちゃんと時間を取れるときに残す。
普段は、水に任せる。
そうすれば、
森に出て、足で覚える時間も。
誰かの暮らしを、少しだけ楽にする時間も。
どちらも、手放さずに済む。
胸の奥で、考えがゆっくりまとまっていく。
「……よし」
小さくつぶやいて、
歩幅を、ほんの少しだけ速めた。
次は――
《浄化+ヒール+ウオーター》。
その形を、
ちゃんと作る番だ。




