第17話 《浄化》習得
何度目かの遠征のあと。
ギルドで報告を終えたところで、声をかけられた。
「アレンくん」
振り向くと、イリスが控えめに手を振っている。
「少し、いいですか?」
「はい」
「最近、《ヒール水》が本当に助かっていて」
「いえ。ぼくも、練習になりますから」
イリスは、少しだけ表情を引き締めた。
「だからこそ……
アレンくん自身が、もっと楽になる魔法も覚えておいたほうがいいと思って」
「楽になる魔法?」
「《浄化》です」
思わず、身を乗り出した。
「それ、教えてください」
◇
案内されたのは、ギルドの奥の小さな治療室だった。
ベッドが二つと、棚に薬草と包帯。
イリスが軽い手当てに使っている場所らしい。
「アレンくん、もう《ヒール》は使えますよね?」
「はい。小さい傷なら、ちょっと」
「《浄化》は、その隣の魔法です」
イリスは自分の胸に、軽く手を当てる。
「最近、ずっと魔力を使いっぱなしでしょう?」
「……まあ、そうですね」
「だからね。
人を楽にする人には、
自分を楽にする魔法も、持っていてほしいんです」
そう言って、微笑んだ。
「それが、《浄化》」
「汚れや軽い毒、それから――
気分まで、少し軽くしてくれる魔法です」
「気分も?」
「ええ。
《ヒール》が体なら、《浄化》は空気と心、って感じですね」
少しだけ声を落とす。
「ただし、強くかけすぎると、
必要な気持ちまで流してしまうことがあるから……」
「だから、やさしく」
イリスは、そうまとめた。
「今日は、その加減を覚えましょう」
◇
まずは、イリスがお手本を見せてくれる。
「《浄化》」
胸元で淡い光が生まれ、手のひらへ流れる。
光は空気に溶けるように広がり、
その場の感じが、ほんの少し軽くなった。
「ほら、アレンくんも」
促されて手を出すと、
イリスの光が、すっと移ってくる。
「……なんか、すーっとします」
「それが《浄化》です」
イリスは、嬉しそうにうなずいた。
「じゃあ、やってみましょう」
◇
胸の奥、魔力が溜まっている場所に意識を向ける。
さっき見た光の感じ。
空気が、少し軽くなる感覚。
前の世界で、仕事帰りに風呂に入ったとき。
一日の疲れが流れていく、あの感じを思い出す。
それを、ほんの少しだけ再現する。
胸の奥から、細い線を一本引き出す。
「《浄化》」
小さく呟き、
自分の体のまわりに、光を広げる。
ふわりと、空気が動いた。
「あ……」
思わず、声が漏れた。
汗でしっとりしていた首もとが、
すっと乾いて、軽くなる。
鎧の下の服にこもっていた臭いも、
薄い膜が剥がれるみたいに、ふっと消えた。
それだけじゃない。
足の裏に残っていたじっとりした感覚が和らぎ、
服のまとわりつきも、少し楽になる。
それに引っ張られるように、
胸の奥に溜まっていた細かなだるさまで、軽くなっていた。
「……気分まで、軽くなりますね」
「それが、《浄化》のいいところです」
イリスは、やさしく微笑む。
「全部きれいにするんじゃなくて、
息がしやすくなるくらい、ですね」
何度か、自分に弱めの《浄化》をかけてみる。
感覚を確かめるうちに、
強くやりすぎると、
心まで空っぽになりそうな気がした。
だから、弱めに整える。
「うん。
いい感じだと思います」
イリスが、安心したようにうなずく。
「じゃあ、今度は……
他の人にかけてみましょう」
◇
最初の実験台は、《風切りの牙》だった。
遠征から戻り、
装備を外す前のタイミング。
「《浄化》、試してもいいですか?」
そう聞くと、
ディランが真っ先に手を上げた。
「おう、やってみろやってみろ。
どうせ俺は汗くせえしな!」
「弱めでいきます」
ディランに、そっと《浄化》をかける。
ふわりと、空気が動く。
「お?」
ディランが自分の肩を嗅いで、目を丸くした。
「おい、なんかマシになってねえか?
さっきまで、自分でちょっと引くレベルだったぞ」
「匂い、かなり減ってるわよ」
少し離れたところから、セラが言う。
「髪も、べたついてない」
「まじか」
ディランが、頭をぐしゃぐしゃ触る。
「ほんとだ。
なんか、さらっとしてきた!」
フィオナもすかさず言う。
「近くにいても、
さっきほどつらくない」
「……本音、今までそんなだったのか」
「うん。ありがとう、アレン」
なんでか、フィオナから感謝された。
◇
少し離れて見ていたイリスが、
控えめに声をかけてくる。
「アレンくん。
私にも、弱めで、かけてみてもらえますか?」
「はい」
イリスにも、そっと《浄化》を流す。
ふわり。
「……これ、好きかもしれません」
イリスが目を細める。
「自分でかけるより、
なんだか気分がいいですね」
「それは……ちょっと照れます」
視線が、思わず泳いだ。
イリスは、少し表情を明るくして続ける。
「汗っぽさだけじゃなくて、
頭の中のもやもやも、少し流れる感じがします」
「教えてもらって、よかったです」
「教えたかい、ありました」
イリスは、得意そうに笑った。
◇
ギルドでも試した。
受付を終えたあと、
少しだけ疲れの見えるリナに声をかける。
「リナさん。《浄化》、覚えたんですけど」
「え、やってやって」
そっと、リナに《浄化》。
「……なにこれ」
リナが、思わず笑う。
「一日の終わりに、
さっぱり水浴びたときみたい」
「気持ちも、ちょっと楽になりますよね」
「うん、なるなる」
遠くで見ていた別の受付嬢も、
こっそり手を上げていた。
◇
屋敷でも、ミーナに試した。
仕事終わりの夜。
「アレン様、最近お忙しそうですねえ」
「ミーナもだろ」
笑いながら、《浄化》。
「わあっ」
ミーナが、頬に手を当てる。
「なんか、つるっとしました!
髪も、さらさらしてる気がします!」
「たぶん、気のせいじゃない」
「これ、お風呂の前と後で二回やったら、
すごいことになりそうですね!」
あとで自分にも試してみようと思った。
◇
何人かに《浄化》をかけて、
一つ、はっきりしてきたことがある。
相手が、
ほんの少しだけ「いい感じ」になる、ということだ。
《浄化》は、
派手な回復じゃない。
でも、確実に、
気分を一段、持ち上げてくれる。
他にも使いどころありそうだな。
そんな予感を胸に、
俺は、新しく覚えた魔法を、
そっと大事にしまった。




