第15話 行商人カレン
森から街に戻り、
遠征とギルド通いを何度か繰り返したころ。
《風切りの牙》の遠征では、
ヒール水と泥ベッドが、すっかり定番になっていた。
休憩のたびに
「一杯ちょうだい」
「あとで俺の分も頼む」
そんな声が飛び、
夜になれば、
誰かが最初に泥ベッドへ転がり、
それを見た別の誰かが
「ずるいぞ」と続く。
気づけば、それが当たり前の光景になっていた。
そんなある日の、昼前。
それが、あとになって
俺の生活を少しだけ変える出来事の始まりだった。
◇
このころには、
俺の口も、だいぶ回るようになってきていた。
オットーの授業と、
ギルドの人たちとの会話のおかげだ。
まだ難しい漢字は分からない。
でも、自分の口から出る言葉は、
少しずつ子ども語から抜け始めていた。
◇
「カレンさん、いらっしゃい!」
リナの、少し弾んだ声が聞こえる。
カウンターの向こうに立っていたのは、
見覚えのない女の人だった。
年は二十代前半くらい。
腰まである栗色の髪を、ざっくりまとめている。
旅慣れた革のコート。
足元は、しっかりしたブーツ。
背後には、小さめの荷車。
きちんと梱包された木箱が、
整然と積まれていた。
行商人だろう、と直感する。
その人は、
リナと軽口を交わしたあと、
ふっとこちらに視線を向けた。
目が合う。
一瞬だけ、ぱちりと瞬きをして――
すぐに、にやっと口元を上げた。
「あら。
もしかして、噂のちょっと変わった荷物持ちくん?」
……嫌な予感がする。
◇
「ええと、俺、アレンです」
とりあえず、ちゃんと名乗る。
「私は行商人のカレン。
この街には、三か月に一度くらい来てるの」
「カレンさんはね、
冒険者向けの道具とか、日用品の仕入れに強いのよ」
リナが、横から補足する。
「あと、美容関係もね」
カレンが、さらっと付け足した。
「で、ギルド長から聞いたの」
カレンは、声をひそめるでもなく、
楽しそうに言う。
「ちょっと変な魔法を使う
おもしろいガキがいるって」
思わず、バルドを見ると、
知らん顔で書類をめくっていた。
変な魔法、って。
心の中で、軽く突っ込みながら、
それでも、少しだけ
誇らしい気持ちになる自分がいた。
カレンは、カウンターに肘をついて、
俺をじっと眺めてくる。
品定め、というより、
面白い玩具を見つけた目だ。
「飲むと、ちょっと元気が出る水と、
壊れ物を守る泥を作るんですって?」
「……だいたい、合ってます」
胸の奥が、少しくすぐったい。
ヒール水と、泥クッション。
どちらも、俺なりに
「いい感じ」にはできたと思っている。
「じゃあ、実物を見せてくれる?」
カレンの目が、
完全に商売人のそれになった。
◇
ギルドの奥にある、
小さな空き部屋を借りた。
机と椅子だけの、簡素な部屋。
「ここなら、人目も少ないし、
こぼしても多少なら大丈夫ね」
リナが、手早くカップを用意してくれる。
カレンは、自分の荷車から、
小さな革袋と、
丁寧に包まれたガラス瓶を何本か運び込んできた。
「それ、ポーション瓶ですか?」
思わず聞く。
「そう。
ちゃんとした、詰め替え用のやつ」
厚みのあるガラス。
口元には、封をするための段差。
この世界にも、
ちゃんと“ポーション瓶”があるのだと、
あらためて実感する。
◇
まずは、ヒール水。
空のカップを一つ、机の上に置く。
胸の、いつもの場所に意識を向ける。
「ヒール水」
ちょろちょろと、
透明な水がカップに落ちていく。
見た目は、ただの水。
でも、自分の中では、
水と回復が、一本の線でつながっている。
「これが、飲むヒールです」
カレンが、身を乗り出した。
「ふむふむ。
あとから回復をかけてるんじゃなくて、
最初から混ざってる感じ?」
「はい」
「味見してもいい?」
「どうぞ」
カレンは、ためらいなくカップを取ると、
一口飲んだ。
ほんの一瞬、目を細める。
それから、軽く肩を回した。
「あ、これ」
小さく息を吐いて、笑う。
「体の重さが、一枚はがれた感じがする」
「そういう感じです」
「それに――」
もう一口飲んでから、
唇を指でなぞる。
「ちょっとだけ、甘い」
「はい。
ヒールのせいで、
自然な甘みが、少し出ます」
「この街、基本はエールでしょ」
カレンが、くすっと笑う。
「甘くて、ちょっと楽になる水。
それだけで、十分売り文句になるわ」
「そんな、たいしたものじゃ……」
「普通の人は、ヒールなんて気軽に使えないのよ」
カレンは、指をひらひらさせた。
「光魔法は、一生縁がない人のほうが多い。
それが“ちょっとだけ”でも、何度も飲めるなら、
立派な商品」
リナも、うなずく。
「冒険者の人たちにも評判いいの。
ポーションは高いけど、
休憩ごとに一口あると、全然違うって」
「そこ、大事」
カレンの目が、さらに輝いた。
「これ、ギルドで小口販売しましょ」
「こぐち、はんばい?」
思わず聞き返す。
「その場で作って、その場で飲むの。
ポーションまではいらないけど、
ちょっと楽になりたい人向け」
たしかに、それなら今のやり方でいける。
「いきなり瓶詰めにしなくていいのよ。
まずは、ギルドで“アレン印の一杯”として回すの」
「……それなら、俺にも、できそうです」
「でしょ?」
カレンが、満足そうに笑った。
◇
次は、泥クッション。
「こっちは、壊れ物を守る泥ね?」
「はい」
「じゃあ――」
カレンは、荷車から、
丁寧に包まれたガラス瓶を一本取り出した。
中には、琥珀色の液体。
「高価な香油」
「そんなもの、テストに使うんですか」
思わず声が出る。
「売り物にならないくらい古いから平気」
さらっと言ってから、
一拍おいて付け足す。
「でも、割れたら私、泣く」
「それ、やめません?」
「だからこそ、本番テストでしょ」
この人、商売人としても、
度胸がある。
◇
床に、少しスペースを作る。
「アース」
地面を、浅くやわらかくする。
泥ベッドより、もっと局所的に。
手と指で、丸くまとめる。
クッションくらいの大きさ。
真ん中を、少し厚めに。
「スコーチ」
表面だけ、軽く焼き固める。
指で押すと、ちゃんとへこむ。
泥クッション、一号。
「ほう」
カレンが、しゃがんで指で押す。
「ちゃんと弾む。
底まで、指が届かないわね」
「上だけ焼いてあります。
下は、やわらかいままです」
「じゃあ――いくわよ?」
カレンが、瓶を持って立ち上がる。
リナが、思わず口を押さえた。
「カレンさん、本当にやるの?」
「壊れたら、泣くって言ったでしょ」
軽く笑って、
腰の高さで瓶を構える。
「……いきます」
俺も、息を止める。
次の瞬間。
瓶が、ぽん、と手を離れた。
◇
ガラス瓶は、
くるくる回転しながら落ちてくる。
どすん、という鈍い音。
泥クッションの中央に沈み込み、
表面がふわりとたわむ。
中の泥が、ぐっと広がり、
瓶は、ゆっくり元の位置に戻った。
沈黙。
カレンが、そっと瓶を持ち上げる。
ひび一つ、ない。
「割れてない……」
リナが、ほっと息を吐く。
カレンは、瓶を逆さにして、底をなぞった。
「……ふふ」
口元に、ゆっくり笑みが浮かぶ。
「衝撃が、ほとんど伝わってない」
「クッションの中で、吸収されてます」
俺も、泥を押して確認する。
「荷車の中で使えば、
壊れやすいものも安全です」
カレンの声が、完全に商売の顔になる。
「壊れ物を守る泥」
言葉を、味わうように転がす。
「これも、普通に売れるわね」
◇
そこからは、早かった。
「《ヒール水》は、ギルドで一杯売り。
《泥クッション》は、荷車一台分の加工サービス」
「最初は少なめで、
様子を見て数と値段を調整」
「俺は、どれくらい……」
「無理のない範囲で」
カレンの声が、少しだけ真面目になる。
「まだ子どもだもの。
最初から飛ばさなくていい」
「そうよ」
リナも、しっかり言う。
「疲れてるときは、断ること。
今日はここまで、って自分で決めるの」
「……うん。
それは、ちゃんとやる」
「いい子」
リナが、そっと頭に手を置いた。
カレンも、肩をすくめる。
「商売は、続けてこそだからね」
◇
話は、とんとん拍子にまとまった。
「名前も、つけましょ」
カレンが、にやっと笑う。
「アレン印ヒール水。
アレン印泥クッション」
名前。
前の世界では、
俺はどこにでもいる一人だった。
でも今は、
「アレン印」なんて名前が付く。
初級魔法だけでも、ここまでできる。
英雄でも、救世主でもない。
それでも。
この世界に、
「アレンがいた」くらいの跡は、
残せるかもしれない。
胸の奥が、
ふわっと温かくなる。
くすぐったくて、
少し恥ずかしくて。
でも、確かに嬉しかった。
どこまで行けるかは、分からない。
それでも。
俺の工夫で、
誰かの生活が、少し楽になる。
その予感だけは、
はっきりと、胸にあった。




