第10話 「冒険者になる!」
五歳を迎える少し前のある日。
俺は、初めて「街」という場所に、きちんと足を踏み入れた。
◇
馬車の窓から流れていく景色が、いつもとまるで違う。
屋敷の周囲に広がる畑や森ではない。
石畳の道が続き、木や石でできた建物が並び、看板が風に揺れている。
人と人の間を縫うように荷車が進み、どこもかしこも、動いている。
「今日は、ギルドにも寄るからな」
向かいの席で、お父さんがそう言った。
「ぎるど」
その言葉を聞いただけで、胸の奥が、わずかにざわつく。
前の世界で、何度も目にしてきた単語だ。
冒険者ギルド。
クエストボード。
酒場併設。
物語やゲームの中で、何度も当たり前のように見てきた存在。
それを――現実として目にする日が来るとは、正直、思っていなかった。
◇
ギルドの建物は、街の中心近くにあった。
分厚い石造りの壁に、長年使われてきたことが分かる重そうな扉。
二階建ての建物は、周囲より少しだけ存在感がある。
扉が開いた瞬間、音が一気に流れ込んできた。
金属がぶつかる乾いた音。
誰かの笑い声。
怒鳴るような呼び声。
紙をめくる音と、椅子を引く音。
そのすべてが混ざり合って、ひとつの「生きている空間」を作っている。
カウンターの前には、武器や防具を身につけた人たちが並んでいた。
受付では、忙しそうに書類をさばくお姉さんたちが声を張り上げている。
「報酬の受け取りはこっちでーす!」
「今回の素材、少し高く買い取れますよ!」
「おいおい、また派手にやられたな」
疲れた顔で笑う人。
怪我をして、仲間に肩を貸されている人。
……本当に、動いてるんだな。
物語の背景じゃない。
画面の中でもない。
目の前で、人が命を削って稼いで、帰ってきている。
それが、当たり前の場所として存在している。
◇
奥のほうで、お父さんがギルド長らしき人物と話している。
「いつも世話になっている」
「今度の森の調査は……」
どうやら、領地とギルドの仕事の話らしい。
俺はその横で、ただ、視線をあちこちに巡らせていた。
壁には、依頼書がぎっしり貼られている。
討伐、護衛、採取、調査。
前の世界の俺は、会社と家を行ったり来たりするだけだった。
たまに飲みに行って、
たまにコンビニに寄って。
冒険は、いつも画面の中にしかなかった。
せっかく二回目があるなら――
一回くらい、自分で「選んだ道」を歩いてみたい。
そんな気持ちが、胸の奥で、静かに形になっていく。
◇
「アレン、どうした?」
隣にいたルークが、俺の顔を覗き込んできた。
「め、めが、きらきら……って、にーさまが、いってた」
自分で言って、ちょっと照れる。
ルークは小さく笑った。
「まあ、ここは男の子のロマンが詰まってる場所だからね」
「ろまん」
「強くなって、魔物を倒して、お金を稼いで。
仲間と飲んで笑って……そういうのに憧れた人は、たくさんいる」
ルークの視線は、少しだけ遠くを見ていた。
でも、俺は知っている。
この人は、領地を継ぐ。
剣も勉強も、全部そのためだ。
兄貴が前に立つなら、俺は横で支える役でもいい。
それも悪くない。
でも――
全部、人に決められた場所に座って終わるのは、嫌だ。
二周目なのに、
また流されるだけで終わるのは、さすがに勘弁してほしい。
◇
その日の夕食は、街帰りということで、少し豪華だった。
みんなが食べ終え、場が落ち着いたころ。
俺は、決めていた言葉を口にした。
「おとうさま」
「ん?」
「ぼく、しょうらい――」
一拍置いて。
「ぼうけんしゃに、なりたい!」
◇
一瞬、空気が止まる。
お母さんが目を瞬かせ、
ルークがぽかんと口を開け、
セバスが静かに眉を上げた。
「……そうか」
最初に口を開いたのは、お父さんだった。
「ゆ、ゆめですけどね!?」
慌てて、お母さんがフォローに入る。
「アレン、まだ四つですもの。
危ないことは、ちゃんと大人になってからにしなさいね?」
「もうすぐ5つ」
なぜか、そこを訂正してしまう。
「そういう問題じゃありません!」
お母さんが、半分笑いながら突っ込んだ。
ミーナが、後ろで小さく「ふふっ」と笑う。
◇
「まあ、いいじゃないですか」
ルークが肩をすくめる。
「夢くらい、持たせてあげましょう」
そう言って、俺の頭をぽんと叩いた。
「まずは体力と剣の基礎からだね」
「けん!」
「冒険者は、足腰が弱いと話にならないから」
少しだけ意地悪な笑み。
でも、嫌じゃない。
◇
お父さんは、ゆっくりと口を開いた。
「冒険者は、かっこいいことばかりじゃない」
怪我をした冒険者たちの姿が、脳裏に浮かぶ。
「だから、なりたいなら、
その現実も、ちゃんと見ておけ」
「……うん」
◇
その夜、ベッドの中で、今日の出来事を思い返す。
子どもの夢、扱いだよな。
それでもいい。
今回は、ちゃんと「言えた」。
ここまでで、俺がちゃんと使えるようになった魔法は――
火は、《ウオーム》と、表面だけ焦がす《スコーチ》。
水は、《ウオーター》と、霧を出す《ミスト》。
土は、《小さい穴》と、土をどろどろにする《アース》。
風は、《ウインド》。
光は、《ライト》と、かすり傷を癒やす《ヒール》。
闇は、《ダーク》と……ちょっとだけ臭い《悪臭》。
どれも、初級ばかり。
でも――
お湯も出せる。
布団も乾かせる。
影絵だってできる。
だったら、
この初級だらけの道具箱を持って、
一歩くらい外に出てもいいよな。
英雄じゃなくてもいい。
派手じゃなくてもいい。
自分で選んで、
自分で歩く。
それが、俺の冒険だ。
俺は、小さく拳を握りしめて、
そっと目を閉じた。




