5 フランの婚約者
「おはようございます、お嬢様」
「もう朝? アーシャ、おはよう」
「お嬢様、顔色が悪いようですが大丈夫でしょうか?」
……これはきっと先ほどまで見ていた夢のせいだわ。
「アーシャ、まだ少し調子が悪いみたい。今日は部屋でゆっくりと過ごすわ」
「畏まりました」
それにしてもあの夢は一体何だったの!?
妙に現実的で自分が体験していたかのような感じだった。
それにしてもあのフローラって女、なかなかに酷かったわね。同じ男爵でも私はあそこまで馬鹿女じゃないわ!
夢にイライラし、気分を変えようと棚の中に仕舞っているいくつものお茶を見て茶葉を選ぶ。
「アーシャ、今日はこのラジファル領産の茶葉にするわ」
「畏まりました」
アーシャは私が選んだ茶葉に合った茶器を準備し、お茶を淹れた。
「フラン様、どうぞ」
すっきりした香りが鼻腔を通り、心を落ち着かせてくれる。甘さを控えたお茶は酸味が少なくとても飲みやすい。
「アーシャ、とても美味しいわ」
「ありがとうございます」
アーシャは一礼し、部屋の壁際まで下がり、待機している。
……少し落ち着いた。
それにしても前世の私は世継ぎのためだけに宛がわれた側妃だったみたい。なんとなく隣国の令嬢が着ていそうなドレスだったのよね。
今の隣国の国王陛下とは名前も年齢的にも違っている。
数代前なのだろうか?
一介の男爵令嬢に隣国の王族のことは分からない。機会があれば調べてもいいかもしれないわね。
私は前世のことについて考えていると、扉をノックする音が聞こえた。
「フラン様、体調不良のなか申し訳ありませんが、旦那様がお呼びです」
父の執事が珍しく私を呼びに来た。
「分かったわ」
私はお茶を飲み終えた後、執事とともに父の執務室へと向かった。
柔らかな光が窓から差し込んでいる。
今日は中庭でお茶をするのもいいわね。そんなことを考えながら父の執務室へと入った。
「お父様、お呼びですか?」
「ああ、フラン。体調不良のところ呼び出してすまない。急ぎでこの書類にサインをするんだ」
私は父が投げて寄越した書類に目を通して驚いた。
「お父様、この契約書は婚約の契約書じゃない」
「ああ、そうだ」
「ああ、そうだじゃないわ! 普通なら可愛い娘に釣書を渡して選ばせるものよね?」
父は顔色を変えることなく別の書類に目を通している。
「そろそろ持っている爵位を上げようと思っていたところにいい家が見つかったのだ」
「爵位のあるいい家……」
私は父の機嫌の良さに眉間の皺を寄せながら契約書に目を通していく。書類にはロイ・ブラジェク伯爵子息と書かれていた。
まさか……。
没落というより借金地獄真っ最中の家じゃない!
嫌な予感しかないわよね!?
「お、お父様。あえて聞きますが、ブラジェク家は国一番の借金を背負っていると噂の家ではないですか?」
「お前の耳にも入っていたか」
「私の耳に、というより有名です。没落貴族の方がマシというものでしょう?」
「それがな、そうでもないんだ。私もそう思って手を出さずに見ていたんだが」
父がにやりと不敵な笑みを浮かべている。
あの家の事情を事細かに調べたのだろう。確か祖父の時代に投資を行い、莫大な借金を背負うことになったという話だ。
返す宛てもなく現在の爵家は無一文どころか祖父の代の借金を含めて莫大な借金になっている。
「ロイ君は少し栄養が足りていないが、容姿端麗だと思うぞ?」
「だと思う? 不安しかないわ。いくら容姿端麗でも抱えているものがなければ手放しで喜ぶ物件でしょうね!」
「まあ、そう言うな。前ブラジェク伯爵はな、海の向こうの国との交易を始めようとしていたんだ。借金のほとんどが港の整備、産地の開発に充てられていた」
「なら数年、十年単位でみれば元が取れたはずよね?」
「だが、伯爵家にあるのは借金だけだろう? 実に興味深い話を耳にしてな。どうやらエフィン公爵家が絡んでいるようなんだ。面白くなりそうだろう?」
エフィン公爵家は国一番の財力のある貴族だ。公爵家はその財力でブラジェク伯爵の支援を行っている。
公爵家はブラジェク伯爵の事業を横取りしたのね。伯爵家を潰さない理由は自分たちの悪事が外に漏れないようにするためか。
父は公爵家に揺さぶりをかけて借金を帳消しにする気だろうか。
「わかったわ。私は彼と結婚して伯爵夫人になればいいのね?」
「そうだな。とりあえず、お前は婚約者としての義務をこなしていればいい」
「わかりました」
私はそうして父の部屋を後にする。
廊下の窓は開けられており、心地よい風が私の頬を撫でていく。
最悪な目覚めの一日は最悪な出来事が重なって今日は最悪なことしかないわね!
まさか借金まみれの家に嫁ぐことが決まったなんて。ついてないわ。
せっかく部屋でゆっくりしようと思っていたけれど、もやもやと気分が晴れない。
何かすきっと気持ちが晴れやかになるものは……。
そうだ、いいことを思いついたわ!
私は庭に出て木から枝を手折り、細い棒状にして両手で持った。
「お嬢様、どうされるのですか?」
アーシャは不審そうな目で見ている。
そうよね!
今までこんなことしたことないもの。で
も今までにないほどのモヤモヤを晴らすにはこれしかないって思ったの。
私は木に向かって枝を叩きつけた。
「えいっ! えいっ! えいっ!」
他人から見たらドレスを着た令嬢が細い枝を振り回して何をしているんだろう? って思うに違いない。でも、何かにぶつけないと気が済まなかったの。
くっそう!
あのキモ男め!
何が陛下だっ!
側妃を何だと思ってるのよ!
夢だからっていい気になるなよっっ!
「えいっ!」
勢いよく枝が木に当たった瞬間、枝が手から抜けそのまま私の額を直撃する。
「お嬢様っっ!?」
アーシャの驚く顔が見えた。
私は痛みのあまり目の前がゆっくりと暗転していく。
「おい、君。大丈夫か」
遠くから声が聞こえたのを最後に私の意識は途絶えた。




