10 フラン伯爵家へ
翌日の午後、私はドレス姿で伯爵家に向かった。ロイ様はまだ学生なので午前中は学院で勉強をしている。
「フラン嬢、ようこそ我が家へ。と言っても本当に何もないが」
久しぶりにあったロイ様はまだ痩せてはいるが、少し肉が付き、体格が良くなっていた。
ロイ様は少し恥ずかしそうにしながら私をエスコートして中庭へと案内してくれる。
祖父の代ではかなり裕福だったようで伯爵家の建物や家具はとても素晴らしい物ばかりだ。ロイ様の話では調度品などは全て伯爵が売ってしまい、邸は自分たちが使う物以外は何にも残っていないと言っていた。
ロイ様に案内された中庭はこじんまりとしていたが、思っていたより荒れていなかった。
「小さいが、ここの中庭は母が手入れしているんだ。あっちには野菜畑が広がっている」
ロイ様はそう説明してくれている。
「素敵な花壇だわ。ロイ様のお母様の愛情が感じられるもの」
「そう言ってくれると嬉しいな。母も喜ぶよ」
我が家から派遣された従者たちはしっかりと仕事をしてくれているようだ。ロイ様の着る服も清潔感が見えるし、前回会った頃よりも随分と顔色もよくなっている。
私たち二人は用意された席に座り、花を眺めながらお茶を飲み始めた。心地よい風が私たちの間をすり抜け、ロイ様と目が合う。
「ロイ様、学院での生活はどうですか?」
「ああ、君のおかげで成績も伸びてきているんだ。前回は総合成績が57位だったが、今回は12位まで伸びた。
思う存分、勉強が出来る環境が嬉しい。まだまだ上を目指せると思う。それに最近、クラスメイト以外の令嬢たちがよく声を掛けてくるようになったんだ」
私はロイ様の言葉に一瞬曇ったけれど、すぐに晴れることになった。
「友人たちは『最近変わってきた僕の見た目に令嬢たちが食いついてきている』と言っていた。都合が良いよな。令嬢たちは僕を見た目だけで判断しているんだ。あからさま過ぎて嫌になる。それに僕にはフラン嬢がいるのにね」
彼の見つめる先が私であることに心が浮足立ってしまう。
「それだけロイ様が素敵なのよ」
「僕はフラン嬢とだけ話ができればいい」
拗ねたように話をするロイ様にふっと笑みが零れる。
私たちはいい雰囲気の中で話をしていると、従者が誰かを止めるような声が聞こえてきた。
そういえばこの家に護衛は門番一人しかいなかった。もっと増やさないといけないわね。
私がそう考えていると、ずかずかと入ってきたのは数名の護衛を連れた一人の令嬢だった。
ふわりと巻いた金色の髪にピンクのリボンを付けたお人形さんのようないで立ちをしている。
……ラルド兄様が言っていたのはこの女のことかもしれない。
よく見ると、細部にまで細やかなレースがあしらわれている。ドレスも上質な生地だ。どうやら上位貴族のようだ。
こういう時に男爵位でしかない自分が嫌になる。
「ロイ様! ここにいらしたのですねっ!」
令嬢はロイ様を見つけたとばかりに軽やかに走ってくる。
その姿は夢に登場してきたフローラそのものだ。
夢を思い出し、フローラの動きと重なるその令嬢の行動に苛立ちを覚える。
彼は立ち上がり、礼をした。私も横に並び、同じように礼をする。
「ここはロイ様のお家だし、礼はいらないし、楽にしていいわ」
私たちは礼を止めて席に座った。
「それに、私とロイ様の仲でしょう?」
彼女は傍にいた従者に椅子を持ってくるように指示をしている。せっかくのお茶会を邪魔するなんて失礼な令嬢なんだろう。
「エフィン公爵令嬢、今日はどういった用件ですか?」
「ロイ様、我が家から最近食料品が送られてないと聞いたわ。だから私が手作りのサンドイッチを持ってきたの」
彼女がエフィン公爵家の令嬢なのね。勝手に人の家に入ってくるわ、婚約者でもない彼に食事を差し出すわ、婚約者とお茶をしている最中に乱入してくるわ、男爵令嬢でしかない私でも彼女がどれだけ非常識なのかは理解できる。
しかも公爵家から食料品が届いてないですって!?
今まで現物支給だったの?
言いたいことは腐るほどあるが、私はあえて黙って様子を見ることにした。
「エフィン公爵令嬢、いつも食事を作ってきてくれたことに感謝しているが、私には婚約者がいる。エフィン公爵令嬢がわざわざ持ってくれなくても僕はもう大丈夫だよ」
彼が優しくそう言うと、彼女はわなわなと震えはじめた。
「私はっ、ロイ様のためを思ってずっと持ってきていたのにっ。酷いわ。こんなにロイ様のことが好きなのに。私を受け入れてくれないなんて」
彼女は絵に描いたような『夢見る少女』なのかしら。誰かさんと同じね。呆れてため息が出そうになる。
風が少し出てきたようだ。先ほどまで朗らかな天気だったのに。
私はふと思い立ち、ロイ様の膝の上に乗って彼の頬を撫でた。
「ロイ様、お茶が冷めてしまいましたわ」
エメラルドグリーンの瞳はうっとりと私に向けられた。それまで私の存在などいないものとしていた彼女だが、私の行動がよほど彼女の気に障ったようだ。




