夏の光の中で
Autumn Termの半ば。
校舎の石は、まだ夏の熱を少しだけ抱いている。
Year 6の教室には、去年とは違う空気があった。
掲示板にはSecondary Schoolの案内。
締切の日付が、何度も強調される。
来年の話が、もう始まっている。
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昼休み。
芝生の端で、エマが言った。
「私、ロンドンのボーディングスクール受けるわ」
さらりと。
でも、迷いはない。
「寮?」
「ええ。家からは通えないし」
少しだけ笑う。
「音楽が強いのよ。オーケストラも」
その言葉は、遠い街の匂いがした。
キキはうなずく。
「そっか」
胸の奥に、まだ形のない何かが落ちる。
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その夜。
キッチンの灯りの下。
コーイチが夕飯の支度をしている。
包丁の音。換気扇の低い唸り。
リビングからは、サキがギターを弾く音が聞こえる。
セオはダイニングで新聞を広げていた。
コーイチが言う。
「エマはロンドンか」
キキはうなずく。
少しの沈黙。
「私は、受けない」
はっきり言う。
口にした瞬間、理由が分かった。
この音が聞こえない夜を、想像できない。
コーイチは問い返さない。
「どこに行く?」
「家から通える学校」
それだけ。
サキは迷わず言う。
「オレも」
当然のように。
家はここにある。
それ以上の理由はいらなかった。
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Winter。
封筒が届く。
エマは深呼吸してから開けた。
「受かった」
静かな声。
嬉しさと、覚悟が混ざっている。
「おめでとう」
キキは笑う。
本当に、そう思う。
でも、同時に分かる。
並んでいた道が、ここから分かれていく。
エマはロンドンへ。
私は、この街から。
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Springを越えて、Summer Term。
進路はもう、誰の中でも確定している。
だからだろうか、
時間はどこか静かだった。
放課後の芝生。
長く伸びる影。
エマはパンフレットを何度も開く。
寮の部屋。ホール。制服。
「ちょっと怖いけど、楽しみ」
小さな本音。
キキはうなずく。
そのページの端に映る窓の向こう、
知らない街の空を想像する。
そこに、私はいない。
放課後の芝生も、
帰り道も、
並んで歩く影も。
少しだけ、胸が締まる。
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Leavers' Day。
最後のアセンブリ。
"You are ready."
言葉が、ゆっくりと体の奥に落ちる。
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校庭で、白いシャツにサインを書く。
サキがキキの袖に、大きく名前を書く。
「大きい」
「性格出るな」
エマが笑う。
その隣に、エマは小さく書く。
*Don't forget me.*
キキは袖を見る。
大きな文字と、小さな文字。
それぞれのままで、並んでいる。
ふいに、鼻の奥がツンとする。
キキは、乾いたインクの上を、
そっと指でなぞった。
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校門の前。
エマの家の車が来る。
「いつでも遊びに来てね」
「行く」
抱きしめる。
強くはない。
でも、離れない温度。
エマが一歩下がる。
「夏休み、連絡するわ」
「うん」
エマは車に乗り込む。
窓がゆっくり閉まる。
手を振る。
ただの下校のはずなのに、
もう同じ毎日には戻らないと、分かっている。
車が角を曲がる。
姿が見えなくなる。
サキが言う。
「遠くなるな」
キキはうなずく。
「うん」
ロンドンへ行くのは、まだ先。
でも、並んで帰ることは、もうない。
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帰りの車。
セオが運転席。コーイチが助手席。後ろに、双子。
校舎が小さくなる。
誰も何も言わない。
セオがミラー越しに一瞬だけ後部座席を見る。
それから、静かに窓を少し開けた。
夏の風が入ってくる。
窓の外の長い夏の光だけが、流れていく。
あの秋に聞いた言葉が、
静かに現実になろうとしている。
エマはロンドンへ。
私たちは、ここから。
並んでいた道は、ゆっくり分かれた。
夏の光の中で、
そのことだけが、やけに鮮やかだった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
第2章はこれで終わりになります。
夏の光の中で、それぞれが自分の道を選びました。
次の第3章では、少し成長したキキとサキが登場します。
時間が流れ、世界も少しだけ広がります。
どうぞ引き続き見守っていただけたら嬉しいです。




