サキ
◆ Day1(出会い)
面会室は、
思っていたより
普通だった。
白い壁。
長机。
パイプ椅子。
高い位置の窓から、
午後の光が
斜めに落ちている。
特別な部屋には
見えない。
でも、
ここが
境目なのだと
分かる。
職員が
簡単な説明をしてから、
ドアの方を見る。
「では、
お連れしますね」
ノック。
その音で、
胸の奥が
少しだけ
固くなる。
ドアが開いて、
少年が入ってきた。
思ったより、
小さい。
細い肩。
少し伸びた髪。
でも。
顔を上げた瞬間、
全部が止まった。
似ている、
では足りない。
同じだ。
目と肌と髪の色以外は。
キキは、
視線を外すのを
忘れていた。
サキが、
こちらを見る。
一瞬、
目を見開く。
それから、
ぱっと表情が変わった。
驚きと、
納得が
同時に来た顔。
「……あ」
声が漏れる。
それだけで、
十分だった。
サキは、
一歩だけ
前に出て、
すぐ止まった。
距離を測る。
それが、
自然にできる人間の
動きだった。
「……ほんとに」
小さく言って、
すぐ笑う。
「同じだな」
確かめるみたいな声。
警戒はない。
疑いもない。
ただ、
面白がっている。
サキは、
対面の空いている椅子に
座った。
「あ、忘れてた!
コーイチさんも、こんにちは!」
私の横にいるお父さんに言う。
「うん、こんにちは。」
職員が、
少し離れた位置に立つ。
視界には入る。
会話は遮らない。
沈黙が
落ちる。
重くはない。
サキが、
先に口を開いた。
「キキだよね」
問いじゃない。
「うん」
「やっぱり」
また、
笑う。
その笑い方が、
やけに明るかった。
「思ったより
オレら似てるねー!」
悪気のない
言い方。
キキは、
肩をすくめる。
「……そう?」
「うん。
そっくりだ。」
さらっと言う。
サキは、
話しを続ける。
今日のこと。
給食の話。
クラスであった
どうでもいい出来事。
内容は、
本当に
どうでもいい。
でも、
声が
途切れない。
空気が、
少しずつ
軽くなる。
職員が
時計を見る。
「今日は、
この辺で」
サキは、
きょとんとした。
それから、
すぐに
キキを見る。
疑いのない、
目で。
「ねえ」
少しだけ
間を置いて。
それでも、
迷いなく言った。
「明日も、
会える?」
お願いでも、
確認でもない。
当然の続きを
聞くみたいな声。
キキは、
一瞬
言葉に詰まった。
――毎日?
そんな想定は、
していなかった。
でも。
この目は、
断られることを
考えていない。
期待というより、
前提。
キキは、
人からの好意に
慣れていなかった。
断る理由を、
その場で
見つけられなかった。
「……分からない」
そう言いかけて、
言葉を変える。
「……たぶん」
それだけ。
サキは、
一瞬も
疑わなかった。
ぱっと
笑う。
きらきら。
「じゃあ、
来る!」
もう、
決まったことみたいに。
職員が、
少し困った顔で
コーイチを見る。
コーイチは、
驚いたあと、
小さく頷いた。
「……調整しましょう」
それで、
話は
前に進んだ。
帰りの車で、
キキは
窓の外を見ていた。
胸の奥に、
小さな違和感。
嫌じゃない。
むしろ、
温かい。
その感覚の
名前を、
まだ
知らない。
それが、
始まりだった。
◆ Day2(外に出た日)
「今日は、
外でも大丈夫ですよ」
職員がそう言ったとき、
サキが一瞬で顔を上げた。
「え、
ほんと?」
喜びが、
そのまま声に出る。
中庭に出る前、
コーイチが
一歩前に出た。
「少しだけ、
待ってください」
キキを見る。
「この子、
肌が弱いんです」
言い方は、
淡々としている。
説明というより、
確認。
「直射日光は、
長く当たらない方がいい」
キキは、
何も言わなかった。
こういうやり取りに、
口を挟む癖がない。
サキは、
一拍遅れて
きょとんとした。
それから、
すぐに理解した顔になる。
「あ、
そっか」
考える間もなく、
言う。
「じゃあ、
日陰行こう!」
指を差す。
中庭の端、
木の影。
「そっちの方が、
ベンチもあるし」
寒さを
確かめるみたいに
自分の首元を触る。
「てか、
今日ちょっと寒くない?」
キキを見る。
「コート持ってきてる?」
「……うん」
「よかった」
「ちょっと待ってて!」
言い残して
どこかへ行くサキ。
直ぐに戻ってくる。
「はい!」
「これ、
巻いとこ」
サキのマフラー。
有無を言わせない
距離感じゃない。
差し出すだけ。
「いらなかったら、
いいからさ」
軽い声。
キキは、
一瞬
迷った。
こういうのに、
慣れていない。
でも、
断る理由も
見つからない。
「……ありがとう」
そう言って、
受け取る。
マフラーは、
少し
温かかった。
サキは、
もう
日陰に向かって歩いている。
「こっち!」
振り返って、
手を振る。
キラキラしてる。
光なのかサキなのか。
でも、
眩しすぎない。
影を選んでくれている。
職員は、
少し離れたベンチに腰を下ろした。
視界には、
入る。
会話は、
聞こえない距離。
サキは、
満足そうに
ベンチに座る。
「外、
いいな」
「日陰も悪くない」
キキは、
黙って
隣に座った。
マフラーの端を、
指で少し握る。
胸の奥に、
小さな違和感。
守られる側に
回っている。
それが、
嫌じゃない。
そのことに、
やっぱりまだ
気づかないふりをした。
◆ Day3(二人きり)
施設の許可が下りた。
時間と、
場所を決めて。
二人きり。
送り迎えは、
必ずコーイチ。
公園だった。
小さな滑り台と、
ブランコ。
「ここ、
オレよく来てた」
サキは、
迷わずブランコに座る。
ぎい、と
音を立てて揺れる。
「キキは?」
「……来たこと、
ない」
「そっか」
それだけ。
説明を
求めない。
サキは、
空を見上げた。
「ブランコさ、
高くすると
気持ちいいんだよ」
そう言って、
一気に漕ぐ。
風が鳴る。
「ほら!」
キキは、
少しだけ
目を細めた。
あまり
外で遊んだことがない。
対策がないと、
できない。
目の前の少年は、
私と似た姿なのに、
何でもできる。
羨ましい。
でも、
妬ましくはなかった。
◆ Day4(日常)
もう、
会うのが
当たり前になっていた。
時間になると、
サキは
先に来ている。
「今日さ、
午前中
クラスのやつが
遊びにきてさ」
学校は
休みのはずなのに、
話題は尽きない。
次々と別の話題。
「オレ、
よく前に出されるんだよね」
自慢じゃない。
事実として言う。
「人気者って、
大変じゃない?」
キキが、
ぽつりと聞く。
サキは、
一瞬だけ考えた。
「んー」
「でもさ、
嫌いなやついないと
楽だよ」
軽い。
でも、
嘘じゃない。
キキは、
少しだけ
笑った。
◆ Day5(笑い声)
声を出して、
笑っていた。
自分でも
気づかないくらい
自然に。
サキが、
一瞬だけ
目を丸くする。
でも、
何も言わない。
ただ、
話題を変える。
そのまま、
何事もなかったように
時間が流れた。
◆ Day6(最後の日)
その日は、
最初から
少しだけ違っていた。
空気が、
軽くない。
でも、
重くもしない。
サキは、
いつも通りに
来た。
「やっほ」
声は、
明るい。
変わらない。
キキも、
同じように
返す。
「うん。やっほ。」
それだけで、
会話は始まった。
話す内容は、
いつもと同じ。
どうでもいい話。
昨日のこと。
昔のクラスの話。
サキは、
よく喋る。
でも、
途中で
時計を見る。
一度。
それから、
何もなかったみたいに
話を続ける。
キキは、
気づいていた。
でも、
触れなかった。
触れないことが、
ここでは
正しい気がした。
ベンチに座る。
日陰。
風が、
少し冷たい。
サキが、
ベンチに座ったまま
空を見上げる。
「キキさ」
何気ない声。
「次、
いつ日本に来る?」
唐突でも、
重くもない。
ただの
確認みたいに。
キキは、
一瞬
言葉に詰まる。
考えてみる。
でも、
答えは
出てこない。
「……分からない」
正直な声。
サキは、
一拍置いてから
笑った。
残念そうじゃない。
納得した顔。
「そっか」
それだけ。
それから、
すぐ続ける。
「じゃあさ」
少しだけ
身を乗り出して。
「また来たときは、
寄ってよ」
当然みたいに。
「約束!」
確認も、
余地もない。
未来を、
信じ切った声。
キキは、
その勢いに
一瞬だけ
押される。
「……うん」
短く
答えた。
サキは、
満足そうに
頷いた。
時間になる。
「そろそろ、
戻るか」
サキは、
立ち上がる。
ためらわない。
「……うん。」
振り返って、
キキを見る。
いつも通りの顔。
約束が、
もう
そこにあるみたいに。
施設まで戻ると
お父さんの車が
入り口に停まっている。
助手席に乗り込む。
お父さんと
笑顔で一言二言交わすサキ。
キキは、
窓越しに
手を振った。
「……またね」
車が動き出す。
サイドミラーに、
サキの姿。
まだ、
手を振っている。
小さくなる。
見えなくなる。
キキは、
前を向いた。
胸の奥に、
何かが残っている。
名前は、
まだ分からない。
でも、
確かにある。
◆ Day7(帰国)
会わない日。
朝。
スーツケースは、
すでに閉じられている。
中身は、
整っていた。
忘れ物も、
ない。
キキは、
空港へ向かうため
家を出た。
車に乗る。
窓の外に、
日本の景色が流れる。
特別な感情は、
なかった。
寂しいとも、
思わない。
終わった、
それだけ。
空港に着く。
手続きをして、
搭乗口に向かう。
ふと振り返る。
振り返る理由が、
まだ
分からない。
◆ 数日後(自覚)
イギリスに戻って、
数日。
生活は、
何も変わらない。
なのに。
朝、
キッチンに立つと、
静かすぎる。
誰かが、
喋り続けていない。
どうでもいい話を、
延々と
しない。
足りない。
理由は、
すぐに分かった。
サキ。
その夜。
お父さんは、
PCで音楽製作中。
いつもの光景。
キキは、
少しだけ迷ってから
言った。
「ねえ」
顔が上がて。
ヘッドフォンが取られる。
「サキさ」
一拍。
「……一緒に
暮らせないかな」
お父さんは、
すぐに答えなかった。
驚かない。
ただ、
静かに
キキを見る。
「どうして?」
確かめる声。
キキは、
少し考える。
「いなくなってから、
分かった」
「いないと、
静かすぎる」
それだけ。
お父さんは、
ゆっくり息を吐いた。
「……そうか」
キキは、
もう一度言う。
「私、
一緒にいたい」
迷いは、
なかった。
最初は、
お父さんのためが
大きかった。
でも、
違う。
今は、
私が
サキと一緒にいたい。
違和感の正体は
ずっとこれだった。




