屋上で出会った
施設を抜け出したのは、
衝動だった。
10歳になった日に。
理由は、特別じゃない。
普段はそうでもないけど、今日はなんとなく、息が詰まった。
非常階段を上って、
ビルの屋上に出た。
フェンスの向こうに、
街が広がっている。
高いところは、
嫌いじゃなかった。
ここにいると、
人の目を見なくて済む。
帽子を深くかぶる。
施設で支給されている、
黒いキャップ。
白い髪は、
光を拾いすぎる。
目は赤い。
それを理由に、
よく見られる。
説明を求められる。
聞かれて嬉しかったことなんてない。
「寒くない?」
声がして、
振り返った。
知らない男がいた。
黒いパーカー。
ラフな格好。
手には、
缶コーヒー。
「ここ、
立ち入り禁止なんだけど」
叱る口調じゃない。
確認するみたいな声。
「まぁ、俺も人のこと言えないんだけど」
私は、
何も答えなかった。
答える必要が
ある気がしなかった。
男は、
フェンスの横に立って
缶を開けた。
「ここ、
下、怖くないの?」
「……怖くない」
そう答えると、
男は少し笑った。
「そっか」
沈黙。
「俺さ」
男が言う。
「このビルにあるスタジオで音楽、作ってて」
「休憩に
抜けてきた」
「……音楽?」
「うん」
「ずっと
缶詰で」
男は、
私をじっと見ない。
視線は、
街のほう。
「名前、
聞いてもいい?」
「……キキ」
「キキ」
一度、
確かめるみたいに言う。
風が吹く。
少し、
寒くなった。
男は、
私の帽子を見てから
言った。
「下、
来る?」
「……?」
「スタジオ」
「あったかい」
「無理なら、
送る」
断る理由が
思いつかなかった。
スタジオは、
機材だらけだった。
壁の吸音材。
ケーブル。
キーボード。
私は、
自然に
ピアノの前に立っていた。
「好き?」
男が聞く。
「……一人で
できるから」
「なるほど」
男は、
納得した顔をした。
「弾いていいよ」
私は、
少し迷ってから
鍵盤に触れた。
音が、
ちゃんと返ってきた。
施設のピアノより、
ずっと。
男は、
黙って聴いていた。
途中で、
何も言わない。
弾き終わると、
男は言った。
「寒い中、
屋上はよくないな」
それだけ。
評価もしない。
その日は、
施設まで送られた。
車を降りる前、
男が言った。
「また、
会えるといいな」
私は、
うなずかなかった。
否定もしなかった。
数ヶ月後。
男は、
本当に来た。
施設の人と話して、
手続きを始めた。
私は、
少し離れたところで
それを見ていた。
最後に、
男は私に聞いた。
「俺と、
家族になるか?」
理由も、
説明もない。
私は、
机の角を見たまま
答えた。
「……いいよ」
それだけ。
男は、
うなずいた。
それで、
家族になった。
初めまして、ひだまり・さかみちと申します。
本作が、初めて書く小説になります。
※本作はフィクションです。
特別養子縁組に関する設定について、片親での縁組や監護期間など、現実の制度とは異なる描写があります。
これは制度への誤解や軽視を意図したものではなく、物語として必要な表現を優先した結果です。
現実の制度とは切り離してお読みください。




