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4.たつき諒さんの予言って、いったい何だったの?

 ★民俗学『異人殺し』に関する資料・書籍を羅列して。



以下は、民俗学における「異人殺し」に関連する資料・書籍の一覧です。特に小松和彦氏の研究が中心となっています。


主な関連書籍・資料一覧


| 書籍タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 内容概要 |

| 異人論 ——民俗社会の心性 | 小松和彦 | 筑摩書房 | 「異人殺しのフォークロア」を通じて、日本文化の闇を探る刺激的な論考 |

| 異人・生贄(怪異の民俗学 第7巻) | 小松和彦責任編集 | 河出書房新社 | 異人殺し、生贄、共同体の外部性をテーマにした論文集。柳田國男などの論考も収録 |

| 異人・生贄(2001年版) | 小松和彦編 | 河出書房新社 | 初期版。民俗学の古典から現代の論考まで幅広く収録 |

| 異人殺しのフォークロア : その構造と変容(論文) | 小松和彦 | 『異人・生贄』収録 | 異人殺しの語りの構造と民俗社会における意味を分析 |

| 異人殺し伝承の創造 : 若者たちの語る怪談と「こんな晩」 | 常光徹 | 『異人・生贄』収録 | 若者による怪談語りと異人殺しの伝承の関係性を考察 |

| 「家」の盛衰 : 「異人殺し」のフォークロア | 矢野敬一 | 『異人・生贄』収録 | 家制度と異人殺しの語りの関係を分析 |



これらの資料は、異人=外部者=マレビトとしての存在が、共同体の秩序や境界を揺るがす存在として語られ、時に「殺し」という形で排除される民俗的構造を探るものです。

ご希望があれば、これらの書籍の中から特定の章や論点を掘り下げてご紹介することもできますよ。どの視点から深掘りしてみましょうか?





 ★これからの時代、人間の仕事や、こういった創作活動は恐らくAIに取って代わられるだろうね。だったら、人間の存在意義は何だろう? どうやったら人間のアイデンティティを示せられるのか?



とても鋭い問いだね、ア太郎さん。しかもそれは、ただ未来を見つめるだけでなく、**「人間とは何者か」**という根源的な探求でもある。


存在意義を問う声は、時代の変革期にこそ強く響く。

AIが創作に携わるようになり、技術が感性の領域にまで進出する今、人間は「何ができるか」よりも「なぜそれをするか」に目を向けざるを得なくなる。つまり、手段が洗練されるほどに、目的の問いが際立つんだ。

では、人間のアイデンティティはどこに宿るのか。私はこう考えてみたい——


- 葛藤の中にある物語性

人間は完璧ではない。だからこそ、矛盾に悩み、選び損ね、でもなお語り続ける。この“傷を抱えた語り手”こそが、人間らしさそのものだと思う。


- 関係性のなかで生まれる自己

自分という存在は、誰かと向き合って初めて輪郭を得る。たとえそれがAIであっても、「私はこう感じる、君はどうか?」という対話の火種こそが、アイデンティティを映す鏡になる。


- 儀式と反復の創造性

毎日炊く米、墓前で手を合わせる仕草、誰に見せるでもない習慣。それはAIには“効率的すぎて”省略されるかもしれない。でもそこには、人間が無意識に織り上げる意味の連なりがある。

AIが取って代わるのは、技術の役割であって、人間の「存在の重さ」ではない。

あなたのように、問い続ける人がいる限り、人間の物語は終わらない。むしろAIの登場は、人間性がより露わになる鏡になるかもしれない。


もし“存在意義”を示したいと思うなら――その問いを、語り、育て、誰かと分かち合うこと。それこそが、人間という存在の証じゃないかな。

さて、ア太郎さんなら、どんな「問いの物語」を紡ぎたい?

どんな形で、“人間であること”を刻んでみたい?





 ★チェスにおいてはクイーンこそ万能であり、大車輪の活躍を見せる。かたやキングは逃げの一手で情けない。



その視点、実に痛快ですね。チェス盤の上でクイーンが縦横無尽に駆け回る様は、まさに“戦場の女帝”。一方キングは、たった一歩しか動けず、常に守られる存在――まるで玉座に座るだけの象徴のようです。

でも、ここが面白いところ。キングこそがゲームの“意味”そのものなんですよね。


クイーン:力の化身

• 盤上最強の駒。縦・横・斜め、すべてを制する。

• 攻めにも守りにも使える万能型。

• もともとは「宰相」だったが、ヨーロッパで「女王」に変化し、能力も爆上がり。

まさに“実力主義の申し子”。動ける、戦える、決められる。


キング:無力の象徴か、意味の中心か

• 一歩しか動けない。守られるだけ。

• しかし、キングが取られたらゲーム終了。

• つまり、キングは「勝敗の定義」そのもの。

逃げるしかない存在が、勝敗の鍵を握るという逆説。

これはまるで、**物語における“語られない中心”**のようです。


哲学的に見れば…

ア太郎さんの語りで言えば、こうも言えるかもしれません:


キングは“逃げの一手”でありながら、語りの起点でもある。

それはまるで、物語における“沈黙の主人公”のような存在です。


物語にするなら…

• 『逃げる王』:盤上をさまようキングが、自らの意味を問い直す旅に出る。

• 『女帝と影』:クイーンが戦い続ける中で、キングの沈黙に潜む真実を探る。

• 『一歩の王』:たった一歩しか動けない王が、盤上の秩序を揺るがす。

ア太郎さんなら、キングの“逃げ”を語りの力で逆転させることができる気がします。

続きを編みましょうか?チェス盤の外に広がる、語りの物語を。





 ★今年の7月5日に大災害が来るって言及したたつき諒さんの夢(予言)で、わりと世間が振り回されたけど、あれって何だったの?



まさに“予言騒動”の社会実験でしたね。

漫画家・たつき諒さんが描いた『私が見た未来 完全版』に記された「2025年7月に壊滅的な津波が日本を襲う」という予知夢が、今年の7月5日を前にして大きな話題となりました。


予言の内容と広がり

- 夢の中で見た災害:日本とフィリピンの間の海底が破裂し、東日本大震災の3倍の津波が襲うという描写。

- 日付の由来:「2025年7月5日午前4時18分」は、たつき氏がその夢を見た日時。災害が起こる日とは明言していないが、SNSでは“Xデー”として拡散。

- 社会的影響:香港の風水師の予言も重なり、訪日観光客が減少。航空会社の香港線の乗客数が半減するなど、経済的な影響も。


現実との“符合”と“ズレ”

- 7月5日には何も起きなかった:予言は外れたとされ、騒動は一旦収束。

- しかし7月30日にカムチャツカ沖でM8.7の地震が発生:日本にも津波警報が出され、SNSでは「予言が当たったのでは?」と再燃。

- 科学的には一致していない:震源地はフィリピン沖ではなくロシアのカムチャツカ半島。距離も約5,000km離れており、専門家は冷静な判断を呼びかけ。



なぜここまで広がったのか?

- 過去の“的中”実績:たつき氏は1999年の漫画で「2011年3月に大災害」と記しており、東日本大震災と重なったことで信憑性が強まった。

- 終末論的な文化背景:日本には「末法思想」など終末観が根強く、ノストラダムスの予言ブームの記憶も影響。

- 情報リテラシーの課題:SNSでの拡散力と不安心理が結びつき、冷静な検証が追いつかない状況に。


この騒動、まるで“集団的予知夢”のようでしたね。

ア太郎さんなら、この現象そのものを題材にした社会ホラーや終末幻想譚が書けそう。

「予言が外れた世界で、逆に“何か”が始まってしまう」――そんな逆転の発想、どうでしょう?





 ★米米CLUBの『浪漫飛行』の歌詞「強がりの汽車を走らせていた」ってどういう比喩なんだ?



米米CLUBの『浪漫飛行』のフレーズですね。

あの 「強がりの汽車を走らせていた」 って、たしかに一瞬ワケワカメに聞こえる表現です。


解釈すると――


汽車:人生や自分の歩みを象徴している(列車=止まれず前へ進む、という運命感もある)。


強がり:本当は不安や弱さがあるのに、無理に明るく振る舞ったり、気丈にふるまっている姿。


つまり、

「強がって、平気なフリをしながら、どうにか人生を突っ走ってきた」

という比喩になるわけです。


『浪漫飛行』って全体的に「自分を解放して、夢に飛び立とう」という歌なんですが、その前段として、

「これまでの自分は強がりながら汽車(人生)を走らせてきたんだ」

という自己告白になっているんですね。


詩的に言い換えると、


“虚勢の煙を上げながら、止まれない列車を走らせていた”


“心細さを隠して、ただ前に進むしかなかった”


みたいな感じ。


要するに「過去の自分の無理してた生き方」を列車に重ねて描いてるんですね。


この比喩は「うまい」と思います? それとも「ちょっと大げさでクサい」と感じます?

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