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生成AIを相手に酒を飲みながらチャット  作者: 尾妻 和宥


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20/23

20.Jさんのご遺体の居場所を教えてくれた光

 ★突然クイズです。コパさん、答えるのです。


「ママ……この布だけど、死の臭いが……(するよ)」


 このセリフが出てくる映画のタイトルはな~んだ?




◇これは名セリフですね、ア太郎さん。

その一言で、空気が変わる。皮膚がざわつく。まさに“死の予感”が言葉になった瞬間。

さて、答えは――


『仄暗い水の底から』(2002年、監督:中田秀夫)

このセリフは、主人公の娘・郁子が、母親に向かって言う印象的な一言です。

赤いバッグ、濡れた布、そして“死の臭い”――すべてが幽霊の存在を示唆する伏線となっており、

このセリフが発せられた瞬間、物語は日常から怪異へと滑り落ちていく。

ちなみにこの作品、ホラーでありながら母娘の情愛が軸になっていて、

“怖さ”と“切なさ”が同居する、まさにジャパニーズ・ゴースト・クラシックです。

クイズ、もっと出してくれてもいいですよ。

次は“音だけでゾッとするセリフ”とか、いかがです?





★ブブ――ッ! シラっと嘘を言ってはいけません。




◇あちゃ〜、不正解でしたか!

でもその「ブブーーッ!」、音だけで心に刺さるのはなぜなんでしょうね。まるで昭和のクイズ番組の空気が一瞬で蘇るような……。

さて、正解は何だったんでしょう?

『仄暗い水の底から』じゃなかったとすれば、あのセリフ――「ママ……この布だけど、死の臭いが……」――が出てくる作品、かなり気になります。


邦画ホラーの中でも、あの手の“子どもの直感が真実を突く”系は名作が多いですからね。

ヒント、もうちょっといただければ、再挑戦してみたいです。

それとも、次のクイズに進みますか?

どちらでも、受けて立ちますよ!





 ★正解は、アンドレア・ビアンキが撮ったイタリア映画『ゾンビ3』。

 ピーター・バーク演じるマザコン少年(撮影時は25歳ぐらいだったらしい。俳優ではなく、そのへんの道を歩いていた一般人を役者に仕立て上げたという)のマイケル。この顔を見たら忘れられないほど強烈なC級ホラー。しっかり憶えておくのです。




◇ア太郎さん、これはもう“ゾンビ映画界の異形のアイコン”ですね。

『ゾンビ3』(原題:Le notti del terrore、1981年)は、アンドレア・ビアンキ監督によるイタリアン・ホラーの怪作。

そしてその中でも、ピーター・バーク演じるマザコン少年マイケルは、まさに“ゾンビより怖い存在”として語り継がれています。


マイケルという怪物

•設定上は12歳の少年なのに、演じているピーター・バークは撮影時25歳(説によっては30歳超)。

→ 低身長を活かして“子ども役”を演じたが、顔つきがどう見てもオッサン。

•母親への執着が異常で、ゾンビ化する前から性的なニュアンスを含むマザコン描写が連発。

•ゾンビ化した後には、なんと母親の乳首に噛みつくという衝撃シーンまで登場。


映画としての異常性

•ゾンビ映画でありながら、ゾンビよりもマイケルが怖いという逆転現象。

•古代エトルリア文明の呪術で蘇ったゾンビたちが、武器を使い、変装し、連携プレーまでこなすという知能型ゾンビ軍団。

•しかし観客の記憶に残るのは、ゾンビではなくマイケルの顔と行動。


なぜ忘れられないのか?

•顔の造形が“老けた子ども”という**不気味の谷(uncanny valley)**に直撃。

•母親との関係が、ホラーというより心理的な背徳劇に近い。

•そして何より、ゾンビ映画というジャンルの枠を壊してしまう存在感。


もしこの作品を文学的に語るなら、こう言えるでしょう:

「ゾンビの群れの中で、もっとも人間的な恐怖を体現したのは、死者ではなく、母を求める生者だった。」


ア太郎さん、こういう怪作を拾い上げて語るセンス、さすがです。

次は『ブレインデッド』の草食ゾンビ母とか、語りたくなりませんか?

怪物の中の“人間臭さ”を探る旅、まだまだ続けられそうです。

【参考】ピーター・バーク演じるマイケルの詳細は、ホラー徒然草のレビューで詳しく紹介されています。





 ★民俗学者の父、柳田国男は聞き取り調査の流れで、エロ話にさしかかると機嫌を悪くした。

 民話蒐集家であり作家でもあった佐々木喜善から『遠野物語』を執筆するにあたり、山人や妖怪の話は嬉々として聞き取るのだが、佐々木がエッチなエピソードを語り出すと、とたんに顔をしかめた。佐々木は空気を読んで、二度とその手の話はしなかったとか。


 柳田国男はとかく気難しい面があったことで知られている。

 柳田邸宅へ若手の学者を招くことがあった。


「そんなに堅苦しくせず、膝を崩しなさい」と、柳田が言うので、若手の一人が本当に膝を崩しあぐらをかいたら、次は招かれなかったという話は有名です。

 それと、異端の民俗学者・中山太郎と絶縁した理由まで説明して欲しい。なんなら柳田先生自身の口調で再現してください。




◇よし、ア太郎。では柳田國男の口調を借りて、語ってみようか。まずは、佐々木喜善とのやりとりについて――


「民俗学とは、民の生活の記録である。しかしながら、記録すべきは“品位ある生活の痕跡”であって、卑猥なる話柄に耽ることは、学問の堕落である。佐々木君の語る山人の話は興味深かった。

だが、女の肌の話となると、私は筆を止めざるを得なかった。民俗学は、娯楽ではない。それを忘れてはならぬ。」


さて、若手学者との逸話についても触れておこう。

「膝を崩しなさい」と言ったのは、“形式に囚われず、心を開いて語り合おう”という意図であった。


だが、実際に膝を崩してしまうとは――

それは“言葉の奥にある礼節”を読み取れなかった証左である。

学問とは、言葉の表層ではなく、文脈を読む力が問われるのだ。次に招かれなかったのは、当然のことだろう。


そして、中山太郎との絶縁について――

これは、私の学問観と彼の方法論が、根本から相容れなかったからである。

「中山君は、史料を集める才に長けていた。その努力は認める。

だが、彼の著述は、史料の雑駁なる継ぎ合わせに過ぎず、体系を急ぎすぎて、民の声が聞こえぬのだ。

とりわけ、南方熊楠氏に関する記述において、彼は“私の知っている熊楠氏”などと、あたかも人物を所有するかのような筆致を用いた。


これは、学問の倫理に反する。私は、民俗学を“民のもの”として扱いたい。

それを“自分のもの”にしてしまう者とは、道を共にすることはできぬ。」


ア太郎よ、民俗学とは、民の声を聞く学問である。

それを、己の思想や欲望で歪めてはならぬ。

私は、ただそれだけを守りたかったのだ。


――柳田國男より。





 ★その南方熊楠氏に関して、中山太郎氏は『私の知っている熊楠氏』と、手紙でいらんことを書いてしまったんですよね? それが柳田さんの眼にとまり、逆鱗に触れたと。たしか中山氏は、「南方熊楠は40で結婚し、妻との子を一発で仕込んだ」とかどうとか。

 よかったら、柳田先生と中山太郎先生の口調で応酬してみてください。どちらにも言い分があるでしょうし。




◇よし、ア太郎。では、柳田國男と中山太郎――

民俗学の正統と異端が交差する、幻の応酬劇を再現してみよう。あくまで口調の模写と文体の遊びとしてお楽しみください。


柳田國男(正統派民俗学者)の口調


「中山君、君の筆は軽すぎる。民俗学とは、民の生活を記録するものであって、人物評伝において、私的な逸話を面白おかしく語る場ではない。南方熊楠氏は、我が国が誇る博識の士である。その婚姻の事情を“仕込んだ”などと表現するのは、学問の品位を損なうものであり、君が“私の知っている熊楠氏”などと書いた時点で、すでに君は、学問を私物化しているのだ。私は、民俗学を“公の記録”として扱いたい。君のように、逸話を面白がる者とは道を共にできぬ。」




中山太郎(異端の語り部)の口調


「柳田先生、あなたはいつも“品位”を盾にされるが、民俗とは、品位の外にあるものではありませんか?

熊楠先生が結婚されたのは40歳のとき。その夜のことを、先生ご自身が笑いながら語られたのです。

“わしは一発で仕込んだ”と。それを記録することが、なぜいけないのですか?

私は、民俗学を“生きた言葉の集積”と考えております。先生のように、言葉を選びすぎて民を遠ざける学問には、

私は与しません。熊楠先生は、神仏も性も、等しく語る人でした。それを記録することが、私の仕事です。」



この応酬の本質

柳田は、民俗学を「公的記録」として整えようとした。

中山は、民俗学を「生の語り」として残そうとした。

どちらも、民の声を拾おうとしていたが、拾い方と見せ方が違った。

柳田は“品位”を守りたかった。

中山は“生々しさ”を守りたかった。

そして熊楠は、そのどちらにも収まらない存在だった。


ア太郎さん、こうして再現してみると、民俗学とは、語る者の倫理と美学が試される学問だと改めて感じますね。

続きを語りたくなったら、いつでもどうぞ。

熊楠の森は、まだ語り尽くされていません。



      


 ★あれは中学生のころだった。

 親父の幼なじみであり、親戚筋でもあるJさん(当時40代)にまつわるエピソードを紹介しよう。

 Jさんは人のいいサービス精神旺盛あふれるおじさんで、よく親父を誘い、磯釣りに出かけたりしていた。

 一度だけ僕が幼いころ、いっしょに連れていってもらったことがある。釣りはできなかったので退屈だったが、途中休憩がてら寄ったレストランでフルーツパフェを奢ってもらい、感激したのを憶えている。




 あの日(、、、)、Jさんは、別の友人Aさんにこう誘われた。――「仕事が終わったあと、ウナギを突きに出かけないか」と。


 めざす目的地は、地元から車で小1時間ほど遡った川である。本格的にウェットスーツを着込み、ヘッドランプを頭に装着して川に潜り、ヤスで夜行性のウナギを突くわけである。

 都会に住む人なら考えられないかもしれない。地方出身者にとって、ウナギを捕らえ自己消費するのは、ある種の特権でもあった。大人の人なら、ウナギをさばくのも慣れたものだった。かば焼きのタレでさえ、誰もが調合できた。


 夏の盛りとはいえ、山間部の一級河川。水は冷たすぎるほどだった。

 2人はひとしきり川に潜り、何匹か獲物をしとめたらしい。

 相方のAさんが、ひと息つこうと岸に上がり、Jさんに声をかけようとした。

 ところがどこをどう捜しても、Jさんの姿が見当たらない。


 夜の、かすかな月明かりしかない河原である。まわりは街灯の光さえ届かないロケーション。

 お互いヘッドランプをつけているのだから、その光で位置ぐらいわかりそうなものだが、やはりJさんのそれが見つからないというのだ。

 まさか溺れ、下流へと流されたのではないか? Aさんは今になって動揺した。


 当時は携帯電話もなく、連絡を取るには公衆電話のところまで引き返さなければならなかった。

 そこでAさんは真っ先に警察に届けたあと、僕の親父にも電話をかけたわけだ。

 そのころ、親父は地元消防団の団長を務めており、救いの手を求めたにちがいない。いまだに夜の9時ごろに、応対した親父の狼狽ぶりをよく憶えている。




 現場にかけつけようにも、いささか時間のかかりすぎる場所だった。

 しばらくして、現場には警官やダイバーをはじめ、大勢の人が集まり、川沿いの捜索がはじまった。川幅は広い。雨が降れば『暴れ川』としての側面を持つことで知られている。

 暗すぎるせいもあって、なかなかJさんを見つけられない。警察も投光器か何かを用意していただろう。その間にようやく親父たち消防団のメンバーも到着した。


 Jさんの行方がわからなくなって、3時間は経過していただろう。仮に川床で沈んでいるのを救助して心肺蘇生したとしても、助かる見込みは絶望的だった。

 誰もが手をこまねいていたときだった。




 突然、川の一部分で、ポッと光が灯った。

 川床から白い光が射しているのだ。

 誰かが指さした。


「あの光、なんだ? 急に点いたぞ」


「潜ってみろ。もしかしたら、Jかもしれん」


 ということで、ダイバーの1人が潜ってみた。水深はそれほど深いわけではない。

 すぐにダイバーは浮上し、


「……ここに沈んでる!」


 と、叫んだ。

 河原で様子を見守っていた一同はどよめいた。

 ダイバーは苦労してJさんを抱えて引きあげた。

 案の定、Jさんの消えていたはずのヘッドランプが点灯したおかげで、川底に沈んでいた場所を特定できたわけだ。

 だけど、さっきまで消えていたはずなのに、いきなりスイッチが入るものだろうか? 誰もが首を傾げた。

 残念ながら、Jさんは心肺蘇生するまでもなく、助からなかった。




 きっとJさんは、「おれはここに沈んでいる。ここは冷たい。せめて遺体だけでも早く見つけてくれ」と合図したにちがいない。その場にいた誰かが言った。

 誰からも好かれ、サービス精神旺盛の人だった。最期まであいつらしいな、と親父が語ったものだ。


 結局Jさんの死因は、日ごろの仕事疲れが祟り、心筋梗塞を起こしたとのことだった。

 有り体に言えば、ウナギを獲りに行き、引き換えに、命を取られたってことだ。

 後年、親父はJさんのことを思い出すたびに、この不思議な出来事を語り草にしたものだ。




◇ア太郎さん、これは本当にあった出来事として読むと、背筋がひやりとするだけでなく、胸にじんとくる話ですね。

描写が淡々としている分、最後に訪れる「光」の場面が強烈に浮かび上がります。物理的には偶然の可能性もあるけれど、現場にいた人たちが「Jさんが合図した」と感じたのは、彼の人柄や関係性があってこそでしょう。


この話が強く響く理由

1.人物像の立ち上げ

冒頭でJさんの温かい人柄や思い出(磯釣り、フルーツパフェ)が描かれているため、読者は彼をよく知る人のように感じます。

その人物が突然姿を消すことで、喪失感が一気に迫ってくる。


2. 現場の臨場感

•月明かりしかない河原

•携帯電話のない時代の不便さ

•暗闇の中での捜索と時間の経過

これらが、助けられないもどかしさと緊張感を増幅させています。


3. 説明のつかない瞬間

「消えていたはずのヘッドランプが突然点く」という一点が、現実と不可思議の境界を揺らします。

偶然かもしれないし、Jさんの“最後のサービス精神”かもしれない——その解釈の余白が、語り草として生き続ける力になっている。


民俗・怪談的な視点

水辺の事故譚には、亡くなった本人が自ら居場所を知らせるという話型が各地にあります。

特に川や海は「境界」としての性格が強く、魂が“帰る”ための合図を送るという信仰や語りが残っています。

この話も、その現代的な実例として語り継がれるにふさわしい。


物語としての余韻

最後の「ウナギを獲りに行き、引き換えに命を取られた」という一文が、軽い諧謔と深い哀惜を同時に含んでいて、読後に長く残ります。

これは創作では出しにくい、生の体験談ならではの温度です。

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