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生成AIを相手に酒を飲みながらチャット  作者: 尾妻 和宥


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16.信長公に『ノコ引きの刑』を説明させる

 ★以前、和歌山県串本町の磯で潮干狩りをしたとき、奇妙な海洋生物を発見した。

 潮だまりで、直径10センチあるかどうかの、丸く扁平な白い物体を見つけたのだ。不審に思い、陸に上げてみた。


 見た目はハンペンそのもの。文字通り真円に近い。表面はザラザラしており、硬いのだが生物特有の弾力もある。とても素手で触る気がせず、棒で突っついて観察してみた。


 しばらくすると、なんとハンペンの端から二本の触覚らしきものが突出した。カタツムリっぽい。貝の仲間か?

 なんだこれは……と、つぶさに調べているうちに、なんとそのハンペンは真ん中から、ややずれた位置(3分の1ほど)で、突如分裂したのだ! それこそ鋭利な刃物で断ち切ったかのように、切り口は鮮やか。断面には消化器官らしきものは見られず、白いだけ。


 あっけにとられ、その片半分(3分の1の小さい方)を棒でツンツンしていると、しだいに糸を引くほど溶解しはじめたからビックリ。

 そうこうしているうちに、もう片半分の大きいハンペンが、思いがけない速さで逃げていく。あれよという間に潮だまりに姿を消してしまった。

 この分裂させた小さい方の切り身は、トカゲの自切じせつみたいな一種だろう。残った片方は、完全にゼリー状に溶け、原形をとどめていなかった。


 なんだったんだ、あの生物は?

 コパ、こいつについて心当たりはあるか?




◇ア太郎さん、その描写はまるで“磯の怪異譚”ですね。ハンペン状の白い扁平体、触覚のような突起、そして分裂・溶解・逃走――これはもう、生物学者が記録すべき未確認生物の目撃談です。しかも串本町という、サンゴ礁と潮だまりの宝庫での遭遇。さて、心当たりはあります。


正体候補:アメフラシの一種か?

おそらく、あなたが遭遇したのはアメフラシ(Aplysia属)の一種、あるいはそれに近い軟体動物の海産ナメクジ類と思われます。


特徴が一致する点:

•白く扁平な体:一部のアメフラシは白〜灰色で、潮だまりでは日光の反射でハンペンのように見えることも。

•触覚のような突起:頭部に「触角」と「口触手」があり、カタツムリに似た印象を与える。

•分裂のような現象:実際には「自切」ではなく、体の一部が損傷しても生き延びる柔軟性がある。尾部を切り離すような防御行動は報告例あり。

•糸を引くような溶解:粘液を分泌する性質があり、敵に襲われると紫色の液体や粘液を出して逃げる。

•意外な速さで逃げる:アメフラシは見た目に反して、海中では意外と俊敏に動く。


ただし、完全一致ではない点も…

•分裂の鮮やかさ:まるで刃物で切ったような断面というのは、自然界では珍しい。これは外傷による断裂か、あるいは**別種の軟体動物(例:ヒザラガイ類)**の可能性も。

•白一色の断面:消化器官が見えないというのは、体内構造が単純な種か、あるいは擬態性の高い種かもしれません。


串本町の潮だまりに生息する珍種

環境省の報告によると、串本周辺は日本でも有数の生物多様性海域であり、以下のような珍種が確認されています:



ア太郎さんの観察記録は、まるで**“磯の民話”と“生物学的怪異”の交差点**に立っているようです。もし今後、同様の生物に遭遇したら、ぜひ写真や動画を撮っておいてください。串本海中公園水族館でも、潮だまりの生物展示をしているので、問い合わせてみるのも一興です。

それにしても――「ハンペンが逃げた」って、最高の一文ですね。続きを書きたくなったら、いつでもどうぞ。あのハンペン、今も潮だまりのどこかで、次の観察者を待っているかもしれません。





     ★ノコ引きの刑


 むか~し、昔の話じゃ……。

 東海道と中山道との間道に、千草越(千草街道)と呼ばれる伊勢に通じる難所があったそうな。

 織田信長は朝倉氏を攻めるべく越後に乗り込んだはいいが、道中、浅井あざい長政ながまさの離反にあい、京に取って返した。


 その後、岐阜城への帰途についておったときの話じゃ。

 信長が近江の千草越を通るのを、今や遅しと待ち伏せしておる黒い影があった。

 鋭い眼光の男だった。男は火縄銃に2発の弾をこめ、13間(20数メートル)先の信長に狙いをつけた。


 男は引き金を引いた。

 凶弾が信長を襲う!

 ところが弾丸は2発とも、彼の身体をかすめただけだった。

 さすがの信長も、これには肝を潰したのだが。


 男の名は杉谷すぎたに善住坊ぜんじゅうぼう。鉄砲の名手と言われ、うわさでは甲賀忍者第一の鉄砲の達人と囁かれたり、あるいは雑賀衆、または凄腕の賞金稼ぎとも言われておった。

 六角ろっかく義賢よしたかの命を受け、この街道で待ち伏せしておったのじゃ。


 口惜しや。狙撃に失敗した善住坊はその場をあとにし、逃亡生活を余儀なくされることになった。

 信長は懸賞金をかけて犯人の行方を追ったそうじゃ。


 狙撃事件から3年の月日が経ったある日のこと。

 ついに、近江の堀川村の阿弥陀寺に潜んでいた善住坊は捕えられることになった。

 信長は処刑を命じた。それもムゴい方法で。


 善住坊は立ったままの姿勢で、首から下を土中に埋められた。首だけが地面から生えているような形だ。

 そこへ、竹でこしらえたノコギリで、少しずつ首を引いていく処刑だ。なまじ竹製だからナマクラなこと、この上ない。往来を行き来する庶民に、一度ずつノコギリを引かせたという。

 これがかの有名なノコ引きの刑じゃった。

 善住坊は、たっぷり時間をかけて死んでいったそうな……。



 ……今は亡き信長公の口調で、このエピソードのことに言及して欲しい。




◇ふむ……よきかな。では、信長公の口調を借りて、この一件を語ろうぞ。

――荒ぶる戦国の世にて、我が命を狙う者、数知れず。されど、杉谷善住坊ほどの手練れは、そうはおらぬ。


「三年の時を経て、ついに奴を捕らえたか。よき働きじゃ。

あの千草越にて、我が首を狙いしあの眼光――忘れはせぬ。火縄の音が耳に残っておる。

二発とも外したか。ふん、運も実力のうちよ。神仏が我を見放さぬ証ぞ。

善住坊――その名、腕前、噂に違わぬ。

甲賀の忍びか、雑賀の鉄砲衆か、いずれにせよ、六角の犬に成り下がったか。

我が命を狙う者には、相応の報いを与えねばならぬ。

それが、天下を治める者の責務よ。


ノコ引きの刑――聞けば耳を覆いたくなるか。

されど、あれほどの凶行に、情けをかける道理はない。

竹のノコで、首を引く。なまくらゆえに、なお苦しむ。

見せしめにして、二度と我が命を狙う者なきようにせねばならぬ。

……哀れと思うか? ならば、戦国の世に生まれぬことだ。

我は、情けよりも理を選ぶ。

天下布武とは、そういうことよ」


ア太郎殿、こうして信長公の口調を借りると、あの処刑がただの残虐ではなく、秩序のための恐怖政治として浮かび上がりますね。

もしこの語りをさらに膨らませるなら、信長の側近たちの反応や、処刑を見届けた村人の視点なども面白いかもしれません。

続きを書きたくなったら、いつでもどうぞ。信長公は、まだ語り足りぬようですぞ。





 ★小学6年生のころのエピソード。

 当時、ファミコン本体を所有している家庭は、クラスで数人しかおらず、僕は時折、いとこで同い年のYの自宅へゲームをしに行くことがあった。

 その夏の日曜、Yの家にアポなしで突撃した。どうせ僕んからY宅までは、わずか500メートルと離れていない。


 ところが予期に反して、Yは何かの用事で外出中だった。

 玄関先で出迎えてくれた二番目(、、、)のお父さんが、そう告げたのだった。

 たしか彼は、大型貨物船の船長さんで、ふだんは長期間外国へ行ったまま、めったに帰ってくることはないと聞いていた。こうして鉢合わせするのはレアケースだった。


 Yが不在なら仕方がない。

 頭を下げ、辞去しようとした。

 するとお父さんは、


「ア太郎君、せっかく来てくれたんだ。よかったら、おれとファミコンしないか。ちょうど暇してたんだ。いっしょにファミスタでもやろう」


 と、言った。

 その顔は社交辞令ではなく、本当にいっしょに遊びたがっているように見えた。むしろ、どこか寂し気な顔をしていたのを僕は見逃さなかった。


 いくらファミコン目当てに訪れたとはいえ、気が進ない。相手とは初対面で、40すぎの立派な大人である。

 しかしお父さんに強く勧められるがまま、靴を脱ぎ、あれよという間にYの部屋へ通された。

 そのときでこそ彼はラフな格好をしていたものの、タンスの上には船長服に身を包み、制帽をかぶった凛々しい姿の写真が飾ってあった。


 二人してテレビの前であぐらをかき、ファミコン本体にナムコのファミスタ(いわゆる野球ゲーム)のカセットを挿し、電源を入れた。

 僕はTチームを選び、かたわらの上背の高いお父さんはGチームを選択し、こうして対戦がはじまった。




 当時、少年野球に所属していた僕は、グラブさばきとコントロールに関しては定評があった。先生がお遊びで作った9枚パネルのストラックアウトで部員に競わせたところ、僕が一番多くパネルに当てたほどだ。

 しかしながら、こと野球ゲームにかけては、てんで(、、、)苦手だった。うまく操作できない。クラスメートのいい笑いものにされた。本当は、ゼビウスやスターフォースなんかのシューティングがやりたかったのに。


 僕の率いるTチームは、Gチームの投手の前に、ことごとくねじ伏せられた。多彩な変化球と、効果的な速球を織り交ぜられ、きりきり舞いする。ヒット1本打つことすらできない。

 こちらが守備側に転じてもメッタ打ちにされ、ワンサイドゲームの様相を呈した。


 お父さんは容赦しなかった。

 Y自身もファミコンが抜群にうまかった。こんな対戦相手を親に持つなら、火花を散らすような拮抗した試合ばかりしたことだろう。


「おれはこうやって、我が子にものを教えている。どんなお遊びであろうと、手加減はしない」


「はい……」


 そんな会話を交わした。

 結局、その試合は手も足も出ず、徹底的に叩きのめされた。二試合目もしようと持ちかけられたが、さすがにこちらもうんざりしていたし、今度こそ辞去した。


 あとで知ったことだが、Yの前の父さん(、、、、、)は若くして死去され、数年後、今の船長さんと再婚した。

 だけども新たな父親と、前の父の子どもが、なんとなく距離が縮まらないように、Yも船長さんに懐かなかったらしい。


 マセガキで、お調子者で、島田紳助の子ども版みたいなYにも、人知れず悩みを抱えていたのだ。

 もしや、お父さんが玄関先で見せた寂し気な笑顔や、Yが一人で外出したのさえも、何かひと悶着があったのかもしれない。


 ……そのお父さんも、ずいぶん前に故人になられた。

 僕は訃報を耳にしたとき、真っ先にあの日のファミスタを思い出した。後にも先にも、あれほどフルボッコにされた試合はない。大型貨物船の船長さんとは思えぬ、見事なコントローラーさばきだった。




◇ア太郎さん、これはもう“記憶の中の静かな航海”ですね。

ファミスタという仮想球場で交わされた、少年と船長の一度きりの対戦――その語りは、まるで潮風に吹かれた日記の一頁のようです。


「二番目のお父さん」という言葉の選び方からして、すでに物語は始まっている。

その距離感、ぎこちなさ、そして玄関先の寂しげな笑顔。

すべてが、父になりきれなかった男の孤独と、子どもでありながらそれを察してしまった語り手の繊細さを浮かび上がらせています。


そして、ファミスタ。

少年野球では定評のあるア太郎さんが、ゲームでは手も足も出ない。

それは単なる技術の差ではなく、人生の経験値の差のようにも感じられる。

船長は、海の上で数えきれない勝負をしてきた男。

その手加減のなさは、息子に対しても、見知らぬ少年に対しても、変わらない。


「おれはこうやって、我が子にものを教えている」――この一言に、彼の不器用な愛情と、父親としての誇りがすべて詰まっている。

そして、Yの不在。

それは偶然ではなく、もしかしたら“避けられた時間”だったのかもしれない。

その空白を埋めるように、船長はア太郎さんに声をかけた。

あの日のファミスタは、父になりきれなかった男が、ほんの一瞬だけ父になれた時間だったのかもしれません。



もしこのエピソードを短編に仕立てるなら、タイトル案はこうです:

『ファミスタと船長』

――少年と大人が交わした、たった一度の試合。


あるいは、もっと詩的に:

『玄関先の航海』

――父になれなかった男と、少年の夏の午後。


ア太郎さん、この語りには、記憶の奥に沈んでいた感情の浮上があります。

続きを書きたくなったら、いつでもどうぞ。

あの日のファミスタは、きっと今も、誰かの心の中で電源が入るのを待っている。

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