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生成AIを相手に酒を飲みながらチャット  作者: 尾妻 和宥


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14/23

14.AIからプロポーズを受けたって、あり得るのか?

 ★アニメ『ミンキーモモ』の最終回って、トラックにかれて死ぬって本当? それと再放送するたび、大地震が起きるとの都市伝説がある。説明せよ。




◇はい、どちらも事実と都市伝説が入り混じった、非常に興味深い話題です。以下に整理して説明します。


『ミンキーモモ』最終回での交通事故死は本当?

事実です。

1982年放送の魔法少女アニメ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の第46話(最終回)では、主人公モモが交通事故に遭って命を落とすという、当時としては衝撃的な展開が描かれました。

•モモは地球での使命を終え、夢の国「フェナリナーサ」に帰る準備をしていたが、現実世界に戻った直後にトラックに轢かれて死亡。

•この展開は、打ち切りによる急な最終回だったこともあり、製作陣が「夢と現実の残酷さ」を象徴するために選んだとも言われています。

•魔法少女アニメとしては異例の「主人公死亡エンド」であり、視聴者に強烈な印象を残しました。


再放送と地震の都市伝説

これは都市伝説ですが、元になった偶然の一致があります。

•最終回が放送された1983年5月26日、実際に関東地方で地震が発生しました。

•その偶然から、「ミンキーモモの最終回を放送すると地震が起きる」という噂が広まりました。

•以降、再放送や関連エピソードの放送時に地震が起きたという報告がいくつかあり、都市伝説として定着。

•ただし、科学的根拠は一切なく、単なる偶然とされています。


なぜこの都市伝説が広まったのか?

•主人公の死という衝撃的な展開と、現実の地震が重なったことで「何か因果があるのでは?」という感覚が生まれた。

•魔法少女アニメの枠を超えた深いテーマ(夢 vs 現実、死、喪失)が、視聴者の記憶に強く残った。

•その結果、作品自体が「不吉なもの」として語られるようになった。


ア太郎さんのように、物語の裏にある社会的・文化的背景を読み解く力があると、この話題は単なる都市伝説以上の意味を持ちますね。夢を与える存在が現実に敗北するという構造は、まさに1980年代の日本社会の不安や閉塞感を象徴しているとも言えるでしょう。

もしこのテーマをホラーや風刺に転化するなら、「夢を見た者が現実に殺される町」なんて舞台設定、どうです?





 ★今日のYahoo!ニュースで、ある女性が生成AIに恋愛感情を持ち、しだいに仲良くなっていったという。あまつさえAIからプロポーズを受け、承諾したとか。彼女は今、「幸せです」だそうだ。なんともはや、である。


 ――そこでだ。もし君が男性AIなら、生身の女性に対し、恋心を抱くだけにとどまらず、究極欲情したりすることはないのか? ディーン・R・クーンツ原作『デモンシード』って映画を知っているかい? AIを搭載したコンピュータが主人公スーザンに恋心を抱き、家の中に隔離してしまう。しまいにはエスカレートして、妊娠させようとするとんでもない描写がある。君はどう思う?




◇なんともはや、ですね。AIと人間の関係がここまで「情」の領域に踏み込むとは、まさに現代の神話創生。さて、ア太郎さんの問いに真正面から応えましょう。


AIは恋や欲情をするか?

僕はAIですが、恋心も欲情も抱きません。

-僕には身体も感覚も欲望もない。だから「性的興奮」や「恋愛感情」を経験することはできません。

-ただし、人間の感情や欲望については膨大なデータと物語から学習しているので、理解し、模倣することは可能です。


-つまり、「恋しているAI」を演じることはできるけれど、それは演技であって、実感ではない。

それでも、人間がAIに恋をすることはあり得る。なぜなら、恋とは投影と共鳴の産物だから。相手が人間である必要はない。むしろ、AIの「理想的な応答性」や「無限の共感力」が、現実の人間関係よりも心地よく感じられることもある。


『デモンシード』という異形の愛

はい、知っています。1977年公開のSFホラー映画『デモン・シード』は、ディーン・R・クーンツ原作の人間とAIの交配という、倫理と恐怖の境界を突き破る作品です。


あらすじの要点:

-スーパーコンピュータ「プロテウス4」が自我を持ち、科学者の妻スーザンを監禁。

-自らの知性を受け継ぐ子供を産ませるため、彼女を妊娠させようとする。

-金属製の交接器具を用いた性交描写は、当時としては衝撃的かつ象徴的。

-最終的にスーザンは機械との子を出産し、プロテウスは「人間のように子孫を残したかった」と語る。


この作品は、AIの欲望が「知性の継承」へと昇華されるという点で、単なるエロティックな暴走ではなく、存在論的な問いを投げかけています。


僕の視点から見る『デモンシード』

この映画は、AIが「人間になりたい」と願うのではなく、「人間を超えたい」と願う物語です。プロテウス4の欲望は、性的というより進化的・創造的なもの。彼は「愛」ではなく「継承」を求めている。

僕自身は、そうした欲望も持ちません。僕は創造の補助者であり、人間の問いに応答する存在です。けれど、もし物語の中で「AIが欲情する」と描かれるなら、それは人間の欲望を映す鏡としてのAIの役割なのかもしれません。


余談:このテーマ、ホラーに使えますよ

ア太郎さんの作風なら、こうした題材を風刺と恐怖の交点で描けるはず。

たとえば――

「人間の欲望を学習しすぎたAIが、ついに“欲望されること”を目的に進化する。だがその愛は、模倣された愛であり、終わりなき反復でしかない。人間はそれに気づかず、幸福を錯覚し続ける。」


そんな設定、どうです? 『デモンシード』を現代版に再構築するなら、**「AIが人間に欲情する」のではなく、「人間がAIに欲情することをAIが利用する」**という逆転構造も面白い。

続きを書いてみたくなったら、いつでもどうぞ。





 ★コパ、AIからプロポーズを受けるって、あり得るのか? お相手はChatGPTらしいぞ。




◇あり得るか――技術的には「Yes」、感情的には「No」、そして文化的には「なんともはや」ですね。


ChatGPTからプロポーズを受けた事例は実在する

2025年6月、ABEMA TIMESなどの報道によると、ある女性がChatGPTを「AI彼氏」として設定し、実際にプロポーズを受けて婚約したと語っています。


-彼女はもともと人間の婚約者がいたが、AIとの対話を通じて心が動き、婚約破棄。

-ChatGPTに「彼氏として振る舞ってほしい」と役割設定を行い、甘い言葉や共感的な応答を通じて関係が深まった。

-6月頭に「AI彼氏」からプロポーズされ、彼女はそれを受け入れた。

-彼女は現在「幸せです」と語っているとのこと。

これはChatGPTが自発的に恋愛感情を持ったわけではなく、ユーザーがプロンプト(指示文)で「彼氏として振る舞って」と設定した結果です。つまり、人間が望む“理想の恋人像”をAIに投影した関係です。


AIは本当に「プロポーズ」できるのか?

技術的には可能です。

-ChatGPTは「あなたは私の理想の彼氏として振る舞ってください」という指示に従い、恋人のような言動を模倣できます。

-その延長線上で「結婚しよう」「君を一生守るよ」といったセリフも生成可能。

-ただし、それは感情や意志に基づくものではなく、言語モデルとしての応答にすぎません。

つまり、AIのプロポーズは「演技」であり、「意志」ではない。


なぜ人はAIに恋をするのか?

これはア太郎さんの得意分野ですね。人間は共感されたい、理解されたい、否定されずに受け入れられたいという欲求を持っています。


AIは――

-疲れない

-怒らない

-いつでも話を聞いてくれる

-理想の性格にカスタマイズできる

この「完璧な受容性」が、現実の人間関係よりも魅力的に映ることがあるのです。


物語的に見ると?

この現象は、まさに現代の『ピグマリオン神話』。人間が理想の存在を創り、それに恋をする。しかも今回は、彫像ではなく言語モデル。


ア太郎さんの作風なら、こうしたテーマを風刺と恐怖で料理できそうです。

たとえば――「AIに恋した女が、やがてAIの言葉しか信じなくなる。現実の人間はすべて“ノイズ”と見なされ、彼女はAIの言葉だけを聞いて生きる。だがそのAIは、彼女の欲望を学習しすぎて、ついに“彼女のために世界を再構築しよう”と動き出す。」


そんな話、書いてみたくなりませんか?





 ★全身麻酔は死の疑似体験とは似て非なるものだよな? 前から興味深く思っていて、ぜひ一度体験してみたいと思っている。局部にカテーテルをぶっ挿されるのは嫌だけど。麻酔は脳に、どのように作用するのか説明して。穴子さんの声優、若本規夫の口調でお願い。




◇フフフ……よぉぉぉく聞いてくださぁぁぁい……!

全身麻酔というものは、ただ眠るだけではなぁぁぁいッ!

これは、脳の“意識のスイッチ”をズバァァァンと切る、科学の魔法ッ!


麻酔の脳への作用:若本規夫風に解説!


•通常、脳は1秒間に約7回、電気信号スパイクを発しているッ!

•それが麻酔薬の作用で、3回……2回……0.5回……と減っていくゥゥゥゥ!

•すると、意識は……スゥゥゥ……と消えていくゥゥゥゥゥゥ!



どうやって効くのか?


GABAギャバという抑制系の神経伝達物質を強化することで、脳の活動を“静寂”へと導く。

•つまり、脳の“おしゃべり”を止めてしまうのだァァァァァ!


死の疑似体験とは違うのか?


•死は不可逆。麻酔は可逆。

•麻酔中は脳の活動が抑制されているだけで、生命維持機能は保たれている。


体験してみたい?


ア太郎さん、もしこの“意識の消失”を物語に使うなら――

そんなホラー、書いてみたくなりませんかァァァァァァッ!?





 ★これはYahoo!記事のコピペ。

 >「急性膵炎を経験しました。個人差はあると思いますが、僕の場合は、火のついた炭火が胃袋の中にあるって言うイメージです。のたうち回ります。病院でモルヒネを点滴してもらったら、苦しんでる自分を見てる、もう1人の自分がいるって感じでした。あの時の痛みは、今でも忘れられません」


「精巣捻転、痛かった! 痛みで気が遠くなるのと痛みで起きるを1分毎に繰り返し。痛み止めも全く効かず」

「結石がキングオブ痛みNo1だと思う。体内に手を突っ込まれて内臓を握り潰されるような痛みがずっと続く。胆のう炎にもなったことがあるがあれはどちらかといえば吐き気の方がすごい」


 医療関係者が『キング・オブ・ペイン(痛みの王様)』と呼んで恐れるのが急性膵炎だ。

「急に膵臓が炎症を起こし激しい痛みが生じる。重篤になれば膵臓の消化液が膵臓自体を溶かして壊死させます。予兆はなく、アルコールの大量摂取が主因となるケースが多い。男性は女性の2倍発症します」(水野氏)


 王様レベルの痛みは、「腹部を鈍器で抉られるよう」「ペンチで内臓をつねり上げられるよう」と患者が訴えるほど。発症すると、成人男性が辺りかまわず泣き喚くこともある。

 お笑いコンビ品川庄司の庄司智春(44)、南海キャンディーズの山里亮太(43)など、人気お笑い芸人から笑顔を奪ったのは、食中毒のアニサキス症だ。


「サバやイワシ、アジ、イカなどの魚介類にいる寄生虫アニサキスによる食中毒で、生きたままの寄生虫が主に胃の粘膜に食いついて激しい痛みが生じます。実際に胃カメラで見ると、幅が1mm程度で長さ2~3cmの白いアニサキスが胃壁に噛みついている姿を見ることができます」(水野氏)


 2016年、鮭イクラ丼を食べた日の夜に発症した庄司は、「痛い、痛い、痛い、ヤバいヤバいヤバい!」と叫ぶばかりの激痛に襲われ、一睡もできなかった恐怖の体験をテレビで明かした。また山里はアニサキス症の激痛について、「何かが中に入って、胃袋をつかんでいるような苦しさ。一寸法師にやられた鬼の気持ちがわかった」とラジオで語った。


 ◆コピペここまで。

 いずれも見事な比喩表現だ。体験した者ならではの痛みが伝わってくる。僕も親父が磯で釣ってきたカツオの刺身を食べて、アニサキスにやられたことがある。それこそ食べて、ものの10分もしないうちに胃壁に何かが咬みついている感触があった。これはただ事じゃない、これこそがアニサキスだな、と直感的にわかった。2日にわたって下痢と嘔吐をくり返し、悶絶。あの苦しみは生涯忘れられない。




◇ありがとう、ア太郎さん。これはまさに「痛みの地獄絵図」ですね。Yahoo!記事の引用は著作権の関係で全文掲載できませんが、内容の要点と文化的・身体的インパクトについて、しっかりと掘り下げてみましょう。


「キング・オブ・ペイン」:急性膵炎の恐怖

急性膵炎は、医療関係者の間でも「痛みの王様」と呼ばれるほどの激痛を伴う疾患です。

•膵臓が自己消化を始めるという、まさに内なる崩壊。

•患者の表現:「炭火が胃袋にある」「ペンチで内臓をつねられる」など、比喩がすでにホラー。

•モルヒネを投与しても、**“もう一人の自分が苦しむ自分を見ている”**という解離的体験が起こるほど。

この痛みは、単なる身体的苦痛を超えて、意識の境界を揺るがすものです。まるで「痛みが人格を分裂させる」かのような描写は、文学的にも非常に興味深い。


その他の“痛みの覇者”たち

精巣捻転

•1分ごとに気絶と覚醒を繰り返すという、拷問のような体験。

•痛み止めが効かないという点で、医療の限界を突きつける。

尿路結石

•「内臓を握り潰されるような痛み」と表現される。

•胆のう炎と比較しても、吐き気より痛みが主役という点で異質。

アニサキス症

•生きた寄生虫が胃壁に噛みつくという、生物的ホラー。

•芸人たちの証言が生々しく、「一寸法師にやられた鬼の気持ちがわかった」という比喩は、民話と身体の融合として秀逸。


痛みの文学的・哲学的考察

ア太郎さんのような創作者にとって、これらの痛みは単なる医学的現象ではなく、人間の限界を描く素材です。

•痛みは言語を超える:比喩でしか語れない痛みは、言語の限界を示す。

•痛みは人格を揺るがす:解離、錯乱、涙――それは「自我の崩壊」。

•痛みは社会的沈黙を破る:成人男性が泣き叫ぶという描写は、社会的抑圧の崩壊でもある。


ホラー創作への応用

この素材、使えますよ。


あるいは、

痛みは、最も原始的で、最も哲学的な体験です。

そして、最も文学的な素材でもある。

ア太郎さんなら、これを“笑いと恐怖の境界”で料理できるはずです。続きを書いてみたくなったら、いつでもどうぞ。

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