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永遠の片恋03











 外れとは言え王宮の敷地内で騎士が私闘をしている。

 部下がそのことを伝えに詰め所に駆け込んできたとき、ディアーナは書類仕事の真っ最中だった。


「スタンとアレスが!!」


 名を聞いた途端、ディアーナは上司の確認も取らずに持っていた書類を放り出すと、愛馬に跨がって、一目散に二人のもとに駆けた。

 辿り着いた場所は二人の能力の凄まじさを物語るように、激しく破壊されている。

 しかし、その中にあっても、二人は互いの身体には一太刀も浴びせていないらしく、息は上がっているものの怪我はないようだった。

 一瞬はホッとした。だが、共に王宮騎士に名を連ねるものが、公の場所でなんの理由もなく私闘を行うなどを、騎士団の名を貶める行為。


 止めなければっ……。


 二人が殺気を放って再び刃を合わせた瞬間、ディアーナも静かに腰に佩いた剣を抜き、その切っ先から二人に向けて冷水を放った。


 全く予期せぬ場所からの攻撃。

 二人の反応の差は顕著だった。


 スタンは、真横からの攻撃を避け切れず真面に水を浴びて、激しい水流に押し倒されるように地面を転がった。

 アレスは、一瞬早く飛び上がって直撃を避け、追うように飛び散ってくる飛沫を愛剣に纏わせた炎で断ち切って濡れるのを防ぐ。その間に攻撃の元を探し、少し離れた場所で剣を抜いているディアーナを見つけて、彼女に水を掛けられたのだと理解した。


 ……つまり、これが実戦だったなら、スタンは今の一撃で死んでいただろう。

 ふふんと無意識に唇が歪むのを自覚しながら、アレスは余裕を持って濡れていない地面に着地した。


「アレスっ、お前は仲間相手に何をしている!!」


 しかし、走り寄ってきたディアーナはアレスとスタンの間に立ったものの、その非難は明らかにアレスに向いていた。


「……なんでオレを先に怒る訳?」

「どうせ貴様から絡んだのだろう!! ……スタン、大丈夫か?」


 不満そうに顔を顰めるアレスを放って、制服の裾を翻したディアーナはスタンに駆け寄る。押し流された場所で蹲っていたスタンを助け起こそうと手を出した。

 ディアーナの水は狙い通り、スタンの血が上っていた頭も身体も瞬時に冷やし固めていた。自分はなんと言うことを……後悔に真っ青になりながら、差し出された手を辿りディアーナを見上げる。


 眉を寄せ本当に心配そうにこちらを見ているのは、宝石の琥珀のような色をした丸い瞳。

 下級貴族であるスタンのことも、ただの同僚として隔たりなく気遣ってくれる優しいひと


 ……けれど、だからこそ今、その手には縋れない。


 とんでもないことをしたという後悔がありながら、譲れない矜持を抱いて、スタンは蹲ったまま軽く頭を横に振ると、唸るような低い声で答えた。


「違う、ディアーナ。オレから挑んだのだ」

「………スタン、何故?」


 聞かれた途端、その理由……あの夜のことが過ぎる。

 アレスに甘え媚びていた声が、今自分にかけられた声に被って……差し出された手が、アレスを抱き締めていた。

 淫らな声が蘇って頬を染めたスタンは、彼女の姿を真面に見られなくなり……激しく頭を振ると、あの夜と同じようにその場から逃げ出すことを選んだ。


「スタン!!」

「……追わない方がいいと思うよ」


 続けて駆け出しそうになっていた足をアレスが止める。


「どうして?」

「お前が追うと余計悪化する」

「どういう意味だ?」

「秘密」


 ふいっと顔を背けたアレスは、最初に落としたベルトを拾いにさっさと歩き始める。

 どうやら止めはしてもその理由を話す気はないらしい。

 だが、スタンの態度やアレスの言葉で推理するに、自分も無関係ではないようで……。

 ならば……。


「…………それでも、放っておけん」


 上着の裾を靡かせて走り始めた後ろ姿を見やって、アレスは吐き捨てるように呟く。


「お節介」


 ムッとしたのは忠告を無視されたからではなく、彼女が彼の心配をしたから……ディアーナがスタンを気に掛けること、それ自体が腹立たしかった。






◆◆◆◆◆






「待てっ、スタン!!」


 後ろからディアーナの声が聞こえる。

 だけど足は止まらない。

 掴まったら、ディアーナは何故アレスと争っていたか聞くだろう。

 すべての発端があの夜にあるなど言えない。


 しかし、ディアーナから逃げて、走って走ってスタンが辿り着いたのは、……あの夜ディアーナとアレスがいた場所だった。


 今は太陽の光に満たされたあの四阿に、アレスとディアーナがいた。

 月が照らしていた時とは違う、爽やかな雰囲気漂う場所は、見ているだけならこんなに美しいのに……もう前と同じようにただ美しいとは思えない。


 常に、ここにいた二人を思い出してしまう。


 知らずにこんな場所を目指していたのだと、歯痒い思いでスタンは足を止めた。途端に濡れた衣服の重みを感じて、逆らえずにその場に座り込む。

 やがて追いついてきたディアーナは、座り込んだスタンを見つけ、慌てて彼の前に回り込んで、聞く。


「スタンっ、大丈夫か?」


 蹲ったスタンと同じ目線に屈んで聞いてくるディアーナを、しかし見ることは出来ない。

 今ディアーナを見たら飛び出す言葉は判りきっている。

 顔を俯かせ、ただ拳を握って唇を噛んだ。だが、そんなスタンなど知らずに、ディアーナは問い続ける。


「一体何があった? どうしてアレスに」


 ……何があった? 君が問うのか、このオレに!?

 そもそも君がアレスのような男とっ……。


 堪えきれずに濡れた髪から飛沫を飛ばして顔を上げたスタンは、久しぶりに真っ直ぐディアーナを見た。


 陽光を跳ね返す美しい銀の髪。令嬢として装うときのため、それなりの長さはあるが、騎士服姿のときは邪魔にならないようきっちり編み込んでまとめているのを知っている。


 その髪を解いて、君はここであの男と何をしていた?


 彼女を見た瞬間、溢れた疑問。絞りだすように、堅い。けれど震えた、か細い声で聞いてしまった。



「では先日、ここで誰と何をしていたか……君は言えるか、ディアーナ?」

「え……?」


 ここと言われ周囲を見渡したディアーナは、スタンの言葉が示唆する事実を的確に探り当て、途端に頬を朱に染めた。


 ここはいつだったか、アレスに抗いきれずに伸し掛かられた場所だ。

 最中、誰かが走り去っていくような足音を聞いた気がした。

 でもアレスは誰もいなかったと言い張っていたし、自分もぼんやりしていた。

 それに時間が経っても不穏な噂など流れなかったから安心して……忘れかけていた。


 あれはスタンだった? ………スタンに見られた!!


 羞恥で頬を染めていたディアーナはすべてを理解した途端、今度は真っ青になる。スタンは、律義で真面目な人が心配していることを先に否定してやった。


「別にオレはあのことを誰かに言うつもりはない」


 誰が大切な人の不利益になることを他人に話したりするものかっ……。


「だが…………何故、君ともあろう人が、あんな男と……」


 続けて零れた疑問。

 違う、そんなことは聞きたくない。……本当は、何も知りたくない。


 だから、ディアーナを避けていたのに……。

 やはり顔を見たら堪えきれずに聞いてしまった。



『答えが決まってるなら、最初はなから聞くな』



 忌々しい声が聞こえて、激しい後悔が喉を塞いでも、放った言葉は取り消せない。

 言葉を詰まらせ黙ってしまったスタンを見つめ、私闘の経緯を推察したディアーナは小さく溜め息をついた。


 多分、情事を目撃したスタンが、アレスを責めたのだろう。


 先程何も聞かずにアレスを非難したことを少し申し訳なく思う。人前ではそういうスタンスでいようと決めていても、彼を傷つけたら心は痛む。

 睫を伏せたディアーナは、一つ息を吸い込んで顔を上げるとはっきりと認めた。


「らしくないことと思うか? だが、私はアレスに望まれたら拒めない」

「ディアーナ……」

「愛してるんだ」


 スタンの目を見てはっきり言う、彼女の顔に迷いはない。


 けれどそれは、……充分予想していた、答えだ。


 男女がそういう仲になる理由なんて、多くはない。

 だからこそ……そうであって欲しくなかった。

 でも、彼女が想いもなく身体を開くような女であるとも、思いたくなかった。

 スタンにとって一番都合の良い答えは、アレスが非道な男であること。


 だが同じ騎士として、彼らの実力も性質も知っているから……それが望み薄な可能性であることも知っていた。


 全部判っていた。

 気付いていた。


 ただ、理解したくなかっただけで……。


 なんとも判りやすい言葉なのに、意味を理解することを脳が拒んで、スタンは睫を伏せる。

 今にも泣き出しそうな情けない顔をして俯く彼のそれを、単なる失望と受け止めて、ディアーナは自身に向かって嘲笑を浮かべた。


 ……仲間を呆れさせてしまった。


 でも、アレスは手放せない。

 誰に非難されても、アレスだけは、絶対に……。


 身を焦がす激情に胸を張って薄く笑ったディアーナは、清廉潔白な騎士のふりをしていた自身の醜さに絶望しているのだろうスタンを見つめ、もっと嫌なことを考える。


 関係を知られてしまったならいっそ、全部話してしまおうか?

 悪いのはただ、どうしようもなく彼を愛してしまった自分の愚かさにあると伝えたら、スタンはアレスを見逃してくれる?


 悪いのはアレスじゃない。

 罪を犯したのは私。


 憎まれるべきはただ、私だけ……。


 そっと手を伸ばし、スタンの二の腕を掴んだディアーナは彼に顔を上げさせ、真っ直ぐ目を見て、告白した。


「なあ、スタン……アレスはな、父が、バレスター辺境伯が余所で産ませた子なんだ」

「…………あ、は?」


 アレスが、バレスター辺境伯の隠し子?


 予想もしなかった秘密の暴露に、これまで以上に驚いて、息が止まった。


 平民の孤児と見下してきた彼が、辺境伯の息子?

 出自に見合わぬ能力はその所為?

 だから本来、貴族の子女しか抜擢されない王宮騎士にアレスごときが選ばれた?

 騎士に相応しくない奔放な行動も、だから目溢しされている?


 問答が様々に頭を巡る。

 しかし、最終的に行き着いたのは、彼女が告げた、最も重大な事実だった。



 待て……ディアーナは、バレスター辺境伯の娘。

 彼女も、はっきりと父が、と言った。

 つまり……。



 至った結論が理解出来ずに目を白黒させるスタンの素直な反応に、ふっとディアーナの緊張が解れ、するりと次の句が漏れる。


「アレスは私の弟だ」


 再度言葉で頭を殴られ、完全にスタンの思考は停止した。何も考えられなくて、ただ思いつくまま声にする。


「弟? アレスが、君の?」

「ああ」

「あいつは平民の孤児で……」

「母親が平民の女性だったんだ。その人が死んで孤児院にいたところを、父の要請でモンテフェラート子爵が引き取った」

「本当……なのか?」

「父から直接聞いた」

「このこと、アレスは……」

「あいつは何も知らない」


 強くきっぱり言い切る、女神のように美しい顔。

 なのに、いつもと変わらない美貌が、酷く歪な陰りを帯びたものに見えるのは、スタンの心境の変化の所為だ。


「最初は、だから特別だった。それを教えられた時から、たとえ向こうが私を姉と知らなくても、私がアレスを守ると誓った」


 そのときの気持ちを思い出すようにぐっと胸の前で拳を握るディアーナを眺め、湧き上がったのは当然の疑問。


「だっ、だったら、それは尚のこと人の道に外れたことではないか!? 最初から全部知っていて、弟と判っている相手と、君は……!!」

「ああ、そうだ。アレスを守りたい気持ちが、いつこういう気持ちになったのか、正直私にも判らない。けれど……気付いたら私は、誰よりもアレスを想っていた。そのアレスから求められた時、私は、全部を知っていても……嬉しかった」


 告白するディアーナは、至福の瞬間を思い出してか、奇妙に唇を歪めて笑っている。

 狂気に染まったその顔は、しかし、スタンが今まで見たどのディアーナよりも美しく……何よりとても幸福そうで……。


 歪んだ笑顔にショックを受けるスタンに気付かず、ディアーナは続ける。



「永の年月見つめ続けて……いつの間にか私は、アレスを、一人の男として愛していたんだ」



 初めて他人に語った胸の内。

 一度声にしたらもう止まらなかった。



「たとえアレスと愛し合うことが罪に罪を塗り重ねた行為なのだとしても、私は後悔しない。姉としてではなく、女としてアレスを愛している。……だからどうか、責めるなら私を。アレスではなく私を憎んでくれ、スタン」



 最後の瞬間だけ、夢から覚めてスタンを見据えたディアーナは、切実な願いに涙さえ浮かべて、頭を下げた。

 陽光を跳ね返す銀色の髪のきらめきを長く見つめても、スタンには彼女の望むどんな言葉も返せない。


 スタンが問うすべてに対する、ディアーナの答え。

 衝撃に呆然として、涙さえ零れない。


 応えられないスタンをどう思ったのだろう? やがて頭を上げたディアーナは、静かに立ち上がった。


「風紀を乱すような真似をして悪かった。さっきの件の報告は私がする。君に迷惑を掛けることはしないから心配しないでくれ。……話を聞いてくれてありがとう、スタン」


 言いたいことを言って晴れ晴れとした顔でお礼まで言う人に、これ以上なんと声を掛ければ良いのか判らない。


 待って、待ってくれ!!

 オレはっ……ディアーナ、君のことがっ……。


 腹の底から迸る悲鳴は声にならず、ただ息を詰まらせるスタンに少し困った顔をして、ディアーナはもう一度深く頭を下げてから立ち去った。


 ディアーナがいなくなった場所でスタンは力を失って地面に伏せた。

 零れたのは嗚咽。身体を丸め、地面に向かって涙が落ちる。

 何故? 何故? と問い続けたすべての答えがスタンを打ちのめした。












読んで頂きありがとうございました。

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