永遠の片恋02
スタンの所属する王宮騎士とは、その名の通り王宮を守護する騎士の総称だ。
この国で<騎士>とは国家資格であり、相応の学力と剣技があれば貴賤問わず受験することができる。合格すれば、余程のことがない限り生涯有効な資格なので、騎士の称号があれば国内で食うには困らない。
だから、受け継ぐもののない貴族の男子はこぞって騎士を目指す。
そして彼らは特に、王宮騎士や近衛騎士という、身分がなければ志願すら出来ない特別な騎士になることを夢見る。
スタンもその一人だった。
貴族とは名ばかりの男爵家の三男で、両親からは、面倒を見られるのは成人まで。その後の食い扶持は自身で稼げるようになれと、強く言い含められていた。
スタンの両親が特別厳しいわけではない。それが、この国の普通。
身体を動かすことが好きだったスタンは迷いなく騎士を選び。低くとも身分があったおかげで王宮騎士団に入団が叶って……これまで毎日、その名誉に恥じぬよう真面目に務めてきたと自負している。
しかし、この数日間、スタンはらしくない行動をとり続けていた。
今日も、朝一で後輩に指示だけ出して騎士団の詰め所を飛び出すと、本来の持ち場とは違う王宮の外れを警備の名目で彷徨っている。
それもこれも、あの夜見た二人……アレス・モンテフェラートとディアーナ・バレスターに会わないためだ。
アレスもディアーナも、スタンと同じ王宮騎士団に所属する騎士。
何度か同じ任務に就いたこともあり、友人と呼ぶには少し遠いが、会えば話もする……特にディアーナのことはよく知っていた。
……その二人の秘め事を覗き見てしまった。
仮に、目撃してしまったのが他の誰かの密会であれば、ここまで悩みはしなかっただろう。規則に則り、本人たちに注意をし、そっと上司の耳に入れ、これ以上風紀に乱れが起きないよう気をつけておく、それで済ませたはずだ。
あの二人だから、これほど悩ましい。
何せ……ディアーナとアレスは、騎士団内で知らぬものがいない程、仲が悪い。顔を合わせる度、いつも揉めていて……誰が見ても二人は犬猿の仲だった。
それが何故かなど、わざわざ誰も問うたことはない。
彼らの出自を考えれば、互いが相容れないのは当然のことだと思っていたからだ。
王国の盾として国境を守る武門の一族バレスター辺境伯の娘で、年の離れた弟が生まれるまでは後継者として育てられていた根っからの王国貴族であるディアーナと、出自不明の孤児でありながら、幼い頃に剣の才能を見込まれて剣聖モンテフェラート子爵の養子になったおかげで貴族を名乗っているアレス。
なるべくして騎士になったディアーナと、家の意向で仕方なく騎士になったアレス。
本来なら出会うべくもない由緒正しい貴族のお嬢様と生まれも育ちも不確かな孤児が、今は同じ王宮騎士として、同じ職務にあるのだ。
貴族と騎士の矜持を併せ持つ真面目なディアーナと、身分も称号も鬱陶しいと思っていることを隠しもしない奔放なアレスが仲良く出来るわけがない。
だから、二人が反目するのは当然と誰もが思っていた。
それどころか、ディアーナに便乗した一部騎士たちが、虎の威を借りて、陰でアレスを蔑んでいるのをスタンも知っている。
なのに……、実はその二人が男女の関係にある?
ない、と否定したいのに、はっきり見て聞いた事実がそれを許さない。
ずっと当たり前に信じていた二人の不仲。
なのに……、裏ではずっとあんなことを……?
考えまいとしていてもふとした瞬間に、あの夜の乱れた着衣のアレスを抱きしめた白い手が思考をチラついて、忘れたいのに忘れられない出来事が、スタンを酷く苛つかせる。
そして、苛つく事実で自覚するのは、自分の感情。
スタンは、ディアーナが好きだ。
初めて出会った日から、ずっと焦がれている。
騎士としても、女としても、完璧で美しいディアーナ。
本来なら名門伯爵家の令嬢である彼女と貧乏男爵家のスタンがどうこうなるなんてあり得ない話。
しかし、今現在ディアーナとスタンは同僚で仲間で……頑張り次第で、彼女の上に立つことも出来るのが、騎士という組織。
あわよくば……という願望を持つなというのが無理な話だ。日々の努力は、彼女に恥じない騎士になるためのものといっても過言ではない。
そして、自分以外にも大勢の騎士が、同じような気持ちで日々職務に励んでいることをスタンは知っている。
今は彼女がこちらをどうとも思っていなくても、いつか……もしかしたら……。
小さな願いを抱いて日々を過ごしてきたのに……、高嶺の花は既に無法者によって手折られていたなんて信じたくなかった。
そもそも、スタンが確認したのはアレスの姿だけ。
相手をはっきり見た訳ではない。
アレスは彼女の名前を呼んだ。
応える声は彼女のものに似ていた。
髪も銀色だった。
けれど……違うかもしれない。
現実的に考えて、ディアーナがアレスとあんな関係になるはずない。
しかし、強く否定しようとする思考はいつも、アレスの優しく囁く声と銀色の髪が乱し霧散させる。
だから……会えばきっと自分は聞いてしまうだろう。
真実を、ディアーナに確認してしまう。
もし聞いて……真実だとはっきり肯定された時自分がどうするか、正直スタンには判らなかった。
今以上に打ちのめされて、みっともなく取り乱す程度ならば、まだいい。それ以上の、憎しみなどという感情がディアーナに対して生まれてしまったらどうする?
こちらの勝手な片想いなのに、彼女の人格まで罵ってしまいそうで、真面に会うことなど、まだとても出来そうになかった。
胸に蟠る疑問。
そう、もしあの時見たものが真実だったとして……。
何故……何故、相手がアレスなのだ!?
誰か別の騎士なら、他の貴族の子息だったなら、まだ諦めもつく。
なのに!!
どうして、あの男なのだ!!
何故あんな、剣技以外はなんの取り柄もない孤児とディアーナが……!!
無意識に零れた選民意識が愚かな考えであることは判っている。
基本的に、騎士の世界は個人の実力が重視される。
剣技の才能が、ふりかかる苦難を跳ね返す実力が、あれば良い。
孤児という、本人にはどうしようもない外的要因など、絶対的実力を示して称号を手に入れたアレス個人を攻撃する根拠にはならない。
判っているのに……つい罵ってしまうのは抑えきれない恋情のため。
彼女のことを考えていると、また挑むような目で銀色の髪に口付けていたアレスの姿が蘇り、耳の奥、高く喘ぐ声が響いてきた。カーッと我が事のように羞恥が湧き上がる。
振り払うように頭を左右に振った途端、視界の端に出来れば今一番見たくない男の姿が過ぎった。
ガバッと顔を上げたスタンの目に、呑気にこちらに向かって歩いてくる男の姿が入る。避ける前に、向こうもスタンを見つけて足を止めた。
スタンと同じ騎士服を、しかし同じと思えない程着崩したアレスがいた。
彼の姿を見る度、だらしないが具現化したようだといつも思う。
いつもは肩に羽織っているだけの赤い騎士服の上着、今日は珍しく袖を通しているがボタンは全開で、中のシャツも鎖骨が見えるくらい襟元が開いている。
ベルトで腰に下げる決まりになっている剣も、上着がそんな状態だから着けられず、いつもベルトごと手で持ち歩いていて……。
アレスはいつでもどこでもその状態だから、ディアーナは会う度、彼を怒鳴りつけていた。
しかし、ディアーナや上司に何度怒鳴られても、他の騎士に嘲笑されても、アレスは一向に変わらない。入団以降ずっとこうだ。
上はもう注意することを諦め、実力は確かなのだし、公の場に出るときさえちゃんとしてくれれば良いと普段の彼を放置していた。
……なのに、ディアーナは彼を見つける度駆けよって、力尽くで上着を着させてボタンを留めて、寝癖のついた金髪を引っ張って整えて……決まり文句は、貴様などに騎士の資格はない!! だ。
簡単に思い出せる二人のやりとり。
しかし、嘲笑いながら見ていた光景が、今までと全く別のものに思えたのは、あれを目撃してしまったからだ。ゾッとして思わず唇を手で覆う。
よく考えたら、本当に嫌っている相手にあそこまでするか?
まさか、本当に二人はずっと……?
思い至った結論に愕然とする。
無言で彼と見つめ合って……湧き上がったのはどうしようもない憎しみ。
ディアーナのことは、まだ憎くない。
……だが、どうやらアレスのことは最初から憎めるようだった。
どす黒い感情が心に広がる。
それが激しい嫉妬だとスタンは理解していた。
不可侵の女神を、ただの女にしてしまった男への、激しい憎悪と、……果てしない羨望。
この男が彼女を抱いた。
あの唇が、あの指が、彼女に触れた。
この男が、大切な彼女を……汚した!!
目の前の男からゆらりと立ち上ぼった殺気に気付いたアレスは、驚きに目を見開く。そこにいるのは確かに同僚の騎士であるのに、突然とてつもない殺気を向けられ、無意識に眉間に皺が寄った。
やがてスタンの周囲を何処からか現れた花びらが舞い始める。それに合わせるように、彼は腰に帯びた剣を鞘から引き抜き、アレスに向けて構えた。
「……どういう意味?」
殺気を向けられ剣を構えられても、彼は一応騎士仲間。言葉による対話を試みてみた。
しかし、返答は、ギッと今まで以上に睨み付けられることで終わる。
それでもアレスが自分の剣に手を掛けなかったのは、騎士同士の私闘はすべからく懲罰の対象になるからだ。それは、たとえ絡まれ応戦しただけでも関係ない。
入団仕立ての時分に、同じように勝手に絡んできた先輩たちを返り討ちにしたところ、自分は身を守っただけの被害者なのに、自分まで罰として監視付きで反省文を書かされた。
あの無駄な時間は地獄のような苦痛として記憶に深く刻まれている。
だからもう無用な喧嘩を買うつもりはなかった。
「まだ見回りの途中だから……、通るよ」
早口に言って、殺気を無視して横をすり抜けてようとすると、スタンの眉が跳ね、固い声が返ってきた。
「行かせん」
「……なんで?」
アレスははっきり殺気を放つスタンを見ても、恐れている様子はない。その姿に度量の深さよりも、思慮の浅さを感じて苛立った。
「一つ聞く……あの夜のあれは、貴様が彼女を誘惑したのか?」
硬い表情で聞くスタンの科白で、やっと剣を向けられる理由に思い当たった。
……ああ、あの時の……あいつ……こいつだったのか。
闇の中、殺気立ってこちらを見ていたくせに、彼女の声を聞いた途端呆然としていた間抜け面、少し睨んだら逃げていった。
だから新米騎士か下級兵士かと思っていたのに、まさか同僚だったとは……。
だが、おかげでどうしてあの夜のことが一向に噂にならなかったのか判った。
判りやすく彼女に熱い視線を送るうちの一人であるこの男なら口を噤むのは当たり前。
そして、自分を恨むのもまた、……当然だろう。
なるほどと頷いたアレスは、口の端を僅かに上げ、あの夜と同じようにスタンを真っ直ぐ見据えた。
その態度が何処までも忌ま忌ましい。
苛立ちを煽るように、アレスはあっさりと言う。
「ディアーナに誘われた」
「貴様っ、ディアーナを侮辱する気か!」
気色ばんで怒鳴りつけられ、アレスの目がすっと細くなる。瞬間、彼の纏っていた雰囲気が変わった。ゆらゆらと風に流されていた葦の葉が、己の意思で風に逆らい揺れることやめたような……そんな雰囲気。
侮蔑の籠もった目がスタンを見つめ、冷たく言う。
「答えが決まってるなら、最初から聞くな」
的確な指摘。
一瞬呆気にとられたものの……直後にグッと血が出る程きつく唇を噛んだスタンは、結局苛立ち混じりの怒鳴り声を腹の底から絞り出すしかなかった。
「……黙れ!!」
何かを振り切るようにきつく踏み込んで大地を蹴り、剣を振り被って明確にアレスを狙う。
身体の周囲を舞う花びらを巻き込んで、想像よりずっと素早い攻撃が繰り出された。慌てて後ろへ飛び退き、すれすれで直撃を避けたアレスは、着地した場所で自身も剣の柄に手を掛けて聞いた。
「本気?」
返答の代わりに、スタンは剣を構え直す。
ピンと空気が張り詰め、アレスの瞳から感情が消えた。
凍て付いた炎のような殺気が互いの露になった肌を刺激し、ギューッと四肢の筋肉が収縮する。武器を持つ手に必要以上の力が籠った。
「……死んでも文句言うなよ」
「こちらの科白だっ」
言葉と共に閃光が弾けて、高く高く刃のぶつかりあう音が響いた。
読んで頂きありがとうございました。