「君を愛することはない!」「いいですね!」
「君を愛することはない!」
「いいですね! 激しく同意します。
では時間も余ったことですし条件を詰めましょう!」
初夜の寝室で、笑顔で応えた妻に、夫は固まった。
政略での婚姻だって幸せな夫婦はいくらでもいるし、恋愛での婚姻でも不幸せな夫婦は星の数ほどいる。
だいたい、相手の幸せを邪魔せずに自分の幸せを叶えれば、どっちもそこそこ幸せになれるって、当たり前じゃない?
夫、ヴェネリオ。妻、ルイーザ。
わたしたちの婚姻は政略だ。
メリゲッティ伯爵家とソプラーニ伯爵家は数代前のわだかまりから百年以上、対立して来た。
しかし、今代の当主はどちらも穏健派。
この辺で仲直りしてもよかろうと、次男と次女を婚姻させることにしたのだ。
別に悪いことではないと思う。
自分が巻き込まれなければ。
十八歳で貴族学園を卒業したわたしは、王城で王女殿下付きの侍女として働いて数年経つ。
王女殿下が一年後に海の向こうの国へ嫁ぐことが発表された直後、父から王都屋敷に呼び出された。
そして告げられたのは『お前の婚約が決まった』の一言だった。
「はい? お父様、いきなりどうなさったのですか?」
「メリゲッティ伯爵家と仲直りしようと話がまとまってね。
双方、年頃で独身の子供がいることだし、この機会に婚姻させれば丁度いいかなと思ったんだ」
丁度いい……いや、わかるけど、もう少し言い方があるだろう。
両伯爵家の現当主は、どっちも穏健派というよりお花畑派と言うべきかもしれない。
「わたしには王女殿下の侍女という大切な仕事があるのですが」
「だが、一年後に殿下は嫁がれるのだろう?
そうしたら、お前は失職するわけだし、丁度いいだろう?」
出たよ、二度目の丁度いい。
父は一応、殿下の嫁ぎ先までついていく侍女の名簿を確認したそうだ。
そこにわたしの名が無かったので、婚約を進めてもよかろうと判断したとのこと。
伯爵家当主としては間違っていない。
普段、王城の寮に住んでいて、めったに帰ってこない娘のわたしにも、原因はあるわけで。
だがしかし、手紙などで直接本人に問い合わせたってよかろうとも思う。
「お父様、王女殿下付きは解かれますが、王城には勤め続けるつもりなのですが」
「決まった主人がいない立場では、何かと大変なことを押し付けられがちだと聞くぞ。
そんな目に遭うくらいなら、良い家に嫁いで幸せになって欲しいのだ」
残念ながら、この国ではまだ、娘の婚姻に当主の意見は絶対だ。
……というわけで、わたしは一年後に嫁いだのである。
伯爵家同士ではあるが、夫は嫡男でもないので、あっさりした婚姻式と身内だけの披露宴を行い、無事夫婦となったわたしたち。
住まいはメリゲッティ伯爵家敷地内にある離れである。
ヴェネリオ様は成人した時に、グロッシ子爵として独立している。
その時から最小限の使用人と共に生活してきた場所で、専用の門もあり、外との出入りもしやすい。
本邸での披露宴を行った夜、お待ちかね(?)の初夜である。
二人っきりになった寝室で、夫はわたしに堂々と宣言した。
「君を愛することはない!」
婚約後もそれぞれ仕事で忙しく、ゆっくり話す間もなかったのだ。
まずは冷静な話をしたかったわたしは嬉しくなった。
「いいですね! 激しく同意します。
では時間も余ったことですし条件を詰めましょう!」
初夜の寝室で、笑顔で応えたわたしに、夫は一瞬固まる。
「君は、そんなことを言われて平気なのか?」
じゃあ、言い方に気を付けたらとも思うが、夫は普通に若いし初婚。
当然、初夜も初めてだ。
緊張もするだろうし、言い間違えちゃうこともあると思う。
「ええ。むしろ望むところと言いますか。
事前にお知らせしたとおり、今しばらくは王城の侍女の仕事も続けますし。
えーと、愛することはないというのは、まだ子作りを急がないという意味かと推察しますが」
「……その通りだ」
「では、問題ありません!」
「そ、そうか。
実は仕事で、しばらく王城を離れることになったのだ」
「急なご予定が?」
「ああ、急な予定変更があって」
今、ちょっとだけ目が泳ぎましたかね。
まあ、それはどうでもいいか。
「そういうことでしたら、わたしもしばらく王城の寮に戻っても構いませんか?」
「ああ、自由にしてくれて構わない」
「ありがとうございます。
では、話もまとまったことですし、おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ……っていいのか? 同じベッドで」
「とりあえず円満な夫婦を演じる、言わば同志。
特に問題はございません」
「そうか、君がいいなら、いいのだが……」
「はい、おやすみなさい~」
三つ数える間に眠りに落ちるわたし。
寝つきの良さには自信ありなのだ。
朝食の席で、旦那様は執事に昨夜の取り決めを説明してくれたので、その日の午後には、住み慣れた王城の寮に戻ることができた。
決められたお仕着せに着替えると、あーら不思議、個性は埋没する。
そして、わたしは宰相執務室を訪ねた。
「宰相様、ただ今戻りました」
「おや、随分早いお戻りだな」
渋オジが声を返す。
「夫が出張するとかで、帰るまでは寮に戻る許可をもらいました」
「夫君は確か、騎士団の文官だったな」
「はい」
実は、わたしが王城で働く侍女というのは表向きの話。
実際のボスは宰相閣下である。
侍女長の指示で仕事をしつつ、同時に王女殿下の身辺に変化が無いかどうか目を配っていたのだ。
情報収集係だから、常に何かしら仕事はある。
自分の婚姻話が持ち上がらなければ、一生、王城で働いてもいいと思っていた。
仕事は性に合っているし、情報収集までなら滅多に危険に遭うことも無い。
王城では明日、王女殿下が嫁いだのとは別の国から使節団が来る予定だ。
わたしはメイドに化けてあちこちに出没し、言葉がよくわかっていない風を装って使節団周辺の情報収集をするのである。
他にも同じ役目を負った者はいるし、わたし一人がいなくても、どうということは無い。
だがやはり、こういう任務は耳が多い方が集まる話も多くなる。
「では、今日から補充されたメイドということにして、潜入してくれ」
「畏まりました」
帝国の使節団は無事到着し、一週間の間、事務官同士の外交交渉が行われた。
慌ただしく裏方仕事に勤しんでいれば、あっという間に最終日、送別のためのパーティーが開かれる日になっていた。
前座的な挨拶が進み、あちこちで歓談が始まった頃合い。
ふと見かけた男性給仕の後ろ姿に、妙に見覚えがある。
あのシュッとした立ち姿、はっきり言ってカッコいい。
なかなか鍛えてるな~と感じられる身体の動き。
わたしは思い切って声をかけた。
「そこの給仕の貴方、背中にゴミが付いていますわ」
「!……これは、ご注意ありがとうございます」
「ちょっと、そちらの廊下へ出ましょう。取って差し上げますから」
「重ね重ね、申し訳ございません」
柱の影に入ると、給仕に変装した夫に小声で問い質された。
「なんで君がここに?」
「貴方こそ! お小遣い稼ぎでもなさっていらっしゃるのかしら?」
「仕事に決まっているだろう。内容までは洩らせないが」
「さようですか。わたしも、お仕事ですわ。
もちろんこちらも内容については黙秘します」
「ああ、お互い知らんふりで行こう」
「そうですわね」
廊下に出てくる人の気配がする。
「ああ、やっと取れましたわ」
「ありがとうございました。お客様に失礼をせずに済みました」
「いいえ、では失礼いたします」
その後は出くわしても素知らぬふりですれ違う。
やがて、別れの挨拶のために使節団の面々が会場中央に出て来た。
団長は表向き皇女殿下だが、わずかに十歳の少女である。
決められた短い挨拶を述べ、後は事務官に引き継ぐ予定だった。
ところが。
「大変申し訳ございませんが、皇女殿下が喉を傷められまして、ご挨拶は割愛させていただきます」
事務官の横で、俯き、礼をする殿下はお風邪でも召したか、少しふらつく。
そういえば、前に見かけた時には横に侍女がついていたはずだが。
「あ、違うわ」
ちらりと見かけた、随行員の中にいた一人の少女。
妙に、皇女殿下と背格好が似ていると思ったのだが。
「何が違うんだ?」
メイドとして窓際に控えていたわたしの隣に、いつの間にか夫が立っていた。
「あそこにいるのは皇女殿下の替え玉よ。
遊び相手として連れて来られたという少女だわ」
「何?」
夫は何かに気付き、窓の外を見た。
遠くの馬車寄せに、灯りが見える。
皇女殿下の出発は明朝の予定だが、一部の随行員や荷物は、夜のうちに出発する予定だと聞いている。
「誘拐かもしれない」
「誘拐?」
「こっちに上がってきている情報だと、あの使節団は仕事のわりにどうにも人数が多すぎる。
何か別の目的がある者が、権力者のゴリ押しで、無理に入り込んでいるのではないかと疑われているんだ」
「そうなの? ……まずは、こっちの少女を保護しましょう。
それで、頼みがあるんだけど」
「手早く言ってくれ」
わたしの言葉に夫は目をむいたが、迷っている時間はない。
その時、きっと会場の人々は呆気にとられただろう。
窓際に控えていた侍従とメイドが、突然中央に走り出てきたのだから。
メイドは不敬にも皇女殿下を無言で抱き上げ、侍従はなんと殿下をメイドごと開いた窓めがけて放り投げる。
「お前たち! 何をするのだ!?」
喧騒がだんだん大きくなるが、夫が無事逃げ延びるよう祈るしか出来ない。
わたしは正門に近い騎士団詰所近くに着地した。
そして替え玉の少女を抱いたまま、詰所に駆け込む。
「宰相閣下より緊急の指令です!
正門以下、全ての門を閉め、出入りを封じて下さい。
特に、使節団の馬車、関連する人間は絶対に逃がさないようにお願いします」
こういう時のために持たされている、特別なロケットペンダントを見せた。
開けば、隊長以上に通達されている許可証が入っている。
「了解した」
「それと、この少女を休ませたいのですが」
「この詰所の留置部屋で良ければ使うといい。
今は誰もいないし、安全だ。予備の毛布を運ばせよう」
「ありがとうございます」
今はあちこち騒がしくなっているだろうし、動かないのが吉だ。
それに、ここから先はわたしの仕事ではない。
『あの……』
『大丈夫よ。ここで少し休ませてもらいましょう』
帝国語で話すと、少女は驚いたようだ。
『お名前を教えてもらえる?』
『ジーナです』
『素敵な名前ね』
毛布を届けてくれた騎士に頼んで非常食をもらい、二人で分け合って食べ、朝まで眠った。
起こしに来た夫は、まだ侍従姿で、ものすごく呆れていた。
「君は、こんな時に、こんな場所でぐっすり眠れるんだな」
「数少ない取り柄の一つよ」
「君の取り柄は、少なくはないだろう?」
「あら嬉しい」
彼に向かって微笑めば、目を逸される。
やけに照れ臭そうに頬をかきながら訊ねられた。
「なあ、俺のスキルにいつ気付いた?」
替え玉の少女を保護すると決めた時、わたしは夫に頼んだ。
「あの子を抱えますから、わたしを窓から思い切り遠くへ投げて下さい」
「は!?」
「着地点が適当でも大丈夫です。わたしを信じて!」
夫はわたしの目を見た。そして、頷いてくれた。
「わかった。無事でいてくれ」
「はい、もちろん」
夫のスキル『遠投』により、わたしは少女を無事連れ出した。
わたしのスキルは『着地』で、どんな状況でも無事に地面や床に無傷で降りることができるのだ。
おかげで、生まれてからこのかた、どんな転び方をしても怪我をしたことが無い。
『遠投』に気付いたのは、披露宴の会食の時だ。
新郎新婦の席のテーブルセッティングに、フォークが一本ずつ多かった。
それを担当したらしい若い従僕が青くなっていたが、執事はまだ気付いていない。
夫が素早く二本のフォークを持ち上げてポケットに仕舞おうとしたが、その時は晴れ着姿。生地が破れるかもしれないと、躊躇った。
その間に、わたしはカトラリーが不自然に見えないよう、間隔を直す。
夫は少し考えてから、件の従僕が持つ、空のトレイ目掛けてフォークを投げた。
不思議なことに、わたし以外、誰も投げられたフォークには気付かず、従僕も突然に現れたそれに目を丸くしていた。
神から授けられたスキルには、使う本人が気づかれたくないと思っている時には目立たないというおまけが付いてくる。
スキルは一見ショボいのだが使いようによっては、いろいろなことが出来る。
ただし、うっかりスキルを悪用すれば、あっさり取り上げられてしまうのだ。
神はちゃんとご覧になっている。
「うーん、フォークを投げたくらいの距離だったら、ちょっとコントロールがいい、ぐらいにしか見えないだろう?」
「金属製のトレイに、音を立てずに着地させるのは無理よ」
しかも、見事にピタリと。
『着地』のスキル持ちのわたしだからこそ、そのすごさがわかったのかもしれない。
さて、調査の結果、使節団には少なくない裏切り者が紛れ込んでいた。
この国で皇女を暗殺し、国際問題を起こして、その隙にクーデターを起こそうとした過激な一派がいたのだが、事件の実行直前に内部分裂したのだ。
今はまだ時期尚早と判断し、十年後にクーデターを起こすべく替え玉を使って皇女を誘拐した一派は、先発隊に紛れて逃げようとした。
このややこしい事件は一週間の調査を経て、概要が解明された。
策略により遠ざけられていた帝国の大使が皇女を保護し、事後の処理は外交官たちに引き継がれたのである。
そして、使節団は全て国に返され、ただ一人、替え玉の少女だけが残った。
わたしに抱えられ、わたしごと夫に投げられ、命を存えた少女はすっかりわたしたち夫婦に懐いてしまったのである。
彼女は帝国の辺境の町の孤児院出身だった。
その近くで休憩した時、なんとなく皇女殿下に似ていることに気付いた裏切り者の一人が、何かに使えるかもしれないと引き取って来たのだ。
大人しく、躾もそこそこにされていたので、最後は身代わりにされてしまった。
大使によれば、本国に戻るほうが命の危険があるかもしれない、とのこと。
適当な孤児院に入れるわけにもいかない。
ならば、とわたしたち夫婦で引き取ることにした。
養女に迎えた彼女には、言葉から教えなくてはならない。
それで、わたしはようやく、王城での仕事を辞める決心がついた。
「ジーナ、お茶にしましょうか」
「おかさま、だいじょうブ?」
「大丈夫よ、心配してくれてありがとう」
「どいたしましテ」
あれから一年が経ち、ジーナはずいぶん言葉を覚えた。
優しい娘で、身ごもって半年になるわたしを気遣ってくれる。
わたしは帝国語が出来るから、知識のほうは帝国の言葉で教えている。
別に、この国の言葉も教えているのだが、どちらの呑み込みも早い。
このぶんなら、数年後には貴族学園へ入学できそうだ。
「ただいま、ルイーザ、ジーナ」
「おとさま、おかえりなさいまセ」
「あなた、お帰りなさい、お茶はいかが?」
「いただこう」
しばらくすると、メイドがジーナを呼びに来る。
「お嬢様、ピアノの先生がお見えです」
「はい、すぐいきまス」
「ジーナ、頑張ってね」
「はい」
ニコリと笑って、ジーナが部屋を出ていく。
堂々と歩く姿は、どこから見ても立派なご令嬢だ。
「ジーナもすっかり慣れたな」
「ええ、なかなかの度胸ね」
「君がしっかり世話をしたからだろう」
「それもあるかしらね。ふふ」
「ところで、ちょっと相談に乗ってくれないか?」
「何かしら?」
「とある問題で、情報収集が必要なのだが、どこに網を張ったら一番効率がいいだろう?」
「あら、元宰相様の部下のわたしに、騎士団一派の貴方が訊いてしまうの?」
「別に両派はいがみ合っているわけではないだろう?」
「そうだけど」
「そこを越えて、俺の味方をして欲しい」
「やだもう、そんな切ない目で見ないでください。ズルいわ!」
「君は優しくて面倒見がいい人だからな」
夫こそ、これ以上ない優しい笑顔をしている。
「誰にでも、優しくするわけではありませんから」
「わかっているよ」
夫は立ち上がり、わたしの頬にキスを落とす。
政略で結ばれたわたしたちの縁だけれど、お陰様でとても幸せだ。