06ごめんなさい、わざとじゃないんです(ゴクリンコ)
帰宅途中、小さな湖が見えた。
顔を洗ってスッキリしよう、と早足で湖畔へ降りる。
「ある~日~♪」
良い事をして気分が良い。
自作自演だろうが気にしない。
歌詞を口ずさみながら、獣道を歩いていく。
「森の~中~♪」
ぱしゃぱしゃ、と水音が近くで聞こえる。
一瞬、魚でも跳ねたのかと思った。
しかし、違った。
水を叩く音が静かな朝に響いている。
目を凝らすと、湖の中心に人影があった。
出会ったのは女の子だった。
木立に囲まれた湖の中心、顔だけを出して水面に浮かんでいた。
年頃は背丈を見るに、僕と同じくらいだろう。
青紫色の長髪が波に揺られ広がっている。
淡い桃色の目は、まっすぐ上を見続けていた。
彼女は、衣服を着たままだ。
なるほど、着衣水泳を模した魔力訓練の真っ最中らしい。
重たくなって沈むはずの身体に対し、魔力を使用する事で浮き続けている。
水面が風に揺れ、小さな波を作り出している。
湖全体が柔らかな朝日を浴びて反射し、キラキラ輝いていた。
どこかの伝承に出てきそうな光景だ。
彼女は、僕に気づいていない。
お邪魔にならないよう、いつものように存在感を消す。
僕は見なかったことにして、湖水を掬い取る。
しゃがみ込み、両手を伸ばして冷たい水を顔に打ちつけた。
違和感を覚えて顔を上げた。
女の子と目が合った。
なぜ? と考えてすぐに分かった。
彼女は水面全体にも魔力を行き渡らせていたのだ。
水に身を任せて魔力を薄く延ばし、岸から帰ってくる魔力の波を鋭敏に感じ取った。
ほんの少し、言われないと気づかないレベルにまで魔力を制限した上で。
普段の僕なら、決して見逃さない。
魔力は、僕の身体にとっては異物だ。
誰よりも確かに感じ取ることができる。
でも今日の僕は多くの荷物を抱えた上、徹夜して早く家に帰ろうと焦っていた。
この休憩も、顔を水で洗った後には即帰ろうと思っていたのだ。
今の状況だけ見れば、僕はただのストーカーになってしまう。
衝動的に慌てて背を向けるところかもしれない。
しかし、そんな愚行を犯せば剣でぶった斬られるのがオチだ。
『痴漢変態覗き魔!』と少女の罵声による不名誉な烙印が押されかねない。
けれど、冤罪だ。
無視したり下手な言い訳を使うのは逆効果になる。
「おはよう! 良い朝だね!」
こんな時は、積極的に声をかければいいのだ。
桃色の目が大きく見開いている。
少し緊張してしまった。
喉が渇いたので、水を口に含む。
特に味は無い。
ただの冷たくて美味しい水だ。
魔力濃縮薬にも味は無かった。
無味無臭の魔力なんて、それはもう只の天然水だ。
ますます意味不明だが、やはり不思議パワーの源には興味が尽きない。
「な、ななな……っ!」
少女の白い肌は耳まで真っ赤になり、ショートソードを僕目掛けて投げてきた。
「新手の変態ですか!?」
僕の目前に暗器が迫る。
「変人の方が嬉しいな~」
投げられた小さな剣の柄を掴み、僕の懐に仕舞い込む。
武器確保、彼女に投げる気はないから牽制する為に使うとしようか。
「偶然通り掛かって、冷たい水で顔洗おうと思ったんだけど?」
「言い訳なんて聞きたくありませんっ! 私が入っていた湖の水飲んだじゃない!」
「いや、別に君が入ってたとかはどうでもいい。もしかして出汁になった気分?」
「死ねぇぇぇっ!!」
ショートソードがまっすぐ直線軌道で投げられた。
片手で全て掴み、もう片方の手で扇子代わりにして自分へ風を送る。
重いしあんまり涼しくなかったので、すぐに止めた。
(お口が悪いなぁ)
彼女は怒りに任せて岸辺に移動し、置いていた腰ベルトから残りの短剣を全て引き抜いた。
顔を真っ赤にして、濡れた服から水滴と剣を飛ばしていく。
朝露に濡れた金属の感触が手に伝わる。
冷たくて気持ちいい。
「……おぉ」
息を切らす湖の乙女を視界の端に追いやりながら、十本目の剣を確かめた。
彼女の剣は打ち止めらしく、息切れしながら膝に手を付いている。
(思ったより軽い。重心のバランスも悪くない。安物だけど、手入れされた良い剣だ。使い込めば、僕の手にも馴染みそう)
ヒュン、と一つ少女の奥にあった木に投げてみた。
(あ、間違えた)
狙いは合っていたけど、力加減を間違えて奥の木まで貫いてしまった。
「うん、気に入った。貰ってくよ~」
体勢を整えて身構えていた少女に背を向け、僕は逃げる。
スタコラサッサ~♪
「な、なに人の武器持ち逃げしようとしてんですか!? 返して下さい!」
少女は内股で震えている。
拳を握り、覚悟を決めたような顔で何かに抵抗しているようだった。
(も~、冷たい水の中にずっといるからだよ。トイレに行きたいなら、さっさと行けばいいのに。身体を冷やし過ぎるのはいけないことだよ)
でも、この剣欲しいなぁ。
「え~、ダメ?」
「ダメ、です!」
ギュッ、と女の子は両手で濡れた服を掴んでいた。
「仕方ないなぁ、ちょっと動かないで」
「なんで……えッ!?」
一つだけ懐に忍ばせた後、残りの八本を少女が口を挟む前に投げ切った。
最初に投げたショートソードと同じ場所に刺さっている。
最後に物々交換として、魔剣を彼女の足下に投げ込んだ。
「それ、あげるよ。だから貰うね?」
昔、姉に貰った試作品の一つだ。
魔力を込める必要のある魔剣なので、僕には合っていない。
湖の乙女は身体を一瞬硬直させた後、地面にへたり込む。
「またね」
背を向ける直前、少女は座りながら悔しそうに歯を食いしばっていた。
「カルタ・クラムです! 覚えときなさい、変態!」
彼女は吐き捨てるように言った。
僕は戦利品の一本を持ちながら、背中越しに手を振った。
頬が自然と上がる。
彼女が主人公なら、またいつか会えるだろう。
僕は、思わぬ出会いに感謝しながらスキップして帰った。