第91話 タイムセール
「ただいま~」
「あら、お帰りなさい、満」
家に帰ると母親が出迎えてくれた。
「お母さん、どうしたの。買い物に行ってる時間じゃなかったっけ?」
「まだタイムセールには早いわよ。というわけで、満。早く着替えて一緒に行くわよ」
「えっ。ぼ、僕も一緒に行くの?」
夕方の買い物を控えた母親が、満に一緒に行こうと誘ってきた。
「そうよ。今日はお一人様一個限りっていう商品がたくさんあるの。二人で行けばそれだけ多く買えるでしょ?」
「うっ、それはそうだけど。僕、今女の子だよ?」
「そんな事関係ないわよ。ホームステイを預かっているとでも言ってごまかせばいいでしょう」
遠慮する満に、母親はぐいぐいと迫ってくる。満はその勢いに押されっぱなしだ。
だが、キラキラと輝く母親の顔に根負けしてしまい、満は仕方なく女の状態のまま買い物に付き合わされることになった。
「はあ、しょうがないなぁ。それじゃ着替えてくるからね」
「ええ、スカートでお願いね」
「ええぇ~……」
無茶苦茶な注文に、満は露骨に嫌な顔をする。とはいえ、下手にへそを曲げられると夕食がどうなるか分からないので、仕方なく従うことにしたのだった。
母親からのスカートという注文に、満は一番丈の長そうなスカートを選び、その下にはタイツを穿いていた。時期は二月の前半なので、外はまだまだ寒いのである。
「これでいいかな」
「ええ、いいわよ。ふふっ、似合ってるわね」
「……嬉しくないなぁ」
満はそもそもが男であるために、今は女であっても女装している感じがして落ち着かないのである。
過去何度か女の状態で外に出かけているが、今回向かう場所は家から近いスーパーだ。できる限り知り合いに会いたくないと願う満なのである。
母親の運転する車でスーパーまでやってきた。
さすが夕方の時間ともなれば、買い物客であふれている。
満は知り合いに会いたくないのか、こそこそと隠れるようにして立っている。
「み……ルナちゃん。何をしてるの。出遅れちゃうからさっさと行きましょう」
満と言いかける母親。一応、外ではルナ・フォルモントで通しているので、ルナと言い直していた。
こそこそとする満だったが、後ろから突然声をかけられる。
「あれ、あなたは確か……」
「ひゃう!」
急な声に、満は思い切り背筋をまっすぐにして驚いていた。
くるりと振り返ると、そこにいたのは駅前であったことのある女性だった。
「あ、お姉さんは確か……」
「久しぶりだね。今日は彼は一緒じゃないの?」
「えっ、彼?!」
彼って誰のことだと、混乱してしまう満である。
「あれ、一緒にいた男の子って彼じゃないの?」
「あ、ああ。風斗のことかぁ。ただのお友だちですよ」
「え、そうなの。そっかぁ~。ごめんね、変なこと言っちゃって」
「いえ、いいですよ。男女一緒にいればそう思っちゃうのも無理ないですからね。あはははは」
目の前の女性の言葉に、笑ってごまかす満であった。
「ルナちゃん、早く……って、どちらさま?」
笑っていると、母親が顔を出す。目の前の女性を見て、思わず誰か問い掛けてしまっていた。
「えっと、あなたはこの子のお母さんですか?」
「いいえ、違うわよ。うちでホームステイしている子です」
思わずびっくりしてしまう女性である。
「そうですか。それは失礼しました。えっと、私の名前ですね。私は芝山小麦っていいます。こちらの方とは、先日駅の近くでお会いしたんですよ」
「まぁそうだったのね。私はこの子のホームステイ先の空月光里といいます」
「そうなのですね。それで、この子の名前も聞いていいでしょうか」
話の流れで満の名前も聞こうとする小麦である。ちゃっかりしている。
「僕はルナ、ルナ・フォルモントといいます。去年から空月さんの家でお世話になっています」
「へ~、僕っ娘なんですね。なんだか、知ってる人に似てますね」
「そ、そうなんですか。誰になんでしょう」
満はドキッとした顔をしている。
「光月ルナというアバ信ですね。私、彼女のファンなんですよ」
「あ、そ、そうなんですね。僕と同じ名前なんですね、そのアバなんとかっていうものと」
「ええ、そうなんですよ。自分のことを僕っていうし、なんというか仕草の一つ一つが可愛いんですよ」
うっとりとした表情で話す小麦。なんというか、最初にあった頃の印象と違う感じを受ける。
満の方はというと、自分のことをうっとりした様子で話されて、なんともむずがゆく感じていた。
しかし、そんな話も長くは続けられなかった。
「むっ、ルナちゃん。そろそろタイムセールの時間よ。急ぐわよ」
「あれ、そんな時間なんですね。私も準備しなきゃ」
「あなたもなの?」
「はい。遅くまで働くパパのために、家のことは私が全部切り盛りしてるんです。ママは海外赴任中ですからね」
「あら、そうなのね。偉いわ」
「えへへへ」
適度なところで話を打ち切り、満たちはスーパーの中へと入っていく。
店内にはすでに、タイムセールを狙って目を光らせる主婦たちがものすごい雰囲気を放っていた。
「うわぁ……」
完全に怯んでいる満である。
「さあ、行くわよ。準備はいい?」
「私はできてますよ。少しでも家計のために!」
こうして、満の母親と小麦の覚悟が決まった中、満は巻き込まれるようにしてタイムセールという戦場に駆り出されたのだった。