第81話 吸血鬼と芝山家
その日の夜、満が無事に眠ったことを確認して、吸血鬼ルナは血を吸うべく表に出ていた。
「ふむ、さすがに真冬の空気は寒いな。妾のような真祖でも、この空気は厳しいものがある」
満の家の屋根に立ち、冬の夜風を一身に受ける吸血鬼ルナ。それは寒くて当然である。
それでもしっかりと着込んでいるので、とりあえず吸血鬼ルナは温かそうだった。
「しかし、こうも着ていては羽は出せんな。まぁ、羽はしょせんポーズだから関係ないのだがな」
組んでいた腕をほどいて、吸血鬼ルナは夜の街に浮かび上がる。
そして、血を求めて空を飛んでいくのだった。
―――
「うぅ、こんな夜にノートが切れるなんて思ってもなかったよう」
同じ頃、配信を終えて宿題をしていた小麦が頭を抱えていた。
「パパ、私コンビニまでノート買いに行ってくるよ」
「こんな時間からかい? 送ってあげたいけど、パパも仕事で手を離せなくてね。気を付けていってくるんだよ」
「はーい。気を付けて行ってくる」
小麦は服を着こんで家を出ていく。
外に出ると冷たい風が思いきり吹きつけてくる。
「うう、さむーい。さっさと買うだけ買って戻ってこよう。あっ、シャーペンの芯も切れかかってったけ。うう、買うものが多いなぁ……」
抱え込むような体勢でぶるぶると震えながら、小麦はコンビニ目指して走り出す。
「うん、あれは?」
途中の信号待ちの時に空に何かが見えた気がした。
じっと目を細めてみる小麦。そして、確信をした。
「ちょっと人気のないところに行こうかな」
思い切って寄り道をしてみることにするのだった。
「わざわざこんなところに移動するとは、誘っておるのか、娘」
わざと街灯の少ない場所に移動した小麦のところに、吸血鬼ルナが降りてきた。
「お久しぶり、ルナ・フォルモントさん」
「やはり、この間の娘か。こんな時間に出歩くとは感心せんぞ」
「急に必要なものができたから仕方ないのよ。パパも忙しいみたいだし」
「それなら仕方ないのう。妾もちょうど暇じゃ、つきおうてやろうではないか」
「狙い通り!」
思わずガッツポーズをする小麦である。
小麦の喜ぶ姿を見て、吸血鬼ルナは思わず苦笑いをしてしまう。
「やれやれ、このような小娘の企みにはまるとはな。妾もずいぶんと丸くなったようだ」
吸血鬼ルナの表情は、怒っているというよりは楽しそうだった。
「こんな夜中に小娘一人は危険だ。妾の気が変わらぬうちにさっさと用事を済ませるぞ」
「うん、お願いね」
小麦は吸血鬼ルナと一緒に、ノートとシャーペンの芯を無事に買って家に帰ったのだった。
「ただいま~」
「おお、無事に帰ってきたか、小麦。うん、そちらのお嬢さんは?」
家に戻った小麦を父親が出迎える。一緒にいた吸血鬼ルナを見て、思わず首を傾げてしまっていた。
「おやおや、妾の顔を見忘れたとは言わさんぞ。妾が封印される前には、お前さんにも会ったことがあったのだからな」
「いや、まさか、そんなバカな……」
小麦の父親は、驚きのあまり上体をのけぞらせている。
二人の様子に、小麦は困っているようだった。
「あれ、パパも知り合いだったの?」
「あ、ああ。うん、まあな……」
どうにも歯切れが悪い。
「積もる話もあるだろうが、今日のところは簡単に話をして帰ろうではないか。お前さんたち、人間には遅い時間であろう?」
「分かった。とりあえず上がってくれ。はあ、ママにはなんて言えばいいんだろうか……」
「すまぬが、あやつに話さんでおくれ。今の妾にはここにいる理由があるからな。今はひとまず、それも話させてもらうぞ」
吸血鬼ルナは、堂々と芝山家に上がり込んだ。
そして、自分の今の状況を話していた。
「いや、そんな……。まさかあなたと同調できる人間がいるとは……」
「妾も自分で言っていて信じられんよ。だが、妾がこうやって表に出てこれたのも、その人物のおかげだ。今は間借りしていることもあって、その人間に迷惑をかけたくない。すまんが、内密に頼みたい」
「そうですね……。とはいえ、黙っていてもいずれは知られることですけどね」
「重々承知だ」
小麦の父親は、思いきり頭を抱えていた。
その目の前では、吸血鬼ルナは落ち着いた様子で紅茶を飲んでいた。
「ともかく、今の妾はつつましく生きていくつもりだ。もう昔のように誰これ構わず襲うようなことはない。だが、食事にはやはり人間の血が最適だし、そうせぬとこやつに体を返すことはできしな」
「事情は分かりました。私もあまり波風を立てるつもりはありませんからね。ただ、黙っていたら、妻になんて言われるか」
「妾に脅されていたとでも言えばよかろう。ただの人間に吸血鬼は脅威でしかないのだからな」
「そう、させて頂きます」
小麦の父親は、吸血鬼ルナの提案を受け入れていた。それにしても、二人して怯える小麦の母親とは一体何者なのだろうか。
芝山家と吸血鬼ルナの間の因縁は、なにかと謎が多いようだった。
「さて、妾もいい加減食事をするか」
「えっ、それでしたら私の血を吸えばいいのでは?」
「いや、以前に娘の血を頂いたのだが、数日寝込まれてしもうてな。なにかと大変だったようだから、おぬしから血をもらうわけにはいかんよ」
「あれは、あなたのせいだったのですか……」
「うむ。妾も反省しておる。まあ、話ができてよかったと思うぞ。まったく、天敵の家の幸せを願うとは、妾も本当に丸くなったものだ」
吸血鬼ルナはにこりと微笑むと、芝山家を出ていったのだった。
小麦の父親は緊張が解けて、しばらく椅子から動くことができなかったのであった。