第77話 デビュー目前
小正月も過ぎて、世間が落ち着き始めた日のことだった。
ブーブーブー。
突如、部屋に置かれたスマホが震える。
「香織、電話が鳴っているわよ」
「あっ、はーい!」
母親に言われて、居間に戻ってきた香織はスマホを手に取る。
画面に表示されているのはVブロードキャストの自分担当の人の名前だった。
「お母さん、ちょっと部屋に戻ってるね」
「分かったわよ」
部屋にバタバタと戻りながら、通話ボタンを押す香織。
「はい、もしもし」
『もしもし、花宮香織さんの携帯で間違いないですか』
「はい、間違いないです」
電話に出ると定型句の質問が飛んできたので、香織は正直に答えている。
電話のせいで少し感じは違うものの、確かに契約した時に紹介された自分担当の社員の声だった。
『ああ、よかったです。担当の森美茂里です。突然の連絡で申し訳ございません』
「あっ、大丈夫です。ですけど、何かあったのでしょうか」
急に連絡が来たので、ついつい不安になってしまう香織だった。
その直後に森から聞かされたのは、そんな不安を吹き飛ばすものだった。
『当社のお抱えのモデラーの方から連絡があり、香織さんが担当するキャラクターが完成したそうです。つきましては、今度の土曜日か日曜日に、弊社までお越しいただきたいのです』
「本当ですか?!」
香織はびっくりして、大声を出してしまう。
『はい、本当ですよ。その際に、実際にアバターを見て頂いて、少し動きのチェックを入れたいと思います。その際にはご家族の方にもご同行をお願いしたいのですが、問題ないでしょうか』
「問題ありません」
森の確認に即答する香織である。電話越しに驚いた声が聞こえてくる。
『畏まりました。では、お越しになられる日を前日までにメールでお送り下さい。3Dモデラーの都合がございますのでね』
「分かりました。お母さんと相談して決めます」
『承知致しました。では、お返事をお待ちしております。あと、くれぐれも外部には漏らさないようにお願いしますね』
「分かっています」
念押しにもすぐに返事をする香織である。
ただ、内心はものすごくうずうずしているらしく、肩ひじにものすごく力が入っていた。
『では、失礼致します』
「わざわざありがとうございました」
通話を切った香織は、しばらくその場で呆然と立ち尽くしていた。
自分用のアバターができ上がったという実感が、まだいまいち湧いてこないのである。
「うう、私もいよいよアバター配信者になれるんだ……。連絡を受けても、夢の中にいるんじゃないかって思っちゃうよ……」
香織は、ぷるぷると震えながら部屋の中で立っている。
「と、とりあえず、お母さんに相談しなきゃ……」
香織はスマホを部屋に置くと、バタバタと一階の台所にいる母親のところへと向かっていった。
「お母さーん!」
「どうしたのよ、香織」
騒ぐ娘に対して、びっくりしながら冷静に反応する母親。
「今度の土曜と日曜、どっちかにお出かけしようよ」
「どこに行くの?」
香織が質問をすると、母親はものすごく怪しんだ表情をしている。なにせ聞き方が変だからだ。
自分の顔をじっと見てくる母親に、香織はにこっと笑顔を見せる。その表情に母親は何かを察したようだが、香織の答えをじっと待つ。
「Vブロードキャスト」
笑顔のまま、香織ははっきりと答える。
「そっか、おめでとう、香織」
「ありがとう、お母さん」
「だったら、早い方がいいわね。土曜日で返事をしておいてちょうだい」
「うん、お母さん。そうする」
理解が早い。さすが、契約の場に一緒についていっただけのことはあるというものだ。
「おめでたい話だけど、今日はもう夕飯を作り始めちゃったから、土曜日は豪華にしましょうか」
「無理しなくてもいいよ、お母さん」
母親がそんなことをいうものだから、香織はついつい笑ってしまう。
その笑顔に母親もつられて笑ってしまう。実に仲のいい親子だ。
「お父さんにも一応話しておくわね。一人だけ知らないと絶対拗ねるから」
「うん、そうだね。でも、守秘義務があるから絶対喋らないようにしておかないと」
「あー……。だったら話すのやめておきましょうか。お父さん、口が軽いから」
「もう、お母さんってば」
素早い手のひら返しに、香織と母親は大きな声で笑っていた。
母親と話がついたので、香織は夕食を待っている間に森に対してメールを送っておく。ちなみにメールアドレスは、契約の際に教えてもらっている。
「これでよしっと。う~ん、土曜日が楽しみだな、うふふふ」
メールを送信した香織は、スマホを顔に近付けながら笑っている。
満や風斗と相談して思い立ったアバター配信者への道。それが、いよいよ叶う瞬間がやってきたのだ。
「華樹ミミさんや真家レニちゃん、あと光月ルナちゃんみたいな人気のアバター配信者になるぞ。えいえいおーっ!」
気合いを入れ直した香織は、スマホを置いて再び一階へと降りていく。
「お母さん、料理手伝うわ」
手を洗って台所に現れた香織は、気合いを入れた勢いで母親の手伝いを始めたのだった。