第59話 逃げる吸血鬼と追う乙女
「うう、今日はなんでよりによって体育があるですかね……」
三時間目を迎えて、満はものすごく困った顔をしていた。
その三時間目は体育なのである。学校の更衣室に行って体操服に着替えなければならないのだが、女子生徒に囲まれた状態で着替えるということに、満はなんとも言えない罪悪感を感じていたのだ。
「どうしたの、ルナさん」
クラスの女子の一人が満の様子に気が付いて、話しかけてくる。
「い、いえ。なんでもありませんよ。うふふふ」
笑ってごまかそうとする満だが、眉の形がハの字である。誰がどう見ても困っている表情だった。
そこで、颯爽と声を出したのは香織だった。
「ルナさんは私が面倒見ますので、みんなは気にしないで先に着替えちゃいましょう。ささっ、ルナさんはこっちへ」
「えっ」
満は香織に手を引かれて別の場所へと移動していく。
どこへやって来たかと思うと、そこは保健室だった。
「よし、今なら誰もいないわね。ここで着替えるわよ、空月くん」
保険室内を確認して、香織は満に呼び掛ける。
確かに、保健室であればカーテンで中が見えなくなる。周りの目を気にしないで着替えることができるし、周りを気にしないで着替えることもできるのだ。
「ありがとう、花宮さん」
「幼馴染みとして当然よ。あと、お願いなんだけど、昔みたいに香織って呼んでほしいかな」
「うっ……」
満は、香織が向けてきた上目遣いの視線に思わずたじろいでしまう。
しかし、このままでは体育の授業に遅れてしまうので、真面目な満は顔を左右に振ってどうにか耐えていた。
「は、花宮さん、とにかく着替えてしまいましょう。授業に遅れてしまいます」
「う、うん。ごめんね、急にお願いなんてしちゃって」
香織に謝られながら、満はどうにか体操服に着替えて体育館へと向かったのだった。
着替えて教室に戻ってきた満は、疲れのあまり机に突っ伏してしまっていた。
「ば、バレーボールがあれだけ厳しいとは思いませんでした……」
吸血鬼ルナの体になったとはいえ、体力自体は満そのものだったがために、思わぬ運動音痴が出てしまったようだった。
実は、満の球技の腕前は極端なのである。バレーボールやバスケットボールは下手なのだが、野球やサッカーは得意なのである。どうしてそんなに差があるのか。
体育の授業中、サーブは失敗するし、レシーブをしようものなら腕で受けた後に顔面にもぶつけるほどの不器用さなのだ。
その問題の体育の授業を見ていた女子たちは、満の様子を見ながら優しい視線を向けていた。
結局、四時間目の間の満は、ほとんど突っ伏した状態のままで授業を受けていたのだった。
無事に給食も終わって、いつも通りに風斗と話し込もうとする満。ところがどっこい、ルナに興味津々な女子たちにあっという間に囲まれてしまう。
周りを女子の壁に覆われて、満は目を丸くして戸惑っている。
「今日こそお話をさせてもらいますよ、ルナさん」
「ルナちゃんって好きな人いるの?」
「ルナちゃんってどこの国の人なの?」
笑顔で迫ってくる女子たちが怖い。
「ご、ごめん、調子が悪いから保健室で寝てくる!」
勢いよく立ち上がった満は、そのまま走って逃げだしてしまった。
「ちっ、逃げられちゃったか」
「ちょっと一気に迫りすぎたかしらね」
「怯えるルナちってば可愛い」
満が走り去った後の女子たちの反応はなんとも様々だった。その女子たちの様子を見て、風斗と香織はなんとも言えない表情をしていた。
「あれじゃ、いつまで経っても女子には慣れなそうにないな」
「慣れなくてもいいと思うわよ」
風斗の言葉に、意外と冷めた反応を示す香織である。
その時の香織の表情を見て、なんとなくその気持ちを察してしまう風斗は、つい思わず笑い声をこぼしてしまう。
「なにかしら。何がそんなにおかしいのかな、村雲くん」
「いや、花宮っておとなしそうに見えて、思ったより独占欲があるんだなって感心しただけだよ」
「なによ……。村雲くんは私の気持ちを知っているんでしょ?」
頬を膨らませて怒る香織に対して、無言で笑みを浮かべる風斗。いくらなんでもそれはただの神経の逆なでである。
「分かってる。まったく、二人とももどかしくてさ……。間に挟まれる俺の身にもなってくれよ」
風斗は大きなため息をついている。
その姿を見て、香織は少し申し訳ないような表情を浮かべる。
「それはその……、ごめんなさい」
「いや、謝罪を求めているんじゃないよ。さっさとくっついて俺を安心させてくれってことだ」
「そ、それは……」
香織は顔を真っ赤にして、肩をすくめながら視線を逸らしていく。その姿を見て、これはまだ当分無理だなと悟る風斗なのであった。
その後、昼休みが終わるチャイムが鳴ると、保健室に退避していた満が教室に戻ってきた。
午後の授業は何事もなかったかのように過ぎ去っていき、放課後になったところで満は逃げるように下校をしていった。
「あ……」
走って帰っていく満の姿に、香織は後を追いかけることすらできなかった。
「まったく、しっかり捕まえとかないと手が届かなくなるぞ、花宮」
「分かってるわよう……」
はたして、香織の想いが満に届くことはあるのだろうか。なかなかに厳しそうな現実なのであった。