第424話 ちょこっとハプニング
迎えたバレンタインの前日のこと、満は学校から帰ってくるなり女の姿に変身していた。服を着替えて一階に下りた満は、母親を見つけて声をかけている。
「お母さん、台所使ってもいい?」
「いいわよ。何をするつもりなの、満」
声変わりの影響で男女で声に違いが出ているというのに、母親はまったく動じていない。
「バレンタインのチョコレート作り。今日の配信のためにちょっと作り方を思い出しておこうと思ってね」
「ああ、それで女の子になっているのね。材料はあるの?」
「昨日買ってあるよ」
母親から材料のことを聞かれた満だが、さらりと答えていた。
「そう。誰にあげるの?」
「風斗と香織ちゃんに決まってるでしょ。小麦さんとルナさんは遠くにいるから無理だもん」
「それもそうね。まあ、頑張りなさい」
「うん」
母親と会話を済ませた満は、過去の記憶を引っ張り出して、チョコレート作りに取り掛かる。
年末にルナ・フォルモントと分離したとはいえ、満にはルナ・フォルモントと体を共有していた時の影響がたくさん残っている。
この男女の変身能力もそうだが、記憶力と動体視力の良さもしっかりと残されていた。
「よし、それじゃ作り始めますか」
満は長袖を腕まくりして、早速チョコレートを作り始めることにした。
何度か作ったこともあって、満の体にはその作り方がしっかりとしみついていたようだった。一年ぶりだというのにあっという間に作り上げてしまう。
「うわぁ、ちゃんとできちゃった。なんだかんだで結構覚えてるものだね」
満もびっくりである。
ちょっぴりスプーンで小皿に分けとって味見をしてみる。ちゃんといい感じの味のチョコレートである。
「よし、あとは冷やし固めれば完成だ。さすがにハートのチョコは恥ずかしいから、正方形の型を使おうっと」
妙なところで及び腰になる満である。
「あら、もうできたの?」
「あっ、お母さん。今でき上がったところだよ。余ったのがあるから、ちょっと食べてみる?」
「いいわね。いただくわ」
にっこりと微笑んで満が差し出してきたので、母親はチョコレートを一口食べてみている。
「うん、ちゃんとしたチョコレートね。もう完璧じゃないの」
「えへへへ」
母親に褒められて、満は満足そうに笑っている。
「これだけの才能があるんだったら、将来的にパティシエとかどうかしらね」
「パティシエ?」
「お菓子専門の料理人よ。ケーキとかチョコとかそういうのを作るのよ」
「うーん、まだ分からないなぁ」
母親の意見に満は唸って首を捻っている。
まだ高校に上がる前なので、満にはまだ具体的な将来設計というのは浮かばないようである。
「そっか。最終的に決めるのは満自身だからあんまり無理強いはしないけれど、将来的にいろいろと選択肢は持っておいて損はないわよ」
「うん、分かったよ。候補には入れておこうかな」
「ええ。もしパティシエになったら、その時はごちそうしてね」
「お母さん、もしかしてそれが目的なの?」
「うふふふ。どうかしらね」
母親は笑いながらごまかしている。その姿を見て、満は大きなため息をついていた。
「僕の将来は僕が決めるからね。もし、思い通りにならなかったとしても応援をしてよね」
「もちろんよ。自分の子どもの邪魔をするわけがないじゃないの。邪魔をするなら、今のアバター配信者だってやめさせてるわよ」
満がちょっと不満そうにいうと、母親からは余裕たっぷりの答えが返ってきた。
にこにこと笑顔を崩さない母親の姿に、満はぐっと黙り込むしかなかった。まったく、子どもは親に敵わないものである。
「それじゃ、夕食の後でラッピングをするから、絶対に冷蔵庫の中のは食べないでよ。僕は一度部屋に戻って配信告知をしてくるから」
「もちろんよ。頑張りなさいよ、満」
「うん」
母親と言葉を交わすと、満は自分の部屋へと戻っていった。
満の後ろ姿を見ながら、母親はまったく笑顔を崩していなかった。むしろ、誇らしげにすら見える。
「子どもだとは思っていたけれど、やっぱり満も成長しているわね。あの子がどんな風に進むか分からないけれど、真っ当な道であるなら親として応援してあげなきゃね」
母親はつぶやくと、夕食の支度に取り掛かる。満がチョコレートを作った跡が残ったままではあるが、母親はそんなことも気にしないで始めていた。
しばらくすると、どたどたという足音が聞こえてくる。
「お母さん、ごめんなさい! 片付けするの忘れてた!」
部屋に戻ったはずの満が、再び台所に姿を見せたのである。どうやら、チョコレートを作った時の後片付けを忘れていたことを思い出したようだ。
「満ならそうすると思って、そのままにしてあるわよ。幸い、テーブルの上しか散らかっていないから、あまり影響はないわ。包丁にチョコレートついていたから、それを洗ったくらいね」
「わわわっ、本当にごめん。邪魔しないように片付けるから」
満はそう言いながら、テーブルの上に散らかったボウルやらへらなどを片付け始めた。
母親は夕食を作りながら、片付けをする満の姿を微笑ましく眺めていた。
「やっぱり、そういうところは子どもかしらね」
「ううう……」
母親のつぶやきに、満は恥ずかしそうに頬を膨らませていた。
どんな風になろうとも、この親子の仲は変わらなさそうである。




