第352話 グラッサの焦り
「久しぶりのジャパンね。また来ることになるとは思ってもみなかったわ」
空港に降り立ったグラッサは、大きなつばの白い帽子をかぶり、サングラスで顔を隠している。
「確か、ダーリンとドーターが迎えに来るという話だったけれど、どこにいるのかしらね」
日本語で独り言を言いながら、グラッサは到着ロビーから周りをじろじろと見ている。
「ママ!」
しばらくすると、聞き覚えのある声が響いてくる。
「ドーター、元気にしていましたか」
駆け寄ってくる小麦を見て、片手でスーツケースを持ちながら、手を広げて待ち構えている。
ピタリとくっつくと、左右の頬をつけ合って挨拶をしている。
「まったく、カレッジスチューデントになりながらも、まだ甘えてきますか」
「だって、ママとはあまり顔を合わせないんだもん。会ったのなら、精一杯甘えたいよ」
「本当に、いくつになっても子どもなんだから」
グラッサは小麦の額を人差し指で突いている。
当の小麦は、えへへと照れくさそうに笑っている。これが今年十九歳になる女性なのである。
「ダーリンも、わざわざ空港まで来てくれてありがとうね」
「君に会えるんだったら、どこにだって来てやるさ。それに、ちょうどお盆休みに入ったから、仕事から解放されているからな」
「そう。ダーリンは働きすぎないように気をつけなさいよ」
「はははっ、君に言われたくないな」
グラッサと父親は笑い合っている。
「ぐ、グラッサ先輩、お久しぶりです」
「あら、あなたは確か、ドーターとよく遊んでくれたフレンドね。えっと、名前は確か」
「舞お姉ちゃんだよ、ママ」
「そうそう、そんな名前だったわね。元気そうね」
グラッサは笑顔を向けている。
「ぐ、グラッサ先輩の笑顔……。私、幸せです……」
「ちょっと、イリス。倒れないの!」
マネージャーである環が出てきて、尊死をするイリスをしっかりと抱きかかえている。
「うん、イリス?」
「舞お姉ちゃんの芸名だよ。アイドルをしてるんだって」
「なるほど、そういうことか」
グラッサはなんとか納得したようだった。
合流したところで、グラッサたちは小麦の住む街へと戻るべく、父親の運転する車で空港を発つ。
移動する車の中では、グラッサは二人から今回のメールの詳細な情報を聞き出している。
「……なるほどな。憑依した人物が段々と吸血鬼化しているから、それを止める方法を聞きたいと、そういうわけなのか」
「私たちとしてはメールでのやり取りでもいいと思ったのだが、こういうことは直接見てもらった方がいいという結論になってね。すまないな、グラッサ。あっちでの仕事も大変だというのに、呼び出してしまって」
「いや、それは構わない。今はルナ・フォルモントとは和解をしたし、ドーターの大事なフレンドの一人だ。フレンドというものを大切にするものだからな、相談くらいならいくらでも乗ってやるというものだ」
「さすがママ、頼りになる」
グラッサの話を聞いていた小麦は、ものすごく喜んでいるようである。
小麦にとって満は配信仲間だし、一度好きになった相手だ。
ルナ・フォルモントの方にしても、最初こそ敵視していたものの、今ではすっかり友人関係に収まっているようである。
「しかし、真祖であるルナ・フォルモントでもお手上げとはな」
「そもそも、グラッサがインターネット空間に閉じ込めたのが原因じゃないのか? こんな弊害が出るとは誰も思わなかっただろうが、一因では間違いないだろう」
「それもそうね。あの時は切羽詰まっていたとはいえ、ちょうど落ちていたパソコンを媒体に封印したのはミステイクだったでしょうね」
父親の指摘に、グラッサも額を押さえながら反省しているようだった。
しかし、当時のグラッサの実力では、真祖であるルナ・フォルモントを退治することはできなかったので、やむを得ない処置なのである。
「まま、どうにかできるのかしらね」
「分からないわ。本当んこんなことは初めてだからね。やるならば、悪魔憑きを払うような方法になるとは思うけれど、できれば無事に二人を分けてあげたいわね」
グラッサはかなり頭を悩ませているようである。
とはいえど、大本の原因が自分ゆえに、グラッサはやり遂げねばならないのである。
「満少年にルナ・フォルモントがとりついたのは、ほぼ二年前だったかな、ドーター」
「うん、確か聞いた限りはそうだったよ。アバター配信者『光月ルナ』の活動し始めた時期だっていってたからね。だから、二年前の九月中旬から下旬ってところだよ、ママ」
「そうか。ならば、急いだ方がいいかもしれないな」
グラッサの表情がかなり深刻になってきている。
「ダーリン、できるだけ飛ばしてちょうだい」
「ああ、分かったよ。それじゃしっかりつかまっていてくれよ」
「うん、パパ」
父親はアクセルを踏み込み、高速道路を制限速度で走り抜けていく。
急にグラッサの様子が変わったことが気がかりではあるが、今は言われた通りに地元に急ぐことが最優先だろう。
時々休憩を挟みながらも、どうにか小麦たちは自宅へと戻ってくることができたのだった。




