第351話 頼れる女性
仕事を終えて家に戻ってきたグラッサは、家でも仕事をしていた。
それというのも、退治屋としての顔もあるからだ。会社の仕事は家には持ち帰らない、それがグラッサの信念である。
グラッサの持つスマートフォンが震える。
(あら、こんな時間にメールだなんて、誰かしらね)
珍しいことらしく、グラッサは思わずスマートフォンを手に取ってしまう。
「あら、ダーリンからだわ」
スマートフォンに表示された差出人は、自分の夫だった。
基本的にはお互い不干渉ではあるために、こうやってメールを送ってくるのは、時節の挨拶くらいなのだ。
ところが、今回はその時節には当たらないイレギュラーなもの。それゆえに、グラッサは不思議がっているようなのだ。
メールを開いて、グラッサは思わず面食らっているようだった。
「あらあら。ルナ・フォルモントからの相談とか、面白いことになっているじゃないの」
文面からは緊急性が感じられたものの、思わずにやけてしまうグラッサである。
本来は敵対する相手からの相談ごとだというのだから、グラッサとしては興味を抱いてしまったのだ。
だが、その内容がどのようなものかは記載されていない。直に会って話をしてもらえないかということだけだった。
夫からのメールを見たグラッサは、アイスコーヒーを飲みながらいつものように夕食の支度に取り掛かる。
(あのルナ・フォルモントからのご指名とはね。私もずいぶんと買われているものだな。よくは分からないが、あやつからの指名であるなら、行ってみることにしようか)
前年にかなり長く休暇を取っていたこともあって、グラッサは今年の休暇はちょっと悩んでいるところだった。
事情があるとはいえど、さすがに家族からのSOSともなれば、じっとしていられない。
すぐさま会社と連絡を取り、二十日ほどの休暇を取得することができた。なんとも気前のいい会社である。
その代わり、さすがに翌日からとはいかなかったらしく、数日分の仕事を済ませてからという条件をつけられてしまった。
グラッサは会社にとって重要な社員のようで、何もなしに抜けられるとかなりの痛手になるらしい。長期休暇を認める代わり、仕事を前倒しして済ませてくれという風に懇願されたのだった。
「やれやれ、まったく仕方のない上司たちだわ。頼りにされるのもいいけれど、そちらも仕事をしてもらわないと困るわね」
困った顔でグラッサは笑っていた。
とはいえ、約束を取り付けたのだから、責務はきちんと果たすつもりである。
翌日と翌々日のグラッサは、それはもう鬼のように働いていた。
普段でもかなり優秀な仕事っぷりではあるのだが、この時ばかりはいつも以上に鬼気迫る雰囲気を醸し出しながら仕事をしている。
「やあ、グラッサ。ずいぶんと頑張っているようだね」
「ええ。愛する家族に久しぶりに会うことになりましてね。長期休暇を許可いただく代わりに、仕事を前倒しで済ませてくれと頼まれましてね。普段の倍以上をこなしているんですよ」
グラッサは手を止める様子もなく、この先一週間分くらいの仕事をハイペースで片付けている。
「本当に君は優秀な人だ。だが、いくら家族に会いたいからとはいえ、無茶は感心できんぞ。言ってくれれば、私の部署でも仕事は分担するつもりだ。君ばかりが背負う必要はないよ」
「ありがとうございます。ですが、約束は約束ですので、今回は遠慮させていただきます」
「そうかい。それはすまなかったな」
声をかけてきた男性社員は、グラッサから離れていく。
しばらくして戻ってきたかと思うと、何か飲み物が入ったコップをグラッサの前に置いていた。
「あまり根を詰めるのもよくない。少しは甘いものでも飲んで、落ち着くといいよ」
「ありがとうございます」
グラッサはコップの飲み物をぐいっと飲む。
中身はホットココアだった。
「まあ、頑張ってくれ。どうしてもこなせなかったら、俺も頼ってくれよ。同期なんだしな」
「ええ、もしもの時はお願いしますね」
男性社員はグラッサにいうだけ言うと、笑いながら手を振って去っていった。
「まったく、入社したての頃から変わらないんだから、あいつは」
くすっと笑いながらも、ココアをもう一口含んだグラッサ。
少しでも早く仕事を済ませるために、その後もひたすらパソコンとにらめっこを続けたのだ。
二日間頑張ったかいがあり、約束通りの仕事を済ませたグラッサ。
日本へと旅立つことになった日は、スーツケースを持って空港へとやってきていた。
「久しぶりのジャパンですね。ドーターはカレッジに入ったといいますし、会うことはできるかしらね」
ロビーで飛行機の搭乗の時を待つグラッサは、いろんなことを思いながら静かにじっと座っていた。
ようやく搭乗案内が流れ、グラッサは搭乗口に向かって歩き始める。
(ルナ・フォルモント、何を企んでいるか知らないけれど、私が出向くからには好きなようにさせませんよ)
気を引き締めたようなことを思うグラッサだが、その口元はとても楽しみにしているのか緩みっぱなしである。
いろいろな思いが胸中に渦巻く中、グラッサを乗せた飛行機は無事に離陸をしたのだった。




