第338話 舞い満ちる
満の父親の田舎にある山道入口の小さな神社。その神楽殿の前には大量の人が押し掛けていたのだ。
「ちょっと待って。なんでこんなに人が来ているの?」
神楽殿の裏からひょっこり顔を出した満が驚いている。
あまりにも人が多くて、思わず震え上がってしまうくらいだ。
「ええ、大丈夫かな、私ちゃんと舞えるかな?」
香織もつられて緊張してきているようだ。
だが、ベテランの巫女たちは落ち着いている。
「大丈夫です。多少のミスは気にしなくてもいいのですよ。山神様はその心を見ていらっしゃいます。堂々と舞い切りましょう」
拳を握りしめ、鼻息荒く話すベテランの巫女の姿に、満たちは呆然としてしまう。それと同時に、さっきまでの緊張がどこかに吹き飛んでいったような気がするのだ。
「分かりました。香織ちゃん、やり切りましょう」
「そうだね、ルナちゃん」
香織がちゃんと満のことを女性の時の名前で呼んでいる。そこをミスらないくらい、緊張感はどこかに吹き飛んだようである。
そうして、日が少しずつ傾き始めた夕方の4時、いよいよ山神様に奉納する舞が始まる。
そのちょっと前、神楽殿へとやって来た見物客たち。
「うへぇ、なんだって今年はこんなに人がいるんだ?」
「なんでも今年は外人さんが舞うらしいぞ」
「なんだそれ。それって祭りとしてはどうなんだ?」
見物客の中の男性二人が何かを話ししている。
「いや、今年は人が集まらないとか言って、外部に協力を求めたらしいからな。外国人がいても不思議じゃないかな」
「ふむ。まあ、理解して手伝ってくれるのなら、別にいっか」
「だな」
二人が話をしていると、いよいよ奉納の舞が始まるらしく、前の方が騒がしくなっている。
「どうやら始まるみたいだな」
「くそっ、ここじゃよく見えないな」
「しょうがない、出遅れちまったんだからな」
二人からは神楽殿が、頭の隙間からかろうじて見える状態だ。
その隙間から見ていた二人は、舞を舞うメンバーの中にいた人物に驚いている。
「ちょっと待て、あれはルナちじゃないか?」
「本当だ。配管工レーシングで見たから知ってるが、間違いなくルナちの中の人!」
そう、光月ルナの中の人の姿があったのだ。いうまでもなく満のことである。
「なるほど、見た目だけなら確かに外国人だわ」
「ルナちは見た目外国人だけど、日本語ペラペラだしな。外国人って感じがしないな」
「さっきまでといってたことがちげえな」
「ルナちだからだよ。なんだろうな、この安心感は」
「分かる」
さっきまでの言い合いが嘘のように静かになる二人である。
周りに人がたくさんいて見づらい状態ではあるが、光月ルナが舞を舞うとあって、二人はじっと黙って神楽殿へと視線を向けたのだった。
いざ舞が始まると、先程まで騒がしかった見物客たちが、徐々に静まり返っていく。
複数人数による物語のような舞は、見る人たちの心を引き付けているのだ。
心配していた満と香織も、しっかりと舞えている。特に満は、これまで見せてきた反則的な能力の高さをここでもしっかりと発揮している。
時間にして10分少々の舞ではあるが、その間に聞こえてきたものは舞の音楽と蝉の声と遠くを行き交う車の音だけだった。境内に集まった人たちは、その見事な舞に引き込まれてしまっていたのだ。
無事に舞が終わると、しばらく静まり返っていた境内から、徐々に拍手が響き渡り始める。
最後に一礼をすると、満たちは奥へと姿を消していく。その後も、その拍手はしばらく鳴りやむことはなかった。
社務所に戻ってきた満と香織は、疲れた様子で椅子に腰掛けていた。
「はあはあ……、無事に終わったぁ……」
「終わったね、み……ルナちゃん」
暑い中で舞いきったことで、二人ともものすごい汗が流れている。
「お疲れ様、二人とも。はい、飲み物とタオルです」
「ありがとうございます」
タオルを汗をぬぐうと、飲み物をぐっと一気に飲んでしまう。そのくらいのどが渇いていたのだ。
「二人のおかげで、今回の奉納舞は大成功ですよ。本当にありがとう」
「いえ、困っている時はお互い様ですから。貴重な体験をさせていただいて、ありがとうございました」
「私も、ありがとうございました」
二人はそろって頭を下げている。
お礼を言う側がお礼を言われて、ベテランの巫女はとても困っているようである。
「お礼を言うのはこっちなんだけど、何でしょうね、複雑な気持ちになりますね」
ベテランの巫女が笑えば、満と香織も笑っている。
「境内はもう少しの間混みあっているから、もうしばらくここで休んでいてちょうだいね。帰ったら、晴太郎さんと久志さんにもお礼を伝えておいて下さい」
「分かりました。必ず伝えておきます」
ベテランの巫女が去ってくと、満と香織は言われた通りにそのまましばらく社務所の中で休んでいた。
人がおおよそはけたところで、祖父が迎えに来る。
その車に乗って、満たちは一度服を借りた神社へと向かい、その後祖父の家へと戻っていったのだった。




