第301話 中学三年生の始まりに
夜が明けて四月二日。
香織からメールが来ていたので、今日も満はお出かけである。
「満くん、おはよう」
「おはよう香織ちゃん。おじさん、おばさんもお久しぶりです」
「やあ、今日は香織にせがまれて、新年度初日から有給だよ。まったく新入社員に示しがつかないじゃないか」
「まあまあ、あなたったら」
愚痴っている香織の父親だが、顔はすっかり緩み切っている。実のところは嬉しいようである。
満が香織の家族と顔を合わせるのは、去年のバレンタイン以来だろうか。その時も父親は仕事で不在だったので、家族ぐるみだと小学校の低学年まで戻ることになるだろう。
「しっかし、満くんはすっかり男の子って感じになってきたな。なんとも頼りがいがあるな」
「あははは、ありがとうございます」
香織の父親に褒められて、照れくさくてはにかんでしまう。
「それで、香織」
「なあに、お父さん」
「今日は花見でいいのかい?」
「そうだよ? この時期に他に何かあるの?」
父親が確認してくるので、香織は呆れた顔で答えている。
「そうかそうか。なら河川敷近くの緑地公園かな」
「そうですね。あそこは今年もいい感じに桜が咲いてますからね」
「まったく、平日の昼間から飲めるというのはいいものだな」
「ほどほどにして下さいよ、あなた。子どもたちだっているんですから」
花見をしながら酒が飲みたいらしい。ところが、香織の母親がしっかりと釘を刺していた。
しっかりと釘を刺された父親は、ごまかすように笑っているようだった。
香織たちの家族も相変わらずの仲の良さのようで、久しぶりに会った満はほっとした様子を見せている。
「時に満くん」
「はい、なんでしょうか、おじさん」
「うちの香織はどうだい?」
「えっと? 仲良くさせて頂いてますけれど」
香織の父親からの急な質問に、満はこてんと首を傾げながら答えている。どうも質問の意図が汲めていないようである。
「あなた、変な質問をするんじゃありませんよ」
「いや、だって。もう香織も中三なんだ。少しくらい……」
「いい加減にしてください。帰るまでお酒禁止にしますよ」
「ちょっと待て。花見なのに飲めないってそんな……」
香織の父親は母親に思いっきり叱られている。これには香織は恥ずかしそうにしているが、満はまったく状況が飲み込めず困惑している。いやはや、本当に満は鈍いようである。
結果、父親は先程の発言を取り消して、満に謝罪をしたようだった。
ところが、満はひたすら首を傾げるばかり。鈍いにもほどがあるというものだ。
ちょっと騒ぐ場面もあったものの、無事に緑地公園に到着する。
せっかくだから座って花見をしたいところだが、もうどこもかしこも人だらけである。これが平日の午前中とは思えない光景である。
緑地公園の歩道には屋台が建ち並んでいる。
公園に到着するまでにお菓子などを購入していたが、せっかくだからと何店舗か屋台を覗いて適当に買い足していく。
「ここなら座れそうだな」
香織の父親がそういって指し示すのは、河川敷の護岸工事のブロックの上だった。六角形のコンクリートの真ん中がくぼんでいるので、そこを座面にして座ろうというわけである。
「荷物はどうします?」
傾斜が緩いとはいえ、荷物を置こうとすればそのまま転がっていきそうだ。仕方ないので、父親が自分の腕に引っかけて荷物を管理することにしたようである。
「いやあ、振り返るにはきついけれど、対岸にも桜が満開でよかったな」
「そうですね。本当にきれいに咲き誇っていますね」
香織の両親がほのぼのと話をしている。
「そういえば、二人は高校はどうするんだい?」
そうかと思えば、香織の父親が急に話を振ってくる。
そういえば満たちは中学三年生である。年度末は受験が待っているのだ。当然ながら、親というものは進路を気にしてしまうというものである。
なので、香織の父親は突然確認を行ってきたのだ。
「僕は市立高校に進むつもりですね。将来のことは分からないし、ひとまずは普通に高校進学を目指します」
「そうかそうか」
香織の父親は納得しているようだった。
「香織の方はどうなんだ?」
「うんー、私も市立高校かな。私もまだ具体的に将来の希望が見えているわけじゃないから、高校卒業まではしておこうと思うの」
「そうかそうか。今はまだ分からんだろうから、それでいい。具体的に決まってからでも構わないぞ。焦ってもよくないしな」
香織の父親は、聞いておきながら当たり障りのないことを言っているようだった。
「私も高校三年生まで特に決めていなかったから、二人には強要するつもりはない。でも、早めに決めておいても損はないぞ。目的地は決めておいた方が、いろいろとやりやすいからな」
「そうですか。参考にさせてもらいます」
香織の父親の言葉に、満は一応お礼を言っておいた。
その話に、満は不意に小麦のことを思い出していた。母親のようになるんだって決めて、大学受験を頑張っていたのが印象深かったからだ。
(僕のやりたいこと、かぁ……)
満はつい考えてしまう。
中学三年生となった満は、ちょっと悩ましいスタートを切ったようだった。