第297話 楽曲収録
同日、香織はVブロードキャスト社に呼び出されていた。
今日は前々から予告してあった大事な日である。
「いよいよ収録かぁ……」
「緊張するわよね、マイカ」
「うん、すっごく緊張してる……。歌と踊りが別々なのは助かるけど、ちゃんと踊れるかが心配」
そう、アイドルデビューの日である。
今日はデビューとなる曲の歌とMVの作製を行うのだ。まだまだ厳しいと見たのか、歌とダンスは別々に収録という形となった。
服装は指定通り、動きやすいパンツスタイルにスニーカーで来ている。
Vブロードキャスト社の配信用スタジオは、十分に録音や撮影に適した状態になっている。普段スタジオ内に置いてあるパソコンなどを取っ払えば、踊ることは可能なくらいだ。
MV撮影用にすべてを取っ払われた部屋の中に、まずは歌唱を録音するためのマイクが運び込まれる。
それを前にして、音響システムなどが置いてある部屋に、社員ではない外部の人が入ってきていた。それは、楽曲を提供してくれた作詞家と作曲家、それとダンスを考えてくれた振付師だった。
マイカもぴょこらも、何度かお目にかかったことのある人物である。
「本番ということで、今までの練習の成果を見せてもらいに来たわ」
「我々に頼んだということは、社長は本気なのだろう」
「なので、今日の収録で、君たちの本気というものを見せてもらおう。私たちも仕事だから、中途半端なものは送り出したくはないからね」
さすがはその道の第一人者たちである。言葉になんというか、とても重みが感じられる。
一方のマイカとぴょこらも、この仕事を引き受けたからには、本気で向き合っている。特にマイカは友人にも見てもらって練習をしてきたくらいだ。ここまで打ち込んできたのだから、なんとしても一発で収録を終わらせたいと考えている。
「マイカ、気合いを入れすぎ。そんな感じじゃ、逆に動きが固くなって失敗してしまうわ。もう少しリラックスしなさいって」
「ぴょこらちゃん……」
ふんすと鼻息を荒くしているマイカに対して、ぴょこらが肩を叩いて諭している。
マイカは驚いた顔をしてぴょこらの方を見ている。
ぴょこらの自信ありげな笑顔を見て、マイカもちょっと緊張がほぐれてきたようである。
二人とも十分な状態なったことで、最終的な打ち合わせが行われる。
「それでは、歌から収録しましょうか。これは販売用の音声データになるので、フルコーラスで頼みますね」
「はい、頑張ります」
スタジオの中に入り、マイカとぴょこらはマイクの前に立ってスタンバイする。
流れてくる音楽に合わせて、通しで歌う。
途中で失敗することなく、無事に最後まで歌いきることができた。全員の判定はいかに?
「ふむ、さすが私たちが指導してきただけありますね」
「この本番でも一発で決めてしまうとは、この子たちは逸材かも知れませんね」
なんと、作詞家たちを一発で納得させてしまった。これにはVブロードキャスト社の森や犬塚たちもびっくりだった。
自分たちが選んでデビューさせたアバター配信者とはいえ、ここまでやれてしまうとは思ってもみなかったようだ。
「それでは、モーションキャプチャでダンスを撮ってしまいましょう。両方無事にオーケーが出れば、あなたたちも一緒に確認してみましょう」
「はい!」
森の言葉に、マイカとぴょこらは元気に返事をしていた。
続けてダンスの撮影に移ったのだが、さすがにこっちはまだ慣れが悪いのか、何度か撮影のやり直しとなった。
付け焼刃の技術では、まだまだダンスは不十分なようである。
とはいえども、何度も繰り返しているうちにちゃんと及第点が取れるあたり、二人のやる気は本物のようである。
「お疲れ様。初めての収録だったのに、よく頑張ったわね」
「……はい」
「当たり前じゃないですか。こんな私たちでもアイドルになれるというのですから。やるからにはつかみ取るために本気になりますよ」
マイカは返事で精一杯だったが、ぴょこらはしっかりと答えていた。ぴょこらの方はまだまだ余裕がありそうである。
二人の姿を見ている作詞家たちも、二人には何かしらの可能性を見出しているようだった。
「これはひょっとするとひょっとするかもな」
「ええ、そうですね」
「ふふっ、発表が楽しみですね」
二人収録を確認した三人は、確かな手応えを感じていたようだった。
こうして、黄花マイカと鈴峰ぴょこらのデビュー曲の楽曲データが完成した。あとはこれを組み合わせれば、MVの完成である。
残りの作業は犬塚に任せ、森はマイカとぴょこら、それと作詞家たちを連れて打ち上げの食事へと出かけていく。
二人のユニットによるアイドル路線デビューは、よりにもよって四月一日だ。いわずもがなエイプリルフールである。
はたして、どのような反応があるのだろうか。
当日の午後には配信も予定しているために、改めて二人は緊張に包まれてくる。
Vブロードキャスト社のアイドル路線デビュー第一号となる黄花マイカと鈴峰ぴょこら。その命運を分ける日は、着実に近付いていた。