第288話 バレンタインの傷
翌朝、満は目を覚ます。
その姿はちゃんと男の子に戻っており、ルナはちゃんと吸血をしていたようだった。
だが、起きたのはいいが外は真っ暗である。早く寝過ぎた分、早く起きてしまったのだ。
起きてしまったものは仕方ないと、満はベッドから抜け出すといつものように朝の活動を始めたのだった。
当然ながら女性もののパジャマだったのだが、もう少しだけだからと、満はそのまま着替えずに作業をしたのだった。
きちんと男の時の制服で学校姿を見せる満は、途中で合流した風斗とは話もそこそこに別れ、自分のクラスへと入っていく。
すでに登校していた香織が満に気が付くと、にっこりと笑いながら話し掛けてきた。
「おはよう、満くん」
「おはよう、香織ちゃん」
ちょっと恥ずかしそうにしながら、お互いに朝の挨拶を交わす。やはり昨日のことが影響しているのだろう。
あれは昨日のお昼休みのことだった。
満たちはいつものように屋上へと続く階段のところでこそこそと話をしていた。
その時に、香織が話を振って、チョコレートを渡すことになったのだ。
だが、その時に、香織は衝撃的なことを聞いてしまう。
「えっ、それじゃ満くん、教室で村雲くんにチョコを渡しちゃったの?!」
「え、あっ、うん……」
そう、教室で満が風斗にチョコレートを渡してしまったという話である。
驚く香織に対して、満は恥ずかしそうに縮こまりながら頷いていた。今さらながらにやらかしたことを後悔しているのである。
あまりの驚きにぽかんと口を開けたまま、香織は風斗の方にも顔を向ける。すると、風斗は頬をかきながら顔を逸らしていた。
衝撃的な事実に、香織はしばらく開いた口が塞がらなかった。
「……はあ、満くんてそういうところが無頓着すぎるのよね。ただでさえルナちゃんは美人なんだから。しかも手作りときたら、これは噂になっちゃうわね」
「だよなぁ……」
「うん、本当にごめん、風斗」
香織から責められてしまえば、満も素直に反省である。
とはいえども、過ぎてしまったことはしょうがない。
「私が渡したのを見せても、きっと三角関係がどうとか言い出しそうね。こうなったら、ルナちゃんが見ている中、みんなの前でチョコレートを渡すしかないわね」
「そ、それで大丈夫かな」
「大丈夫よ。満くんがにこにこして気にしていないって態度を見せていれば、ただの友チョコかって認識してくれるはずだから」
「そ、そんなにうまくいくかな」
「いかせるしかないの」
というわけで、三人は階段を降りて教室の前へと移動していく。
教室の前で立ち止まると、香織が思い出したかのように装いながら、チョコレートを取り出す。
「はい、村雲くん。チョコレートよ」
「おっ、悪いな」
打合せ通りに香織は風斗にチョコレートを渡す。これには見ていたクラスメイトたちがざわついている。
「それからルナちゃん。あなたにもあるわよ」
「わあ、ありがとうございます、香織ちゃん」
香織がチョコレートを満に手渡すと、両手で受け取ってこの上ない笑顔を見せている。
この時の満の笑顔には、目の前にいた香織や風斗はもちろんのこと、この状況をのぞいていた他の同級生たちもびっくりしていた。
「そうだ。僕からもあるんですよ、お渡しするチョコレート」
香織からチョコレートを受け取った満は、左手に香織のチョコレートを持つと、右手で自分のチョコレートを取り出す。
そのまま片手で、満面の笑みを浮かべながら渡すと、一部の学生が突然悶絶し始めた。
「と、尊すぎる……」
「ぎ、銀髪美少女の笑顔、頂きました……。がくっ」
あまりの過剰反応があるものの、満は目の前の香織に集中していて気が付いていなかった。
「あ、ありがとう、ルナちゃん」
恥ずかしそうにしながらも、香織はチョコレートを受け取る。
あまりにも尊い光景だったために、教室や廊下にいた生徒たちが、息をのんでしばらく動けなかったという。
……とまあ、こんなことがあれば二人が顔を合わせて恥ずかしがるのも無理はない。
だが、満とルナが同一人物だと知らないクラスメイトたちからすれば、この二人の状態は勘違いを引き起こす原因となってしまう。
周りの視線に気が付いた満と香織は、なんだか気まずそうになりながらも、自分たちの席へと移動していったのだった。
あまりにも不可解な行動に、クラス中が首を傾げるのだった。
放課後、珍しく一緒に下校する満と香織。
「あ、満くん」
「なに、香織ちゃん」
「チョコレート、おいしかったよ。腕上げちゃって、なんだか悔しくなってくるかな。このままだと私より上手になりそう」
「そっかな。きっと、香織ちゃんの教え方が上手だったからだよ」
「えへ、えへへへ……」
満にそんなことを言われて、嬉しいやら恥ずかしいやらで、香織はなんとも複雑な笑い声を出していた。
「あっ、香織ちゃんからもらったチョコレート、まだ食べてないや」
「ええっ? でも、いいんだよ、満くん。食べたい時に食べてね」
「う、うん。ごめんね、香織ちゃん」
「気にしてないから大丈夫だよ」
満はなんとも余計なことを言ってしまう。相手の気持ちに対して相変わらずの鈍さである。
香織の方が気を使ってこのやり取りなのだが、慣れているのか本当に気にしていなさそうだった。
「ホワイトデーも楽しみにしてるからね。満くん、それじゃあね」
「あ、うん。頑張ってみる」
香織が元気そうに去っていくので、満は安心した表情で香織を見送っていた。
本当にこの幼馴染みたちは、なんとも絶妙なバランスで成り立っているようである。