第259話 嵐の前の嵐
「ルーナちゃん!」
大会を三日後に控えた日のことだった。
マッハたちのチームメイトの紅一点である、キーンと呼ばれる女性である。おそらく、女王を意味するクイーンと飛行の擬音であるキーンをかけているのだろう。
「なんでしょうか、キーンさん」
「ふふふっ、せっかく東京に来ているのに、ずっと閉じこもっているのもなんでしょう? お姉さんと出かけない?」
「え、ええ……」
にこにことした笑顔で見つめてくるキーンに対して、満はちょっとたじろいでいる。
「でも……」
満は隣の部屋に向けて視線を向ける。どうやら、同じチームのマッハたちを気にかけているようだ。
満の視線に気が付いたキーンは、にこにことした笑顔のまま、満の腕をつかむ。
「へーきへーき、一日くらいで落ちる腕なら偽物よ。息抜きくらいする余裕は持たなくちゃね」
どこまでいっても笑顔を絶やさないキーンに根負けし、満はこの日は一日気分転換に付き合うことにしたのだった。
朝食の席でマッハたちに確認を取った満とキーンは、早速ホテルを出て東京の街の中を散策する。
年末のクリスマス前とあって、お店の前にはクリスマスツリーが出ていたり、街路樹の一部にはイルミネーション用のケーブルが巻かれていたりする。
「そういえばクリスマスだったね。大会はクリスマスに行われるんだけど、ケーキは食べるかな?」
「そうですね。今年も食べたいですね」
「ははっ、そうか」
キーンはにっこりと微笑んでいる。
微妙にかみ合ってないように見える会話だが、お互いにどうも読み切っているようである。満にしては珍しいものである。
「それにしても、平日だというのにすごい人ですね」
「東京のど真ん中だと、これが日常風景よ。私もこんな中毎日仕事してるものね」
「お疲れ様です」
キーンがため息をつきながら愚痴をこぼすものだから、満は気にかけながら労いの言葉をかけている。
「ルナちゃんは優しいねえ。よしよし、お姉さんがおごってあげるから、欲しいものがあったら言ってよね」
「あ、いえ。僕は大丈夫です。自分の欲しいものは自分のお金で買いますから」
キーンが甘やかそうとすると、満はスンとした表情できっぱりと断っていた。根が真面目だから仕方がない。
「うう……。そっか、アバ信やってるもんね。しかも、マッハを負かしたアバ信……」
すすっと、満に近寄っていくキーン。
「な、なんなんですか」
急に近付いてくるものだから、満は慌てた様子で問い質そうとしている。
「いやあ、おいくら稼いでいるのか、ちょっと気になっただけだよ」
「言いませんよ。個人情報ですからね」
「ふふっ、本気にしちゃって……。可愛いなぁ、もう」
「からかわないで下さいよ、もう!」
にやにやと笑うキーンに、満は本気で怒っていた。
あまりにも自由に振る舞っているものだから、目立ちすぎて道行く人たちからちらちらと視線を向けられている。
「あややや、ちょっと騒ぎすぎちゃったか。とりあえず、行きたいところがあったら案内してあげるわよ。私、家は東京だから、知ってる所なら案内できるし」
「それならお願いします。僕は地方都市ですから、この人数にはちょっと参ってますからね」
「ふふっ、お姉さんに任せなさーい」
この日の満は、ひとまず配管工レーシングのことはすっぱり忘れて、キーンと一緒に東京の街の中を楽しんだ。……はずだった。
「ちょっと、ここも寄るんですか?!」
「そうだよ。ルナちゃんは可愛いし、今着ている服も合ってるけど、ちょっと地味かなって思うからね」
「いやいやいや、僕は今のままでいいですよ。それに、荷物増やしたくありませんから」
満がこれだけ必死に断っているのは、女性用の服のお店である。中身が男なのだから、どうしても拒否反応が出てしまうのである。
「やだなぁ……。アバ信であんな格好してるんだから、リアルも似合うって」
「ううう、ここでその話は反則ですよぉ……」
光月ルナの姿のことを引き合いに出されてしまうと、満に反論は無理だった。
結局、キーンに言われるままにお店に入り、服を数着、アクセサリを数点購入させられるはめになってしまった。
「ありがとうございました~♪」
店員が見送る中、ほくほく顔のキーンと真っ赤になって恥ずかしがる満である。
「今日の服は大会の日に着て、みんなを驚かせよう」
「は、はあ。そうしましょうかね」
「もう、暗いぞルナちゃん」
キーンは笑いながら満の背中をバンバンと叩いている。
満を見てからやりたかったことを成し遂げられたので、キーンはとてもご機嫌なようなのだ。
「でも、いいんですか。これだけ高そうな服を一切お支払いなしでプレゼントしてもらって」
「いいのいいの。私がしたかったことだからね。その代わり」
「その代わり?」
「世界大会は優勝目指して頑張るのよ」
人差し指を立てて、ウィンクをして満に言い切るキーンである。これには満もつい面食らってしまう。
「ふふっ、ここに来たからには、当然目指しますよ。なんてったって、僕は非公式の場ながらもマッハさんに勝ったんですからね」
「よしよし、言ってくれたな。それじゃ、ホテルに戻りましょう」
「はい」
十分に遊んだ満とキーンは、楽しそうな表情をしながらホテルへと戻っていく。
配管工レーシングの世界大会まであと三日。
今この間にも、世界の強豪たちは会場へと続々と集まってきていたのだ。