第235話 一日といったらあれですよ
始業式の日は終わるのが早い。
あっという間に放課後になると、満が風斗に声をかける。
「風斗、書店に行こう?」
書店へのお誘いだった。
「ああ、今日は一日だったな……」
風斗が気の抜けた声で反応している。
「そうだよ。二学期の始業式は普通は一日だよ」
満が冷静にツッコミを入れている。
「だよなぁ。ってことはあれを買いに行くのか」
「そうだよ」
満から圧をかけられている。
ただ、あまり近付いてしまうと、風斗の視界にはあれしか入ってこなくなる。
「胸が近い、離れてくれ」
「あっ……。どこ見てるんだよ、風斗」
自分が女になっていることを思い出して、満はぱっと体を捻って胸を隠している。
「まったく、よく変わるからとはいっても、自分がどっちかくらいはきちんと覚えておいてくれよ……」
「無茶だよ。変に意識したら、自分がどっちか分からなくなっちゃうもん」
「そういうものなのか?」
「どういうものだよ」
性別がころころ変わるなんていうことは、そう簡単に体験できることではない。なので、双方の言い分はまったくもって誰にも理解できないのである。
これ以上言い争っても無駄だと悟った風斗は、仕方なく論争に終止符を打つことにした。
「それじゃ、書店に行くか。花宮は誘うのか?」
「う~ん、香織ちゃんも誘ってみるか。幼馴染みなんだし」
言い争うよりも行動を起こすことにしたのだ。
あと、緩衝材として香織を巻き込むことにしたのである。風斗なりの防衛策である。
最近は女の状態の満を見るたびに、精神的に落ち着かなくなってきているのだ。
しかし、長年の付き合いのある幼馴染みであるために、その関係性も壊したくない。風斗はものすごく頭を悩ませていた。
「風斗、どうしたの?」
「……なんでもねえよ。さっさと花宮を誘うぞ」
「うん」
風斗は自分のよく分からない気持ちに苛立ちを覚えながらも、満との恒例行事へと向かうことにしたのだった。
一度家に戻ってから、着替えずに自転車に乗って駅前へと向かう。
ただし、満だけはつばの広い帽子をかぶってからやって来ていた。
「目立つよね、帽子」
「うん。でも、僕の場合は仕方ないよ。男の時だったらなくても大丈夫だけど、女の時は直射日光は危険だからね」
「まったく、最近の夏は暑いから、満は大変だよな」
駅前に到着したところで、自転車から降りた三人は汗を拭っている。
今日も三十五度を超える酷暑なので、滝のように汗が流れているのだ。
とにかく外ではやってられないと、満たちはさっさと書店へと逃げ込む。
「はあぁ……、生き返るぅ……」
「満、年寄りくせえぞ」
「もう、村雲くんってば、そういう言い方はないんじゃないかな。満くんの体質からすれば仕方ないと思うよ」
「……だな」
香織に咎められて、風斗は口をつぐんだ。
「それじゃさっさと購入して、いつものファーストフートの店に行くか」
「そ、そうだね。レッツラゴー……」
まだダメージが回復しきらないのか、満はふらふらしながら歩き出す。
「もう、無理しないの」
「あっ、香織ちゃん、ごめん」
香織に支えられて、満はつい謝ってしまう。
「幼馴染みなんだから、これくらい当然よ」
香織はそう言いながら、風斗へと視線を向ける。自分に任せろと言わんばかりにウィンクをすると、満と一緒に本を探しに歩いていった。
「やれやれ……。まっ、今は女同士だからその方がいいか」
頭をぼりぼりとかきながら、風斗は二人を追いかける。
満と香織はお互いに思っている様子はあるのだが、まだまだ付き合うには至っていない。告白だってしていない。
二人の様子にはもどかしいものだが、風斗はそれ以外にも何かもやもやした感情を抱えていた。
それは、風斗がとても認めたくないものである。
香織はちらちらと風斗の方を見ていて、その気持ちには気が付いているようである。
ただ、当の満は双方の気持ちにまったくもって気が付いていない。鈍感にもほどがあるというものだ。
「さて、今月の新刊も見つけましたし、あとは予約を受け取るだけです。お会計しちゃいましょう」
さっきまでヘロヘロだったのが嘘のように、満面の笑みを浮かべて漫画の新刊を抱え込む満。この姿には思わず風斗は吹き出しそうになり、香織も笑うばかりである。
「どうしたの、二人とも」
満本人はこの反応である。きょとんとして様子のおかしい二人の姿を見つめている。
「いや、元気になったのならそれでいいんだ」
「うんうん。やっぱり元気な姿が一番だよ」
「……変な二人」
やっぱり満は理解できないようだった。
その後、レジにて毎月取り置きしてもらっている『月刊アバター配信者』を出してもらい、すべてを現金で支払っていた。
「さあ、これで明日の配信のネタができました。帰ったらゆっくり読みますよ」
「本当に、満はその本好きだよなぁ」
「うん。アバター配信者は昔から好きだったし、自分がそうなってからもやっぱり情報は集めたくなるんですよ。ネットですぐ調べられるとはいっても、限界がありますからね」
「本当にアバター配信者が好きなのね」
「大好きですよ」
二人から向けられた声に、満は満面の笑みで答えている。
曇りの一点も見当たらないまぶしい笑顔に、風斗も香織もただ笑うばかりだった。
ちょっとこじれたとしても、満の平常運転で元通りになる。
三人の不思議な関係はまだまだしっかり続いているのである。