第233話 夏休み最後のマイカ
地元のお祭りがあった翌日、香織はVブロードキャスト社に出向いていた。
夏休み中最後の配信を行うためである。こんなイレギュラーな配信は、月曜日が休みでもないとやってられない。
「おはようございます」
森に送られて、香織はVブロードキャスト社に姿を見せる。入口のセキュリティをくぐった瞬間から、『花宮香織』ではなく『黄花マイカ』と変わる。
「おはよう、マイカ」
「おはようございます、しず……ぴょこらちゃん」
「はい、名前間違えないの。間違っちゃいないけど」
「えへへへへ」
鈴峰ぴょこらに怒られながら、マイカは頬をかきながら照れ笑いをしている。
今日はVブロードキャスト社の中には、マイカとぴょこら以外にはスタッフたちしかいない。社会人ならまだしも、学生たちも誰もいなかった。
「ものすごく静かです」
「そうね。あの華樹ミミさんですらいないものね」
華樹ミミはこのVブロードキャスト社の看板アバター配信者。第一期生という初期勢どころか、所属アバター配信者をまとめ上げるハコ全体のママである。
そのママたる華樹ミミは、よくVブロードキャスト社の中に居座っている。そのために社員と思われがちだが、実際こうやっていないこともあるので、社員ではないようだった。
しばらく休憩室でくつろぐマイカとぴょこら。
二人がおせんべいを頬張っていると、ようやく森と犬塚の二人が姿を見せた。
打ち合わせが始まり、今日の配信の内容について説明を聞いている。
二人の場合はこれといってできることがまだなさそうだし、アイドルへの方向転換は、まだまだ先生も見つかっていないので始まるような様子はなかった。
今日もいつものように二人でトークということになった。
打ち合わせもあっさり終わり、まだ配信までには時間が残っている。
そこで、ぴょこらが森に質問を投げかけていた。
「森さん」
「なんでしょうか」
「五期生の状況はどうなっていますか?」
そう、七月から募集を掛けていたVブロードキャスト社のアバター配信者五期生のことだった。
予定通りに進んでいるなら、今は二次選考の審査中のはずである。もしかしたら結果をもう送信している頃かも知れないのだ。
「それは、あなたたちとはいえど話せませんね」
「ええー、けちだぁ。配信で五期生のことを喋らせたのに」
「それはそれ、これはこれですよ。私たちには守秘義務があるんです。いくら所属アバター配信者とはいえど、お教えすることはできません」
守秘義務を盾にされ、ぴょこらの質問は見事返り討ちにあってしまったのだった。
「そんなに慌てなくても、いずれ彼らとは顔合わせをする時が来ます。それまでじっくり待って下さい」
「は~い……」
森に諭されてしまい、マイカもぴょこらもこれ以上のことを聞くことはなかった。
このあと、二人の配信が行われたのだが、相変わらずの絶妙な掛け合いで好評を博していた。現役女子中学生による漫才がこれほどまでに受けるとは思っていなかったようだ。
これもアバターによる配信の効果なのだろうかと、森は配信を見守りながら考え込んでいた。
「どうなさいましたか、森さん」
「いえ。社長が出されたアイドル路線のこと、正直どうしようかと考えていました。なにぶん、ダンスや歌の先生がまだ見つからないらしいですからね」
「そういえばそうでしたね。でも、この二人の魅力を考えると、ありだとは思いますよ」
「ええ、まったくその通りだから困るのですよね。滅多に会うことのない二人ですけれど、揃うとこれだけ息がぴったりですからね」
森たちからのマイカとぴょこらに対する評価は高かった。
ボケとツッコミが阿吽の呼吸のごとく流れがスムーズ。まるで長年連れ添ったかのような相棒のような感じなのである。
ところが、配信を終えたぴょこらからの感想はちょっと違っていた。
「今日のマイカ、ちょっといつもと感じが違ってたわね。何かあったの?」
違和感があったようなのだ。
「あっ、分かっちゃうかな」
マイカはびっくりである。
「実は、昨日なんだけど、現役アイドルの人と話す機会があったから、その話をちょっと取り入れてみたの。どうだったかな?」
「ああ、それで変な感じがしたのね」
マイカとぴょこらの話を聞いている森と犬塚は、きょとんとした表情をしている。
「分かりましたか、森さん」
「いや、分かりませんでしたね。犬塚は?」
「森さんが分からなければ、私には分かりませんよ」
どうやら二人は違いに気が付けなかったようである。
そこで、マイカにじかに尋ねてみることにする。
「今の話、ちょっと詳しく聞かせてもらってもいいかしら」
「はい、いいですよ」
マイカは、昨日イリスと話をしたことを、森たちにも話すことにしたのだった。
「イリスですか。そのアイドルなら知っていますよ」
「でも、そこの事務所、いい噂を聞きませんね」
「はい、傾いているという風に話されていました。理由まではさすがに聞けませんでしたが」
マイカの言葉に、しんと静まり返る。
「まあ、そのイリスというアイドルの話は参考にはできますよ。実際、今もいい形で作用してたようですしね」
森からの評価を聞いてほっとするマイカである。
「これならアイドル路線、進められるかもしれませんね」
「ええ、あとは社長次第だわ」
森と犬塚は頷き合っていた。
新機軸を打ち出すための、黄花マイカと鈴峰ぴょこらのアイドル路線。はたしてうまくいくのか、Vブロードキャスト社の挑戦は始まったばかりである。