第230話 突撃のイリス
夜中の10時過ぎにインターホンが鳴り響く。
さすがにこれに対応するのは父親だった。ちなみに小麦はまだ帰ってきていない。
「どちら様ですか」
さすがにこんな時間に来る人は信用ならないと、父親はものすごく嫌がった表情でインターホンに出る。
「こんばんは~。虹村舞です~」
インターホンから聞こえてきた声に、小麦の父親はぎょっとした表情をしていた。
昔よく家に遊びに来ていた人物だったからだ。
「えっ、舞ちゃん?! 待っててくれ、すぐ開ける」
大人になっているとはいえ、その顔を見間違うわけがない。
慌てて玄関へと向かい、扉を開ける。
「本当に舞ちゃんじゃないか。どうしたんだ、こんな時間に」
「こんばんは。本当にお久しぶりですね」
アイドルとしての顔ではなく、そこにあったのは昔ながらの少女の顔だった。
「夜分遅くに申し訳ありません。私、こういう者です」
後ろからひょっこりと顔を出した環が名刺を差し出している。
名刺を受け取った父親が内容を確認する。
「芸能プロダクション……。舞ちゃん、アイドルになったのか」
「はい、夢を叶えました」
にっこりと微笑むイリスである。
詳しい話を聞こうにも、こんな時間に外というのはまずいだろう。
小麦の父親はイリスと環を家の中に招き入れていた。
しばらく待っていると、小麦が帰ってきた。
「ただいま~。パパ、聞いてよ。お客さんが多いからって残業させられそうになったよ~……」
帰ってくるなり愚痴が飛び出していた。
どうやら今日のイベントのせいでコンビニを利用する客足が多く、22時上がりだった小麦もしばらく応援させられそうになったのだ。
今年は受験生で学業優先ということで、絶対22時までしか働かないと約束していたのにこれなのだ。愚痴も言いたくなるというものである。
「大変だったわね、小麦ちゃん」
「あれ、この声って」
イリスが労いの声を掛けると、小麦はすぐさま居間へと顔を出す。
「あーっ、舞お姉ちゃん!」
「お久しぶり」
「わー、ちょっと待ってて。荷物を置いてくる」
小麦はそうとだけ言って、一度部屋に戻ってすぐに今に降りてきた。
「なになに、なんでここにいるの?」
興味津々に目をキラキラさせながらイリスに問いかける小麦。これにはつい笑顔を見せてしまう。
「ふふっ、駅前でイベントがあったでしょう? 私、あそこにイベントに呼ばれていたのよ。明日もあるけど」
「ええ、そうだったの? 見てみたかったなぁ」
非常に残念そうな表情をする小麦に、イリスはくすくす笑っている。
「だったら、明日は一緒に会場に行こうっか」
「えっ、いいの?!」
「大丈夫よね、環さん」
「大丈夫だと思いますよ。こういうイベントはいつもよりセキュリティ緩いですし」
イリスの質問に淡々と答える環だったが、突然立ち上がってしまう。
「それでは私はホテルに向かいますので。さすがにカラ宿泊はできませんからね」
「うん、また明日お願いしますね」
環は外へ出て行くと、乗ってきた車で駅前へと戻っていった。
残されたイリスは、久しぶりの小麦と話に花を咲かせている。
特に、イリスがアイドルになった経緯については、小麦は熱心に聞き入っていた。
「話しているところ悪いのだけど、舞ちゃん、明日のイベントは何時からかな?」
「昼前10時からだよ。でも、打ち合わせとかあるから8時集合ね」
「ダメじゃない。もう寝ないと」
翌日の時間を聞いて、さすがに小麦も話をしている場合じゃないと感じたようだ。
「えーっ、これからが本番なのに……」
「明日の仕事の後でもいいでしょう? その後の予定はあるの、ないの?」
「……ない、はず」
小麦に言われて、不安そうに答えるイリス。スケジュールは全部環が管理しているせいで、イリスはまったく把握していないのだ。
「もう、さっさとお風呂に入って寝る!」
「しょうがないわね……」
さすがに小麦に叱られることには耐えられなかったらしく、イリスはおとなしく寝ることにするしかなかった。
お風呂に入って小麦のパジャマを借りたイリスは、小麦の部屋で一緒に眠ることになった。
「グラッサさん、いらっしゃらないんだ」
「ママなら、今はフランスにいるよ。向こうがママの主戦場だからね」
「そっか。相変わらずヨーロッパなのね」
イリスはグラッサに会えなかったことがとても残念そうだった。
「そういえば、小麦ちゃん」
「なに?」
「満とか名乗るルナ・フォルモントと会ったんだけど、小麦ちゃんは何か知らない?」
ふと投げかけられた質問に、小麦は黙り込んでしまう。
「そっか、知らないか」
「ううん、知ってるわ。でも、その話は明日の仕事の後。さっさと寝ないと遅刻しちゃうわ。アイドルには致命的でしょ?」
「……その通りよ。仕方ない、明日の仕事の後の楽しみに取っておきますか」
小麦に詳しく聞こうと思ったイリスだったが、雰囲気からするとお説教をされそうだったのでやむなく堪えるしかなかった。
なんにしても、明日には小麦とたっぷり話ができるのだ。楽しみは後に取っておいた方がいいだろう、そう自分に言い聞かせた。
ひとまずは久しぶりに二人で一緒に眠れる状況に満足しながら、イリスは目を閉じたのだった。