第210話 近くて遠い、遠くて近い
フリータイムを使ってカラオケボックスを楽しむ満たちだったが、さすがに時間が遅くなってきたのでお開きとなってしまう。
「はぁ~、歌った歌った」
「ストレス発散、いいよねぇ」
「デュエット最高~」
「たまにはこういうのも悪くないですね」
クラスメイトたちは存分に楽しんだようだった。
(うう、歌えるものが少なかった……)
満はというとあまりJ-POPなどに興味がないせいか、一部のアニメソングなどしか歌えずに、ほとんどが備え付けのタンバリンを叩くだけという悲惨な状況だった。
風斗とやって来た時には趣味が合うのでいろいろと歌えるのだが、さすがに今日は勝手が違い過ぎたのだ。
それにしても、カラオケボックスにタンバリンが置いてあるってどういうことなのだろうか。
「本当にみんなってば、まったく遠慮しないで思い思いに歌ってたわね」
「そりゃねえ。近所迷惑だとかいって、普段はなかなか歌えないんだもの」
「そうそう。好きなアーティストの曲は、気兼ねなく歌いたいもの」
「ねー」
どうやら香織も、友人たちとは歌の方向性が合わなかったらしい。
「香織もさ、私たちに無理に合わせなくてもいいんだからね」
「そうそう、演歌でも昔の歌でも、歌ってくれれば私たちが合わせるんだから」
「うんうん、盛り上がればそれでオッケーなのよ」
「あっ、うん。次は考えておくね」
友人たちにいろいろ言われて、香織も少し反省をしているようだった。
カラオケボックスからは自転車で途中までこんな感じで話をしながら戻っていく。
ある程度家の近くまで戻ってくると、いよいよ解散ということになる。
「それじゃ、また今度ね」
「今日は楽しかったわよ」
「はあ、女の子同士の付き合い、いいわぁ~……」
「ぶれないわね、あなたは……」
「うん、またね」
別れの挨拶をすると、それぞれの家へと向かって再び自転車を走らせ始める。
満は香織と一緒の方向へと、ゆっくり自転車を押しながら歩いている。
満は体質のこともあって早く家に帰りたかったが、香織が何か話をしたそうにしているのでわざわざ付き合うことにしたのだ。
「ねえ、満くん」
「なに、香織ちゃん」
しばらく黙っていたのだが、不意に香織が声をかけている。
「光月ルナの配信で、歌を歌う予定ってあるかしら」
何かと思えば、今日のカラオケボックスのことを絡めた話のようだ。
満は少し悩んだかのように見えたものの、ほとんど即答で返す。
「いや、光月ルナのイメージからして、歌を歌うっていうのはなしかなって思うよ。真祖の吸血鬼っていう役どころだから、今の歌を知っているというのは違和感があるかな」
「そっか。イメージ大事だもんね、アバター配信者って」
「うん、本当にそう思うよ」
香織が返してきた言葉に、満はかなり強く同意しているようだ。
それというのも、先日のアバター配信者コンテストが影響している。
分かりやすいのは、無法師心眼だろう。
彼はイベント主催者から指定を受けたにもかかわらず、ガン無視して自分のコンセプトを貫いた。
結果としてリスナー受けはしたらしく、最終的に三位という実績を残していた。
「あと、僕は家での配信になるから、下手に歌うと近所迷惑だと思うんだよね。カーテンは防音のものにしたけど、やっぱり不安は不安なんだ」
「そっかぁ、個人勢ってそういう悩みがあるのね」
満の話を聞いて、香織は唸っているようだった。
「僕の場合は、『SILVER BULLER SOLDIER』っていうゲームのプレイ配信がネタとして確立してるし、今のところはそれでいいかなって思ってる」
「でも、配信頻度を考えると厳しくないかしらね」
「まあね。そういう時はリスナーからの質問に答えたり、世貴兄さんの作ったあの空間を適当に披露して済ませてるよ」
「ああ、あのチョコレートとかね……。どうなってるのかしらね、あれ……」
「僕にも分からないよ」
光月ルナのVR空間というのは、本当によく分からない。こればかりは満にもまったく理解不能な部分なのである。
「あっ、香織ちゃんの家に着いたね」
「えっ、嘘。もう着いたの?」
話し込んでいると、家に着いてしまったようである。
香織はもっと話をしていたかったのか、残念そうな表情を浮かべている。
「ふふっ、そんな顔をしないでよ。今度は風斗も誘って三人で昔みたいに遊ぼう」
「う、うん」
満は無邪気に提案するものの、香織はあまり乗り気ではなさそうだ。この辺りにも二人の温度差のようなものがある。
「それじゃ、今日は香織ちゃんのおかげで楽しかったよ。また今度だね」
「うん、また遊びましょう」
挨拶をすると、満は颯爽と自転車に乗って去ってしまった。
香織はその後ろ姿を名残惜しそうに見つめている。
「……満くんの、バカ」
はっきり言わない香織も悪いかもしれないが、まったくもって気持ちが伝わらないことがもどかしい。
曖昧に済ませれば話しやすいが、今の香織にははっきりと言葉に出すだけの勇気が足りないのだ。
「いつかきっと、伝わるよね……」
香織は満の姿が見えなくなると、大きなため息とともに家の中へと入っていったのだった。