第205話 鋭さと鈍さと
書店を飛び出して、風斗はずかずかと歩いていく。
「ちょっと、風斗。痛いってば」
前を向いて歩いていた風斗だったが、満の声にはっと我に返る。
「あっ、悪い……」
よく見てみれば、満の腕をつかんだまま早歩きをしていたのだ。
ようやく腕を放してもらえた満は、かなり痛そうに腕をさすっている。
目の前にいる満の姿を見て、風斗はなんとも言えない複雑な気持ちになってしまう。
(こいつは男、こいつは男、こいつは男……)
どうにか気持ちを落ち着かせようとして、首を左右に振りながら心の中で呪文のように繰り返している。
だけど、そんな付け焼刃なぞ、今の満の前では簡単に吹き飛んでしまうものだ。
「どうしたんだよ、風斗。様子が変だよ」
顔をじっと覗き込んでくる満に、思わず飛び退いた上に顔を真っ赤にしてしまう。
「わわっ、風斗、顔が真っ赤だよ?! まさか風斗も?」
「ちっ、ちげえよ。とりあえず、二度も倒れられそうになっても困るから、さっさといつもの店に行くぞ」
「えっ、あっ、うん。そうだね」
やけに必死な風斗の様子に気圧されながらも、満は急ぎ足になる風斗の後を追いかけていった。
(風斗、さっきからどうしちゃったんだろう……)
あまりにもいつもと違う様子を見せる風斗に、満はものすごく戸惑っていた。
しかし、その根本的な原因が自分にあるとは、みじんも考えることはなかったのだった。
満の鈍さ、ここに極まれりである。
吸血鬼ルナ・フォルモントの影響で女性化した時の満の姿は、とても彼女とよく似ている。違う点を挙げるとすればつり目か垂れ目かということくらいだろう。
その外見はじっくり見なくても分かるくらいの美少女だ。銀髪翠眼など目立って仕方がない。
それだけならまだしも、その美少女が鈍感な満の性格のままに迫ってくれば、年頃の少年には刺激が強いというものである。
さらに状況をややこしくしているのが、満と風斗が幼馴染みで親友ということだろう。
だからこそ、満はさらに無防備に風斗に迫ってくる。それゆえに、風斗は毎度のごとく悩まされてしまうのだ。
(はぁ……。なんで月一回のお出かけの日に変身がぶち当たるんだよ。おかげで気が休まらねぇ……)
注文したハンバーガーを目の前に、風斗は思わず下を向いてため息をついてしまう。
「どうしたんだよ、風斗。ため息なんかついて」
「誰のせいだと思ってるんだよ……」
「あー、ごめんね。急に倒れそうになったから怒ってるんだよね?」
「ちげーし!」
「えっ、違うの?」
風斗が怒鳴るものだから、満はびっくりしてきょとんとした顔を見せている。
「あっ、悪い」
あまりにもびっくりした顔を見せたものだから、風斗も冷静になったようだ。
かと思えば、もう一度ため息をついている。
「なあ、満……」
「なに、風斗」
肘をついて手を組む風斗は、真剣な表情を満に向けている。
「頼むから、月頭の出かける日に女になるのはやめてくれ」
風斗から飛び出したのは、なんとも悲痛な心の内だった。
ところが、こんな訴えも満にはまともに通じないのである。
「僕だって、できるならやってるよ。でも、コントロールが効かないんだからんしょうがないでしょ」
満は怒っているようだ。あまりにも一方的な物言いだからだろうか、さすがに満の我慢を超えたと思われる。
「まったく、女のお前と歩いていると、さっきみたいに恋人同士みたいにみられるのが嫌なんだよな」
「えー、なんでそんな風に見られるんだよ。僕たちはただの幼馴染みの友人なのに」
風斗が頭を抱えながら訴えても、満はこの通りである。
「俺らにしか分からない事情が、他人に分かるかっていうんだよ、満。うまく男に戻っている日をあてるようにしてくれ」
「えー……」
風斗がいくら訴えても、満にはどうも響かない。これはかなり重度な鈍感である。
「頼むよ、満。学校はまだ気がまぎれるからいいが、こういう時は抑えが利かなくなるかもしれないんだ。この状況が続くなら、一緒に出掛けるのをやめないといけないかもな」
「ええっ、それは困るよ!」
満はテーブルに両手を勢いよくついて立ち上がる。
満からしてみれば、月頭のこのお出かけは毎月の楽しみだ。それを打ち切られるわけにはいかないのだ。
風斗がここまで訴えて、ようやく満は(風斗の意図する方向ではないが)深刻さを理解したようである。
「分かった。なら、うまく金曜日に変身してる状態を持ってくればいいんだね。ルナさんにも協力を求めてどうにかするよ」
「ああ、本当に頼む。俺、いつまで耐えられるか分からねえからよ……」
「うん、とにかく風斗が大変そうだから頑張ってみる」
やっぱり満は分かっていないようだ。
とはいえ、一応問題の解決はできそうだなと、風斗はほっと胸を撫で下ろしたようだった。
これによってやっと状況が落ち着いたらしく、このあとの二人はいつものように本のチェックと食事を済ませる。
「よっし、こんなもんかな。今日はもう出歩くのはやめておいて、さっさと帰ろうぜ」
「そうだね。さっきみたいに具合が悪くなるのは嫌だよ」
「まったくだ」
最終的には何事もなかったように、二人はファーストフード店を去っていったのだった。