第172話 夏の夜の空月家の食卓
次の月曜日、満は珍しく配信を休んだ。
実は、それには理由があった。
「あああっ、期末テストなのを忘れてたよ!」
そう、一学期の期末テストを、週の半ばに控えていたのだ。
五教科に加えて実技系にもテストがあるゆえに、勉強する量が多かった。
満の学力は平凡なところであるので、これだけの勉強量となると頭がこんがらがるのである。
「まったく、今月に入ったところでテストの予告あったでしょうに。なんで週明けまで忘れているのよ」
夕食の席で母親からツッコミを受ける始末である。
「そうだぞ、満。学生の本分は勉強なんだ。アバター配信者を続けるのもいいんだが、学生であることを忘れちゃいけないぞ」
「うん、分かってるよ、お父さん。だから、今日の配信はお休みにしたんだ。このままじゃ少し厳しそうだなって思ったから」
「偉いぞ、満。ただ、あまりやめているとリスナーだっけか、その人たちが寂しがる。テスト期間中でも土曜日の配信は許可するぞ」
「わあ、ありがとうお父さん」
「あなた、甘すぎませんかね」
父親がかけた言葉に対して、満は両手を上げて喜び、母親は苦言を呈していた。
「でもまあ、そうですよね。満が初めて自分でやると言ってやり始めたことですし、親としてはこのまま応援をしてあげたいわね」
「だろう? うちの満はかっこいいには程遠いが、可愛いは見ての通りのだ。満、その魅力でもっとリスナーとやらたちを魅了してやるんだ」
「お父さん……。僕はちょっとそこまでする気はないかな。それに、僕のアバターは可愛いとは違うんだしさ」
父親の勢いに、満はちょっと引いているようだ。
ちなみに、父親がここまで言うのも理由がある。
この日も満は少女になっていたのだ。
すっかり少女の状態にも慣れた満は、仕草も男の時はかなり違っている。本人はそんなに意識しているわけではないようだが、どうしてこうも違うのだろうか。
「ごちそうさま。勉強するから、流しに置いて部屋に戻るね」
「ええ、ありがとう。頑張ってね、勉強」
「うん、お母さん」
満はシンクの中に食べ終わった食器を置くと、慌ただしく自分の部屋へと駆け上がっていく。
食堂に残った両親は、その後ろ姿をにこやかに見送っていた。
「本当に、すっかり女の子が板についてきちゃったわね」
「まったくだな。あんな服装をするとは思わなかったな」
「無頓着なあの子っぽいわよね。あんな格好で隣にいられたら、風斗くんもたじたじでしょうに」
母親はくすくすと笑っている。
「まったくそうだな。問題なのは、満がそういうことに関してものすごく鈍いということか。やれやれ、風斗くんの気持ちがよく分かるよ」
「あら、あなたったら自分の息子をそんな風に見てるのね」
「お、おい。お前なぁ……」
父親の戸惑いに、母親は意地悪く笑っている。
「さて、あなたもそろそろ食べ終わったかしら。もう片付けるわよ」
「ちょっと待て。仕事後の一杯くらいゆっくり飲ませろよ」
「缶ビールなんだから、他は要らないでしょ? 空いている食器はとっととシンクにしまうから、寄せてちょうだい」
「わ、分かったよ。その代わり、つまみを置いていってくれ」
「はいはい、分かったわよ」
母親は立ち上がって食器を片付け始める。
父親はちょっとばつが悪そうな表情をしているが、お酒を飲みながらニュースを眺めていた。
満の家の家族仲はなかなかに良好のようである。
満が少女になってしまうことも普通に受け入れてしまえるほどだから、相当なものだろう。
「さて、あとで飲み物くらいは持って行ってあげましょうかね。勉強にもしっかり取り組んでいるようだし、あの子のやることはちゃんと応援してあげなきゃね」
「ああ、そうだな。俺の給料よりは安いが、あいつもだいぶ稼ぐようになっちまってちょっと心境は複雑だがな」
「ふふっ、そうよね」
父親が吐露した本音に、母親はおかしそうに笑っている。
だが、これは事実なのである。
先日の配信を見ても分かる通り、コツコツと満の配信ではスパチャが行われている。
スパチャはかなりの金額が配信者に入るので、これだけでも相当な収入になるのだ。
あとは動画再生による広告料収入も意外とバカにできない。それこそ塵も積もればという感じに、無視できない金額いなっていたのだ。
「あいつの性格だから、大部分は貯金だろうな」
「ええ、そうね。口座の通帳は私が持っているから、時折確認しているわよ」
「おお、そうか。教えてもらってもいいか?」
「だーめ。知ったら使いたがるでしょうに」
「くそっ、バレたか……」
母親の指摘に、父親は悔しそうに舌打ちをしていた。
本音を隠そうともしない父親の姿に、母親は大爆笑だった。
「それじゃ、今から洗濯物をしてくるわね。つまみなら台所の戸棚の中にあるので、好きにつまんでいいけれど、次に買ってくるのは金曜よ。それだけは忘れないでちょうだい」
「分かったよ。干す時は気をつけろよ、こういう時は蚊が多いんだからな」
「ええ、ありがとう」
母親が洗濯をしに食堂を出ていくと、父親はバラエティ番組を見ながら一人で晩酌をするのだった。