第170話 心優しい吸血鬼
その日の夜、満はこっそりと部屋から外へと出る。
出る時にはしっかりと窓の鍵をかけている。
外から念動力のような力で鍵を閉めていたので、どうやらルナ・フォルモントのようだ。
「やれやれ、妾のせいで満にはかなり苦労を掛けておるな」
外に出たルナは、ため息をついている。
たまたま波長が合ってしまったがゆえに、満の体に入り込んでしまい、変身体質を発露させてしまった。
最初はすぐに落ち着くだろうと思っていたのだが、思っていた以上にお互いの相性が良く、ほぼ一日ごとに女性へと変身させてしまっている。
なぜこのようなことになってしまったのか、ルナは頭が痛くて仕方がないのだった。
「まあ、悩んでいても仕方がないな。さっさと食事を済ませて引っ込もうではないか」
頭をかきながら、ルナは立ち上がって夜の街へと飛んでいく。
満は普通の人間であるので使えない力だが、吸血鬼の真祖であるルナならば、空を飛ぶことなど造作もないことだ。
夜の闇に紛れて、人目につかずに移動することだって可能だ。これだけ夜間照明が増えた現代においても、ルナの姿を認知できるものなど誰もいなかった。
……ただ一人を除いては。
「あっ、ルナさんじゃないですか」
下から声が聞こえてくる。
声がした方向を見てみると、そこにはよく知った少女が歩いていた。
周りを見ると誰もいないので、このまま一人にはしておけない。
満の体に入ってからというもの、いかんせん情に厚くなってしまったような気がするルナなのである。
「なんだ、騒々しい。確か、グラッサの娘だったな。名前は……う~む?」
顔は覚えているのだが、名前が思い出せない。
ルナは腕を組んでうんうんと唸っている。
「小麦ですよ、ルナさん」
「おお、そうだった。妾はそもそも向こうの方を住処にしておったからな、こっちの名前は覚えにくくていかん」
名前を思い出しながらも、ねちねちと文句を言っている。
腕を組みながら不愛想な顔をしながら文句を言うルナの姿に、小麦は思わず笑ってしまう。
「まったく、人の顔を見ながら笑うとは。おぬしもやはり血も涙もない退治屋の娘よな」
眉間にしわを寄せて小麦を見つめている。あまりに険しいものだから、小麦は思わずびびってしまったようだ。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんですよ」
「ふむ。妾もそこまで心が狭くではないから、今日のところは許してやろう」
必死に謝ると、ルナはあっさりと小麦を許していた。
思いの外あっさりとした態度に、小麦はほっと胸を撫で下ろしていた。
「しかしだ。おぬしはなぜこんな時間に外をうろついておる。明日も学校であろう?」
「あー……。なんだか寝苦しくて目が覚めちゃって。部屋の中を見てたら切らしてるものがあったから、コンビニまで買いに来たんですよ」
「ふむ、そういうことか。だが、女子がこんな時間に外をうろついておるのは感心せんな。妾が家までついていてやろう。まだ未成年であろう?」
なんだかんだすっかり世話焼きになってしまったルナは、小麦を家まで送ることにした。
「ありがとうございます。これでも誕生日はとっくに過ぎててもう十八歳なんですよ、私」
「そうか。だが、こんな時間の女子の一人歩きは感心せん。できる限り出歩くでないぞ」
「は~い、分かりましたよ」
ルナの説教に、小麦は頬を膨らませていた。
その後、家まで送り届けるまでの間、ルナと小麦はいろいろと話をして帰ったのだった。
「では、妾は行くぞ。早く食事を済ませて、満に体を返さねばならぬからな」
「本当に大事に思ってるんですね、満くんのこと」
「妾が復活するための器であることもそうだが、これだけ一緒にいると、持ったことのない家族のような気がしてな。満の幸せのためにも、妾はできる限り早い内に復活したいのだ」
小麦に指摘されたルナは、素直にそのことを認めていた。
その上で、本気で満のことを考えているようである。
母親であるグラッサから聞いていたルナ・フォルモントの姿とは、ずいぶんとかけ離れたものになっているようだ。
「すぐに戻りたいんでしたら、私をかめばいいでしょうに」
「いや、そういうわけにはいかぬ。やはり退治屋の力があるせいか、妾が血を吸うとおぬしの体に負担をかけてしまうようだ。以前数日間寝込んだのも、そのせいであろう」
「あ、そうなんだ」
思わぬ相性の悪さを告げられて、小麦はものすごくびっくりした顔をしている。
「今年は受験生であろう。体調の管理はしっかりするのだぞ」
「もう、ルナさんってば、すっかりママみたいなことを言ってる……」
「ふっ、そうかも知れんな。では、長居は無用、さらばだ」
ルナは小麦に告げると、夜空へと舞い上がっていく。
小麦は、ルナが飛び去っていく姿をしばらく眺めていた。
すっかり見えなくなると、家の中へと入っていき、ひとまずベッドへと潜り込んだのだった。
「まったく、グラッサと違ってのんびりとした娘よな。あの調子では、しばらく目を離せそうにない。これからもグラッサの代わりに見守ってやるとしようか」
近くの電柱の上から小麦が無事に家の中に入っていった姿を見届けると、ルナは再び血を求めて夜の闇に姿を消したのだった。