第169話 夏ゆえの悩み
なんだかんだで七月に入る。
この年の梅雨はしとしとと降る日が続いている。
「うわぁ~……、女の子ってこんなに大変なんだ……」
満は今日もクラスの中で机に突っ伏している。
叫んでいる通り、今日の満はルナの状態になっていた。
「お前な、なんで俺の前で言うんだよ。自分の席で叫べ」
「酷いなぁ、風斗ってば。少しは慰めてくれたっていいじゃないか」
「はあ……。お前、いつから女子の武器を使うようになったんだよ……」
目の前の満の姿に、風斗はとても直視していられなかった。
満はいつも通り男の子同士の付き合いだと思っているのだろう。変身していても女の子だという自覚がいまいち足りない。
今も机に伏せながら、上目遣いで風斗を見ている。
たいていの男性はこういう女性の目に弱い。風斗も例外ではなかった。
満は無意識にその武器を使っているのである。
「今のお前は女なんだ。女子と絡んでこいよ」
「えー、けちー」
風斗が払いのけようとすると、満は愚痴り始める。
それというのも、満は体は女子とはいえ、精神的には男のままなのだ。
幼馴染みである香織ならまだしも、今から女子の輪の中に入るのはかなり勇気が要るのである。だから、こうやって話しかけやすい幼馴染みの風斗のところへとやって来るのである。
「だったら、もう今日は我慢してくれ。どうせあさっては一緒に出掛けるんだ。話はその時にでもいいだろう」
風斗はかなり面倒くさがっている。
「分かったよ、今日はもう絡まない。昼休みにでも花宮さんと話をしてくるよ」
「ああ、そうしてくれ。さすがにクラスの中だと、周りの目が痛いんだよ……」
「周り?」
風斗の愚痴を受けて、満が周りを見る。そしたら、クラスメイトたちは一斉に視線を逸らしていた。
クラスメイトたちの行動を見て、満はどうも理解できないらしくて首を傾げている。相変わらず、鈍い満なのである。
昼休みなると、満は隣のクラスの香織に会いに行っていた。
「ルナちゃん、どうしたの?」
クラスにやって来た満を見て、香織は嬉しそうに立ち上がって満を迎えている。
「うん、風斗に相談しようとしたら拗ねられちゃってね。だから、花宮さんに相談しに来たんだ」
「そうなんだ。私でよかったら相談に乗るよ」
満が正直に話すと、香織はとても嬉しそうに表情を明るくしていた。
「立ち話もなんだし、私の席で話しましょう」
「う、うん。そうする」
香織に言われるがまま、満は香織の前の席の椅子を断りを入れてから借りていた。
「それで、話って何なの?」
「うん、女の子って大変だなって思ってね」
「あー、そういうことかぁ」
満の話を聞いていた香織は、何かを察したような表情をしている。
多分、香織は何かを勘違いしていると思われる。
「これだけ蒸し暑いのに、これ以上服を減らせないって、本当にきついよう……」
満は香織の目の前でへにゃりと机に倒れ込む。
突然の行動に、香織は面食らってしまっている。
「え、あ、そういうこと……」
ようやく香織は理解したようである。
どうやら満は肌着二枚の上から制服を着ているみたいで、熱がこもって暑くてたまらないらしい。
これまではどうにか我慢できていたようなのだが、さすがに限界が来てしまったようなのだ。
「なんだ、あっちじゃなくてこういうことなのね」
ようやく状況を理解した香織は、思わずため息をついてしまった。
「そういえば、こういう夏の経験は初めてなんだっけか。だったら仕方ないわね、ふふっ」
「花宮さん~、笑わないでよ。僕は本気で悩んでるんだから」
満は不満げな顔を見せている。
「ごめんね。でも、私もこれ以上アドバイスはできないかなって思うのよね。暑いのが夏なんだし、できることといったら制汗剤を使うことくらいかな」
「制汗剤~?」
突っ伏した状態から、顔だけを上げて香織を見ている。
「これがそうよ。香り付きはダメだけど、無香料タイプなら大丈夫みたいだから、ルナちゃんも使ってみたらいいよ。汗を抑えるだけでもだいぶ違うから」
「うん、ごめんちょっと借りるね」
満が手を伸ばそうとするが、香織が待ったをかける。
「先に汗を拭いてから。トイレに行くわよ」
「えっ、ちょ、ちょっと?!」
香織はかばんから汗拭きシートも取り出すと、満を連れてトイレへと向かっていく。
「なんで、トイレに?!」
「人前でするわけにはいかないでしょ。男子の目があるからね」
「え、ええっ?!」
動揺が隠せない満だったが、がっちり香織に手をつかまれてしまっている。
こうして女子トレイまで引っ張られていった満は、香織のアドバイスの下、ようやくさっぱりしたようだった。
「ふぅ、暑いのは変わらないけど、だいぶ落ち着いた感じがするよ」
「ふふっ、よかったわ。でも、こうやって見てみると、血を吸うって聞いたけど人間の女の子と変わらないのね」
「僕もよく分からないんだ。ルナさんの性質に影響されて、体だけが変化しているっていうのが正しいのかな、これって」
「ふ~ん、世の中不思議なことがあるものね」
香織はじっと満を見つめている。
キーンコーンカーンコーン……。
「あっ、いっけない。昼休みが終わるわ」
「わわっ、早く戻ろう、花宮さん」
バタバタと教室へと戻っていく満と香織。
「女の子のことで分からないことがあったら、また頼ってよね」
「うん、今日はありがとう。帰ったらお母さんと買い物ついでに買ってくるよ」
「その方がいいわよ。全然集中力が違うんだからね」
満と別れて、自分のクラスへと戻っていく香織。その顔は、嬉しさにすっかり破顔していたのだった。