第162話 悩める小麦
「ふぅ~、ルナちもずいぶんとうまくなったなぁ」
配信を見ていた小麦が大きく背伸びをしている。
「吸血鬼の力があるとはいえ、あの調子じゃ私が抜かれるのも時間の問題かな」
小麦は自分の勉強机を見ながら呟いている。
今年で高校三年生になった小麦は、大学受験の勉強を始めていた。
そのための参考者が机の上に置かれているのである。
「配信見てたら、私も刺激されちゃうな。う~ん、ちょっと頭を冷やしに行くか」
椅子から立ち上がった小麦は、部屋を出て台所へと向かった。
一階の台所。
ほぼ同じ時刻に小麦の父親もやって来た。
「小麦、なんて格好で何をしてるんだい」
「あ~、パパ。ちょっと暑いからアイスを食べに来ただけだよ。これだってへそは出てるけどパジャマだよ。なんの問題があるの?」
父親の言い分に、小麦は文句を言っている。
小麦はサイドテールにした髪に、少し丈の短いセパレートのパジャマを着ている。上着の丈も短いようで、おへそが見えてしまっているようだ。
家の中なのでかなりラフな服装をしているが、父親からすると困惑してしまうのも当然だろう。
「いや、へそが出ているから言っているんだ。大事な時期なんだから、お腹は冷やさないように」
「分かってるよ、パパ。私もそこまでドジじゃないよ」
父親に口答えをしながら、再びカップアイスを食べ始める。
おいしそうにアイスを食べる小麦の姿に、父親はやれやれと思いつつも、麦茶を一杯飲み干して部屋に戻ろうとする。
「パパ」
「なんだい、小麦」
小麦に呼ばれて、出入り口でぴたりと父親は足を止めて振り返る。
「まだお仕事?」
「ああ、今回の案件はちょっと先方とごたついててね。どうにか調整しているってところだよ」
「そっか~。あまり無理しないでね、パパ」
「ああ、ありがとうな」
小麦の気遣いに小さく微笑みながら、父親は自分の部屋へと戻っていった。
アイスを食べ終わり、父親が麦茶を飲んだコップと一緒にスプーンを洗う。
「みんな頑張ってるなぁ。こうなったら私も、本格的に頑張らなくっちゃね」
洗い終わって蛇口を閉めた小麦は、手をふきながらにこやかに笑っている。
ただ、こうは言ったものの、小麦自身はまだ進路を決めかねている。
両親と同じ方向の会社に勤めるか、絵師としての腕前を活かして仕事をするか、いろいろと選択肢があるからだ。
台所でひとつ深呼吸をして気持ちを落ち着かせた小麦は、バタバタと自分の部屋へと戻っていく。
ひとまずそういう悩みは置いておいて、次の配信を何にするかを決めるためだ。
受験勉強に本腰を入れておくべきなのだろうが、小麦としてはアバター配信者として活動しながら、みんなとわいわいと話しているのが楽しくて仕方がない。今の生活を簡単に手放せなくなっていたのだ。
「はあ……。でも、もう決めなきゃね。今までのもしも適当にしてたしね。やっぱり、パパもママもがっかりさせたくない。……どうしようかな、私」
小麦の両親は、どちらも商社系の会社で働いている。
グラッサは元々日本人ではなかったので、海外への単身赴任で働いている。
そのせいもあってか、父親は小麦を気遣ってリモートワーク制度を使って自宅で仕事をしている。
普段海外で暮らすグラッサも、小麦に対して面と向かって気に掛けていることを話していたので、小麦としてはその両親の気持ちに応えたいところなのだ。
「経済に進むのがいいかなぁ。パパもママも働いている分野だし……」
つい、ぼけーっとした表情で天井を見上げてしまう。
「うん、次の配信では、お悩み相談室と称してリスナーに聞いてみようかな」
思い悩んだ小麦は、他人から受けた相談として、リスナーたちに聞いてみることにしてみたのだ。
なんともリスキーな選択である。
しかし、そのくらいに今の小麦には進路が決められなかったのだ。
しばらく悶々と悩んでいた小麦だったが、突然自分の頬を両手で勢いよく叩いた。
「私は陽気で元気なアバター配信者、真家レニよ。いつまでもうじうじ悩んでるんじゃないわ」
どうやら自分に活を入れようとしていたらしい。
これまで無邪気な幼女を演じてきただけに、今の自分が情けなくなってきたようだ。
「ようし、こうなったらリスナーに聞く悩みを整理しなくちゃ。真家レニを演じている時なら、きっと前向きに受け止められるはずだもん」
ノートとシャープペンを取り出した小麦は、現時点での自分の進路の悩みを事細かく書き出していく。
正直言ってしまえば、自分の身の上がばれる危険性だってある。
だけど、両親にあまり心配をかけたくないのか、小麦はあえてその手段を取ることに決めたのだ。
「よし、こんなものでいいかな。具体的な名前は出してないし、きっと大丈夫なはず」
小麦は何度も書き出した内容を確認している。
しっかりとチェックを終えた小麦は、大きなあくびをしてしまう。
ちょっと現実のことで悩み過ぎてしまったのか、思ったよりも疲れてしまったようなのだ。
「ふあ~。まぶたが重いわね。もう寝ましょう……」
さすがに不機嫌顔になってしまっているのが分かったらしく、これ以上は起きてられない。
小麦は眠たさに逆らわず、おとなしくベッドに入って目を閉じたのだった。