第161話 夏は始まったばかり
「ただいま」
「おかえり、満」
その日、家に帰ると母親が出迎える。
やけににやにやしているので、満は大体察した。
「こんな雨の日に買い物に付きあうの?」
そう、母親が玄関まで出てくる時は、ほぼ間違いなく買い物に付きあえという合図である。
本音を言えば行きたくはないけれど、満にもメリットがあるので仕方なく了承していた。
「うん、助かるわ。今日は大好きなから揚げにしてあげるわね」
「お母さん。それは男の時だよう……」
お礼にから揚げといってくれるのは嬉しいものの、女の時の満の好みはルナの影響を受けるのか異なっている。
「あら、そう? だったら明日でもいいのよ。こんな時期でも一日じゃ腐らないからね」
「あ、うん。それでお願い」
満はとぼとぼと二階の自分の部屋に上がっていく。
満の仕草は男女の時で、無意識ながらに違っている。これは毎日見ている母親は気が付いているが、満本人はまったくの無意識だ。
母親は楽しそうだからと、あえて黙っている。
さっきの玄関での靴の脱ぎ方ひとつでもそうだ。
男の時は乱暴とまではいかなくても踏んで脱いでからそろえているのだが、女の時は足を上げて手で片方ずつ脱いでからそろえている。
ちなみにだが、履く時もやっぱり違っているのだ。
もうひとつ言えば、母親はこれといって満に何かを教えたわけではない。
おそらくは、満の中の女性のイメージによって無意識に動いている可能性はある。他の可能性といえば、ルナ・フォルモントとの知識の共有も考えられる。
満は驚くほど最初から、ほとんど違和感なく女性の姿になじんでいた。
満の男としての意識なんて、女性用の服を着るのを拒んだくらいだ。
「着替えてきたよ、お母さん。さっさと行こう」
さすがに蒸し暑いこともあってか、肌着の上からキャミソールワンピースを着ただけというシンプルなものになっていた。
「ああ、欲しかった娘が目の前に……」
「お母さん、ふざけてないでさっさと買い物行くよ」
「なによ、もう少し浸らせてくれたってよかったのに」
少しケンカしながらも、満は母親と仲良く買い物へと出かけていった。
―――
買い物から帰ってくる。
満は台所に荷物を置くと、母親が一人でやるからというので自分の部屋へと戻ってきた。
「はあ、梅雨は嫌だなぁ……」
満は部屋のエアコンのスイッチを入れる。
除湿モードにしたので、少しは部屋の中はすっきりするだろう。
「そういえば、今日は木曜だっけか。配信しなきゃいけないな」
満は部屋に置いた自分のスマートフォンを見る。表示された曜日は木曜日だ。
真家レニの配信日である水曜、金曜、日曜と一日ずらす形で満は配信を行っていて、木曜、土曜、月曜をあてている。
ただ、これだけの頻度で配信を行っていると、正直話題がなくなってくる。
「う~ん、こういう話題のない時の配信は、やっぱりあれかな」
満が言うあれとは、あのゲームのことである。
「幸い、まだプレイしていないクエストが豊富にあるし、タイムアタックもあるから、話題には事欠かないよね」
満はすっかりやる気になっていた。
そうと決まれば、夕方の6時を回ったところで配信の告知を行う。
その前後に学校の宿題を済ませ、お風呂に入って食事も片付ける。
ちなみに、女性の時の満の好みは、トマトケチャップを使ったオムライス。吸血鬼のイメージに思い切り引っ張られた好物である。
「う~ん、やっぱりトマトケチャップのチキンライスはおいしいなぁ」
「まったく、満ってば」
おいしそうにチキンライスを頬張る満に、母親は満足そうである。
姿は変わっても、仕事帰りの父親とも会話が普通にできている。
空月家の食卓は、今日も平和なのだった。
肝心の光月ルナの配信は、予定通り『SILVER BULLET SOLDIER』だった。
今日の梅雨のうっ憤を晴らすかのように、満は画面の中のクリーチャーたちに銀の弾丸をお見舞いしていた。
「はい、今日も無事にクリアできました。僕もかなり腕前が上がっているようで、クリアタイムが早くなってきてますわね」
『もう熟練者名乗ってもいいんじゃないかな』
『もうワイの記録を抜かれてもうた・・・』
『ルナち、本当にうまくなったよな』
リスナーたちも驚愕の記録だったようだ。
最初は、憧れのアバター配信者を真似て始めたゲームだったが、満もほどほどにのめり込んでいるようである。
これだけリスナーを驚かせているというのに、まだトップ50にも入れないあたり、どれだけ上位陣が本気かということを思い知らされる。
「まだまだ上には上がいらっしゃいますわね。それでは、ちょうどいい時間になりましたようですので、これで失礼致しますわ。みなさま、ごきげんよう」
『おつるなー』
『おつるな~』
こうして、無事に配信を終えた満だったが、ひとつ反省点があった。
「うん、やっぱり丈の長いスカートかズボンでやろう。カーテン閉めておいてよかったよ」
意外と満の動きは激しかったようである。
女性の姿に変身するようになってから初めて迎えた夏は、なにかと満の頭を悩ませそうだった。