第159話 ルナの戸惑いと優しさ
アバター配信者コンテストの一次選考突破のニュースが舞い込んだ夜だった。
真夜中のある程度寝静まった街の中で、ひとつの影がありえない場所で立っていた。
「ふむ……、ずいぶんと妾の力がこの体になじんでしまったようだな」
そこに立っていたのはルナ・フォルモントだった。
彼女は今、電柱のてっぺんに立っている。
さすがは吸血鬼の真祖といったところだろう。そんな場所に平気で立っていられるのだから。
彼女は今、男女兼用のパジャマを着ている。そもそも満に体を返す予定だからだ。寝ている最中に女から男に体格が戻る以上、女性用の服を着ていれば満が恥ずかしがると考えたからだ。
「それにしても、ずいぶんと女の姿になることが増えたな。その分妾が外に出られるということではあるが、最初の約束を思えば、心苦しいものだ。正直なところ、妾がこんな感情を抱くというのも、おかしな話なのだがな」
ルナは大きくため息をついている。
「一刻も早く、妾は満の体から出ていかねばいかん。一緒に居続けることで弊害が出てきておるからな」
ルナは自分の体を見る。
未発達な少女の体を長らく保ってきたというのに、一年も経たないうちにここまでの成長が起きるとは思わなかった。
満の体に長くとどまり続けたせいで、満の成長の影響を受けてしまっている。
満が戸惑っているように、ルナも同様に戸惑っていたのだ。なにせこのようなことは今までには一度もなかったのだから。
いや、そもそも他人の体の中に入り込むということ自体が初めてだ。
人間の成長の影響が大きく出始めたことによって、さすがのルナの中にも戸惑いと焦りが強まっている。
「満の体から出られたとして、妾の体が元に戻るか心配だな。なにぶん、前例のないことばかりすぎて妾にもさっぱりだ」
首を左右に振ったルナは、おもむろに空を見上げる。
「こういう時にあやつに相談できればよかったが、今やあやつは海外か。思った時にはおらんようになる。なんとも間の悪いことよ……」
ルナは大きなため息をつく。
「ひとまず、体を戻すために食事をするか。主導権を返した後は、いんたあねっととやらの中で調べ物でもするとしよう」
電柱の先端から飛び上がると、ルナは夜の空へと消えていったのだった。
―――
翌朝、いつものように早い時間に目が覚める。
「ふわぁ~、よく寝たな」
むくりと起き上がった満は、いつものようにお手洗いへ行ってから顔をしっかりと洗って目を覚まさせる。
「今日はちゃんと男の状態だね。最近は本当に女になっていることが増えたから、安心したよ」
満がこれだけ安心するのには理由がある。その理由は昨日のことだ。
アバター配信者コンテストの一次選考の結果が発表されるとあって、緊張でよく眠れなかったのだ。
そのため、ルナへの意識の交代がうまくいかず、吸血することができなかったのだ。
血を吸えなければ、満の変身は解けない。なので、昨日一昨日と二日連続で女性になっていたのだ。
満の意識がはっきりしていると、ルナ・フォルモントは表に出てこれない。
強制的に意識を乗っ取ることもできるのだが、それは互いに負担をかけることになる。満への負担をよしとしないルナは、強硬手段に訴えることを控えるようになったというわけだ。
「ふぅ、何にしても男に戻れてよかった。このまま女になることが増えたら、僕が僕である自信がなくなってきちゃうもん」
満はそう呟いて、自分の部屋へと戻っていく。
部屋に戻った満は、SNSでちょっと検索をしてみることにする。
「え~っと、『アバター配信者コンテスト』っと」
そう、アバター配信者コンテストの一次選考の結果が送付されたことで、誰かがSNSに投稿していないかを確認するためだ。
風斗からは、絶対言うなという風にくぎを刺されているので、満は一次選考を突破したことを関係者以外には誰にも話していない。
知っているのは、結果を一緒に見た風斗とモデリング担当の世貴くらいである。
「うわぁ、思ったより呟いてるな」
検索結果を見た満は驚いていた。
思った以上に選考に通っただの落ちただのというポストがあふれていたのだ。
こんな結果を見てしまうと、満は思わず衝動に駆られてしまう。
『自分も通ったことを話したい』
それは、誰もが抱える承認欲求だった。
スマートフォンを持つ満の手が震えるが、押そうとしてもその手が動かない。
(これは、ルナさん?)
打ち込もうとしている指がまったく動かなくなったことで、満はそう思ったのだ。
吸血鬼の真祖として長くひっそりと暮らしてきたルナから警告なのだろう。
なぜかそう感じた満は、スマートフォンを置いて深呼吸をする。
「ルナさんが止めるのだから、やめておこう。うん、安易に人に話すのはよくないよね」
どうにか落ち着きを取り戻した満は、自分のチャンネルとSNSだけをチェックして、学校へ行く準備を済ませる。
登校前、満は自分の胸に手を当てて、心の中でつぶやく。
(ルナさん、止めてくれてありがとう)
「よし、それじゃいってきます!」
もう一度深呼吸をして落ち着いた満は、元気よく学校へと向かっていった。