第141話 声変わり
週明けの月曜日。
昼休みに満は風斗といつもの場所にやって来ていた。
「なにかな、風斗」
風斗に誘い出された満が、改めて用件を尋ねている。
満に聞かれた風斗は、少々悩みながら口を開く。
「満、お前って声変わりは来てるのか?」
「声変わり?」
風斗が切り出した話題は、男性なら避けられない問題だった。
声変わり。
ちょうど満たちくらいの年齢になると見られる、体の急激な変化のひとつだ。
男性の場合は、声帯が変化して声が低くなるという特徴がある。
満の場合はまだ声が高い。なので、地声で光月ルナの声を出していられるのだ。
ところが、声変わりが起きて低くなってしまえば、今までのようにはいかない。風斗はそれを心配しているというわけである。
「いや、風斗。ちょっといいかな」
「なんだよ、満」
心配する風斗を前に、満は困ったようにはにかみながら話を始める。
「僕、声変わりは終わってるんだよね。ほら、のど」
「あっ」
満に言われて風斗は気が付いた。
確かに満の喉は少し出っ張っている。
「なんだ、もう終わってたのかよ。にしても、満の声はまったく変わった様子はないな」
満の喉元を眺めたまま、風斗はどこか安心したようにこぼしている。
「僕も驚いているよ。とにかく今まで通り、光月ルナを続けることは可能みたいだよ」
「ああ、そのようだな」
二人はしばらく笑っていた。
「いやあ、よかったぜ。そこはちょっと気になってからな」
「そもそも女性キャラなんて充てなければ、こんな悩みを抱く事もなかったと思うのだけどね」
「それもそうだ」
確かにその通りである。
満はまだ13歳の少年だ。年齢的に考えれば、声変わりの問題は十分に予見できたはずだ。
そういった予想に反して、羽美と世貴の二人で作り上げてアバターは少女だった。まあ、真祖たる吸血鬼なので、年齢は不詳ではあるものが。
吸血鬼ルナ・フォルモントとの相性もあるが、二人がどうして満にそのようなキャラをあてがったのかは不明だ。聞いても多分「面白そうだったから」って返ってくる気しかしない。
「でも、今の僕にとっては光月ルナはなくてはならない存在です。続けられる限りは頑張りますよ」
「おう、その意気だ、頑張れよ」
風斗からの励ましに、満はこくりと頷いていた。
学校から帰ってきた満は、部屋に戻ると唐突な眠気に襲われる。
「なに、これ……」
あまりにも激しい眠気に、満は戸惑いを隠せない。
ともかく倒れないようにしながら、どうにか座り込むことができた。
座った瞬間、そこで満の意識はぷつりと消えてしまった。一体何が起きたのだろうか。
「満、満」
誰かが呼ぶ声が聞こえる。
「だ、誰……?」
寝ぼけた目をこすり、満が辺りを見回す。
見たことのない風景が、いや、この景色を満は知っている。
そう、いつも配信で光月ルナのバックに映っている屋敷の内装そのものだった。
「ようやく目が覚めたか、満よ」
「うわっ、ルナさん?!」
体を起こして周りを見回した満は激しく驚いている。
そこに立っていたのは、間違いなくルナ・フォルモントだったのだ。
「すまんな、急に眠らせてしまって。ちょっと話をしたくなったのでな、妾と話せるように夢の中で意識同士を接触させることにしたのだ」
「夢の中……。じゃあ、やっぱり僕は今……」
「うむ、部屋の真ん中で横になっておる。大丈夫だ、今日の配信に間に合うようにするからな」
ルナはくすくすと笑っている。
「お前さんを呼んだのは他でもない。風斗といったか、友人と話しておったろう、声のことでな」
「ああ、声変わりですか?」
ルナの振った話題に反応する。
満の返答に、ルナはこくりと頷く。
「実は、妾の影響が満の体にも出ておるようだ。声変わりがほぼ変化なく終わったのもそのせいだろう。おそらくは完全に低くなっていたと思われるからな」
「あっぶな~……」
ルナの話を聞いて、驚くよりもなぜか安心する満である。
「意外な反応だのう」
「いや、声が低くなって光月ルナができなくなるんじゃないかって思っていたので、そう聞かされて安心したんですよ」
「ふむ、そういうものかな」
ルナにはどうも分からない感覚のようだった。
「まあ、なんにせよ、妾が復活すると満の体から出ていかねばならん。妾が出ていった後に満にどのような変化が起こるかは、さすがの妾も分からん。それでもよいのか?」
ルナが問い掛ければ、満はまったくの迷いもなくこくりと頷いていた。
「だって、光月ルナは僕の一部ですからね。続けられることが嬉しいんですよ」
満面の笑みを浮かべる満の反応に、さすがのルナも驚くしかなかった。
かと思えば、急に笑い始める。
「ふははははっ、人間というのは面白いものだな。たとえ満の体から出ていくことになっても、その行く末を見てみたくなったわい」
「そこまで笑うことですかね」
ルナの反応に、満は困惑している。
「そうじゃろうて。妾のような真祖は長く生きておる。そうなってくると、世の中に面白いと感じるものが減っていくからな。そんな中で興味を引かれる存在が現れたのだ。笑わずにはおられまいて」
笑いの止まらないルナに、満は困惑しっぱなしである。
「よし、話ができて妾は満足だ。さあ、目を覚ますとよい。そろそろ夕食の時間だからな」
「えっ、ちょっと……」
満が慌てるものの、あっという間に空間は真っ白な光に包まれたのだった。