第140話 芝山家の語らい
ちゃんと画面の『LIVE』の文字が消えたのを確認して、小麦は後ろを振り返る。
そこには配信の様子を見学していたグラッサの姿があった。
「えへへ、こんな感じで配信してるんだ」
「まあまあじゃないかしらね。でも、なかなか面白いゲームをしているのですね」
どうやらグラッサは、小麦が配信でプレイしていた『SILVER BULLET SOLDIER』にちょっとだけ興味を示したようだった。
「ママがやってる退治屋の話を聞いてね。それで疑似体験でもと思ってやり始めたんだ。結構面白いし、配信してみたらどうかなってお思ったら大ウケしてね。こんな感じで定期的に配信してるんだよ」
「へえ、そうなのね」
娘の言い分を聞いて、少し表情が強張る。
自分に影響されたというのは嬉しいだけに、なんとも複雑な気持ちになったようだ。
「うん、それでね。このゲームってルナちも配信してるんだ」
「ルナち?」
小麦の口から飛び出した単語に、グラッサはぴくりと反応する。
「ルナ・フォルモントが憑りついてる人のアバターの愛称だよ。光月ルナって名前で配信しててね、私のファンでもあるんだ。だから、真似して始めたみたいなんだ」
「そ、そうなのね」
ここまでくると、グラッサはなんとも言い難い表情をしていていた。
「はははっ、吸血鬼が銀の弾丸を撃ちまくるゲームをしてるから、ママってば困惑してるね」
あまりにもひどいグラッサの表情に、小麦は大笑いをしている。
さすがに実の娘にここまで笑われると、グラッサも少しイラッとくるようだ。
「ドーター? ちょっと黙りましょうか」
「は、はい。ママ……」
さすがはキャリアウーマンで退治屋のグラッサの睨み。背筋に寒気が走って、小麦はピンと姿勢を正していた。
怒らせると怖い人物なのである。
「それで、ドーター」
「なに、ママ」
沈黙した状況を破るかのように、グラッサは小麦に話し掛ける。
「大学は決めているのかしら」
「んー、大体は決めてるかな。こうやってアバター配信者してると、そっちにどうしても興味持っちゃうからね。私は自分の描いたイラストを自分で動かしてみたいの」
「そう、システムエンジニアかしらね」
「どうなんだろう。よく分からないかな」
なんとも曖昧な状況の小麦である。
「でも、方向性を決めているのはいいことね。目標があるのなら、それに向かって頑張りなさい。ママもそうやってここまで頑張ってきたんだから」
「うん、分かったよ、ママ」
最後に小麦が納得すると、グラッサはにこりと笑って部屋を出ていった。
一人になった小麦は、やっと緊張から解放されたからかほっとしているようだ。
小麦がここまで反応するのにも理由はある。
その理由が、グラッサがバリバリの仕事人間であることだろう。ぶっちゃけていえば、アバター配信者をやめさせられることだって覚悟していた。
ふたを開ければ、グラッサは思ったより柔軟で小麦のやっていることを受け入れてくれていた。真面目に取り組んでいるのなら、認める方向の人間だったようだ。
すっかり安心した小麦は、早速今日の配信をアーカイブにして一覧に載せたのだった。
一方のブラッサは一階に降りてくる。
この時間だと父親もすっかり仕事が終わり、すっかりくつろいでいるようだった。
「ダーリン、仕事は終わったのですね」
「まあね。在宅勤務だから、比較的時間は自由さ。一日のうち8時間働けばいいんだからね」
「そういうものなのですね」
夜の10時とあってか、晩酌の真っ只中のようである。
「私も一緒に飲んでいいかしら」
「おや、君にして珍しいな。私の前では一度も飲んだ記憶がないと思うんだけど」
「……たまには私もそういう気持ちになる時はありますよ。ただ、もうひとつの仕事の関係で、なかなかたしなめないだけです」
「そうか。確かに危険と隣り合わせ菜仕事だものな」
父親は、グラッサのもう一つの職業についてもよく知っているようだった。
冷蔵庫からよく冷えた缶を取り出すと、グラッサの前にそっと置いた。
「ドーターも、もう子どもではないのね。自分のやりたいことが見えてきているみたいだし、少し寂しくなったわ」
缶を開けて一口飲んだグラッサは、普段は見せないような弱気な顔を見せていた。
「君はずっと仕事一筋だったからね。でも、あの子はそんな君でも母親とちゃんと見てくれてるんだ。それだけでも嬉しいことじゃないか」
「……確かにそうですね」
そういえばそうだ。
グラッサはここ五年間、海外赴任のためにずっと家を空けていた。
それだけ顔を見せてないとなれば、普通は愛想をつかされそうなものである。
だが、小麦はグラッサのことを母親として尊敬している。だからこそ、先程のように話もちゃんとできるのだ。
「むしろ、君の方が問題かもな」
「Me?」
「ああ、あの子のこと、ちゃんと名前で呼んでやってくれ」
「……ええ、そうね。ずっとドーターとしか言ってないものね。私の方がどっちかいうと拒否してたのかしらね」
缶をぎゅっと握りしめるグラッサである。
「まだ遅くないさ。小麦だって頑張ってるんだし、君も少しは距離を縮める努力をしてみてもいいんじゃないかな」
「そうね。ありがとう、ダーリン」
この夜、グラッサと父親は娘である小麦のことでいろいろと話し合ったのだった。