第138話 断ち切れない因縁
新学期の始まってから初めての週末。
「ふぅ、休暇を取っているというのに仕事を回されるとは思いませんでしたね」
「グラッサ、お疲れ様」
仕事用のノートパソコンをぱたりと閉めたグラッサのところに、父親がやって来た。そういえば、小麦の父親にはまだ名前がなかった。
見た目は普通にイケメンっぽい細マッチョの男性である。今では会社の仕事をリモートでこなしている。
妻であるグラッサのところにホットココアを持って現れる父親は、なんとも気の利く人物なのだ。
「ありがとう、ダーリン」
ココアを受け取って口に含んでいる。
「向こうの仕事かい?」
「ええ。休暇前に預かっていた案件ですけど、引継ぎはきちんとしてきたのに、先方がうるさいみたいです。ジャパンにいるから会えないって断りましたのに、ビデオ通話までしてくるんですから困ります」
「はは……、相当気に入られてるな、グラッサ」
「ダーリンがいるのに、好意を寄せられても迷惑なだけですよ」
グラッサにしては珍しく、大きくため息をついていた。
怪異に対して容赦のないグラッサでも、さすがに人間相手は疲れるようである。
「そういえば、ダーリン。ドーターは?」
「今日はバイトだよ。土曜日は固定でシフトに入ってる。帰ってくるのは10時半だな」
「そう。苦労することないですのに」
「私たちの娘だからな。働いてないと気が済まないんだろうな。はははっ」
血は争えないと言わんばかりの父親である。
だが、グラッサは特に反論はしなかった。休暇のはずの自分でも、もう働きたくてうずうずしているのだから。
クライアントからのビデオ通話にはうんざりしているはずなのに、仕事ができてどこか喜んでいるのだから相当のものである。
「そうですね。せっかくこっちにいるのですから、今夜はお迎えに向かいましょうかね」
「そうしてやってくれ。きっと喜ぶさ」
現在夜9時。
父親にそう言われたグラッサは、小麦のバイト先を確認して出向くことにしたのだった。
―――
「お先に失礼します」
「お疲れ様」
小麦がアルバイト先から出てくる。
今日は大変だったのか、ちょっと疲れたような顔をしている。
「さすがにお花見の時期は忙しいなあ。さすがにへとへとだよ~」
少し歩いたところで、小麦は大きくため息をついていた。
「あら、それは大変でしたね、ドーター」
「ママ?!」
目の前にグラッサがいて激しく驚く小麦である。
「せっかくジャパンにいるのですからね。少しはドーターと話がしたいのですよ」
「そっか。ママってば普段はイギリスだもんね」
「正確にはイギリスとフランスですね。今日はフランスのクライアントからテレビ通話が入りましたよ。まったく困ったものです」
「……それ、私に言って大丈夫なやつ?」
グラッサの愚痴に、目が点になる小麦である。
「いいんですよ。ダーリンとドーターとの貴重な時間を潰すような野蛮な方に、配慮する必要なんてないですから」
「そ、そうなんだ」
仕事人間なグラッサにここまで言われるとは、一体そのクライアントはとはどんな人物なのやら。
知りたいような知りたくないような不思議な感覚になる小麦である。
グラッサと小麦がいろいろと話をしながら帰宅していると、目の前で何かの気配を感じる。
「なんでこんなところで出会うのかしらね」
「ふっ、さすがは退治屋。妾の気配に気が付くとはね」
立ち止まったグラッサたちの前に現れたのは、なんとルナ・フォルモントだった。
「ちょっと、なんでルナさんがここにいるんですか。今日は配信をしていたのでは?」
思わず声に出てしまう小麦である。
「もちろん済ませてから来ておる。今日はなんだかここに来たら、面白いことがありそうだなと思って出てきたのだ」
楽しそうに笑いながら答えるルナの姿に、小麦は唖然としていた。
「それにしても、本当に休暇を取っておるのだな。これなら妾もしばらく楽しめそうだな」
「休戦中とはいえ、調子に乗られては困りますよ」
楽しそうに笑うルナに対して、グラッサが警戒を強めている。
「そんなつもりはないぞ。調子に乗った結果がおぬしに封印される結果になったのだからな。妾もしっかり自戒しておるよ」
ただ、ルナの方もしっかりと弁えているらしく、グラッサの態度にまったく動じていなかった。さすがは年の功。
「妾もこの体の持ち主のことを今は大事に思っておる。子どもを見守る者同士、仲よくしようではないか」
「子どもを見守るって、私はこの子の母親ですから当然でしょう」
「ママ」
はっきりと言い切ったグラッサの姿に、小麦は感動している。
「くくくっ、グラッサはそうでないとな」
どこか怒っているグラッサの姿を見て、ルナは楽しそうに笑っていた。
そうやって話している間に、グラッサたちは家に到着してしまう。
「それでは邪魔したな。またゆっくり話をしようではないか」
「私はできるだけ会いたくはないですけれどね」
怪しく笑うルナの姿に、グラッサは本気で嫌そうに答えていた。
「そう言うな。妾たちの因縁はそう簡単に断ち切れるものでもあるまい。妾と娘との間にはすでに縁があるのだからな」
ルナはそう言い残して、夜の闇の中に姿を消していった。
どうやらグラッサには、ルナとの因縁は簡単に断ち切れそうにはないようだ。