第131話 ルナとグラッサ
その日の夜だった。
満は夜中にむくりと起き上がり、外へと出ていく。
ところが、どこか様子がおかしかった。
起き上がったのは男の状態の満だったが、外へと出た瞬間に体がさあっと変化していく。
「ふむ、男の状態でも体を動かせるようになったか……。だが、力を使おうとすると、吸血衝動もないのに変身してしまう。いよいよ本格的に体を乗っ取り始めてしまったか……」
起き上がったのはルナ・フォルモントだった。
満のアバター配信者デビューが半年近く経ったのであれば、ルナ・フォルモントの活動再開も約半年だ。さすがにそれだけの時間があれば、ルナの力が満を侵食しててもおかしくなかった。
「難儀なものよな……。妾はここまで望んではおらぬというのに、やはり満の体との親和性が高いのか。妾が完全に乗っ取る前に、どうにかして解決策を見つけねば……」
そのように考えたルナは、とある家を目指して夜の空を飛ぶ。
かなりの距離を飛んでやって来たのは、因縁のある相手の家の前だった。
「この時間に呼び鈴を鳴らすのは、さすがにいかんだろ。さて、どうやってあの者に会うとするか……」
ルナは家の前で悩んでいる。
しばらくすると、玄関が開いて望んでいた相手が姿を見せる。
「おお、出てきおったか退治屋」
「それだけすさまじい力を垂れ流しにされては気が付きます。なんですか、こんな夜中に」
玄関から出てきたのはグラッサだった。
怒るのも無理はない。今は夜の2時だ。普通の人なら眠っている時間である。
「なあに、ちょっとした相談だよ。こればかりは妾だけでは解決できぬ。お前さんたち退治屋の知識を借りたい」
「またずいぶんと面白いことを言うものですね。敵である私の手を借りたいと?」
ルナの妙な態度に、グラッサは訝しんでいる。
「うむ。妾はつつましく生きていくつもりだが、最近になって問題が出てきてな」
「……いいでしょう。中に入りますかしら」
「言葉に甘えさえてもらうぞ」
ルナは長い時を生きる吸血鬼だが、見た目は少女だ。外に連れ出していては何かと問題なので、グラッサは家の中に招き入れた。
「何か飲むかしら」
「水で構わんぞ。さすがに未成年に酒を飲ますわけにはいかぬだろうて。今の人格は妾だが、体はまだ13歳の少年ぞ?」
ルナは憑依先が未成年なので、ひとまず遠慮して水で済ませておく。というか、吸血鬼は水を飲んで大丈夫なのだろうか。
そんな心配をよそに、ルナは普通にごくごくと水を飲みほしていた。
「それで、相談って何なのかしら」
落ち着いたところでルナに問いかける。
「うむ。最近は妾の浸食が強くなったのか、変身の頻度が高くなっておってな。このままでは妾はこの体を触媒にして復活するということになりかねん。昔ならそれで構わないと思っておっただろうが、そなたに封印されてからというもの、考え方が随分柔軟になったわい」
どことなく思い詰めたような表情をするルナである。
「妾みたいな怪異は、存在だけで迷惑をかけることもあるだろう。今みたいにな」
ルナの独り語りを、グラッサは黙って聞いている。
「のう、どうすれば妾はこの者と分離できると思う?」
グラッサに問いかけるルナの表情は真剣だった。
「……分かっているならとっとと実行していますよ。現状の私たちでも、その体の持ち主ともども封印するくらいしかやり方は分かりませんからね」
「……そうか。悪かったな、無理な相談を持ちかけて」
二人は黙り込む。
しばらくして、ルナはぴょんと椅子から飛び降りて立ち上がる。
「すまなかったな、こんな時間に相談を持ちかけて」
「別に構いませんよ。でも、あなたがそこまで丸くなっているなんて、実物を見ても信じられませんね」
「そう思うのも無理ないか。悪さだけなら反吐が出るくらい重ねてきたからな」
ルナはにかっと歯を見せて笑う。
「それを自慢げに言いますか。やはり、無理してでも始末しておくべきでしたかね」
「いやいや、反省しておるぞ、本当に。しておらぬのなら、それこそ力づくでも逃亡しておるわ」
グラッサが睨みつければ、ルナは慌てたように言い繕いをしていた。一度封印された相手とあってか、ルナの中にはグラッサに対する苦手意識があるようだ。
「そうだ、退治屋」
「なんですか」
「妾のことは敵視してもらっても構わぬが、この体の持ち主と遭遇した時は仲良くしてやってくれ。そなたの娘とは何度も会っておるし、楽しくやっておるようだからな」
「ドーターが言うならば、聞いてあげてもいいですね。あなたからだと、正直言って承服しかねます」
「ははっ、実に手厳しいものよなぁ」
グラッサからルナに対する感情は、まったくもって揺るぎのないもののようだった。
だが、その様子を見て、ルナはかえって安心していた。
「ふむ、安心したわい。では、交換条件というのはどうだ?」
「交換条件ですって?」
ルナの言い出した言葉に、グラッサの表情が歪む。
吸血鬼のような存在に対して厳しい見方をするグラッサらしい反応だ。
「どのみち妾はこの近くから動けぬ。妾の安全を保障してくれるのなら、妾もできる限りそなたの娘を見守ってやろう。またいずれ海外に戻るのであろう?」
「ぐぬ……」
「そう睨むなて。妾とて、そなたの娘といるのは楽しいからのう。守ってやりたくなるというやつだな」
くすくすと楽しそうに笑うルナの姿に、グラッサはようやくその表情を緩めていた。
ルナのどこにも、嘘のようなものを感じられなかったからだ。
「では、妾は家に戻る。明日からは新学期というやつらしいからな」
「そういえば、ドーターもそういうことを言っていたわね」
ルナに言われて思い出すグラッサである。
「では、夜分に失礼したな。話を聞いてもらえて、気持ちが楽になった。ありがとう」
「え、ええ……」
グラッサはルナにお礼をいわれて驚いていた。
あまりの驚き様に、ルナは優しい笑みを浮かべて夜空に消えていったのだった。