20.姫ノ宮桃の決意
「――――ああ、本当に愉しい戦いでしたね。いくら教員といえど、結界と身体機能だけで勝てないとは思いませんでした」
鼻歌混じりに廊下を歩きながら誰に聞かせるでもないのに思わずそんな言葉を呟いてしまいます。
それほどまでに寶野宮教諭との戦いは愉しく、私をして、苦戦を強いられるものでした。
とはいえ、勝ったのは私……まあ、仮に寶野宮教諭が原典を読み込み、アリスという物語を心底愛していたのなら結果は変わっていたかもしれませんが。
「おそらく、彼女も教員の中で一番強いという訳ではないのでしょう。となれば、学園側と争う上で、これからもあのレベルの相手が立ち塞がるということ…………ふむ、このままでは少々まずいでしょうか」
私が矢面に立ち、戦うだけなら問題はないでしょう。もしくは生徒間が争う場合も一部の例外を除き、問題はありません。
しかし、クラス単位で学園側と戦うとなれば、五療くんでギリギリ……その他の生徒では足手まといにもなりませんね。
「……まあ、その辺りは私自ら指導する他ないでしょうね。とはいえ、寶野宮先生と契約を交わした時点で当面の目標は果たせましたから良しとしましょう」
目的のための準備として念頭に置いていたクラスの掌握、例外への対処、学園側からの監視である教員の無力化……細かい部分はともかく、概ね達成したといっていいでしょう。
ここからは本格的に他クラスの情報を集めつつ、学年全体の掌握に乗り出していく予定ですが、流石に一筋ではいかないでしょうね。
けれど、私の目的のためにも止まるつもりは毛頭ありません。たとえ、この先に何が待っていようとも――――
「――――面倒だな。どうして俺が買い物に付き合わないといけないんだ?」
これからの事に思いを馳せ、思考を巡らせる最中、私の耳に懐かしく、想い焦がれたその声が響きます。
生徒達が解放感と共にそれぞれの放課後を過ごす中、私は前の方から歩いてくる彼へ思わず視線を向けてしまいました。
「どうしてって……貴方が言い出したんでしょ。生活必需品を買いたいから付き合ってくれって」
「……そうだったか?何か途中で委員長が割り込んできたからあんまり覚えてないんだが」
クラスメイトでしょうか、少し背の高い黒髪の女生徒と共に歩く彼はあの頃の面影を残しながらも、どこか陰のある顔立ちをしています。
おそらく、相応に波乱万丈な人生を送ってきたのでしょう。
不覚にも自分の心臓が高鳴っているのが分かります。
なにせ、今、眼前にいる彼こそ私がこの学園に入学した理由……幼い頃に出会い、一目惚れした彼に振り向いてほしくてここまでやってきたのですから。
不意の遭遇に動けないままでいる私は彼が歩いていくのを見つめる事しかできません。
そして、すれ違い様、彼は私の方へ一瞬だけ視線を向けたものの、すぐに前を向き直し、そのまま行ってしまいました。
「…………私はまだ貴方の眼にすら止まりませんか」
幼い頃、それも私がガラス越しに焦がれ、一方的に知っていただけの私の事を彼が知っている訳がない……それは分かっていた事です。
ですが、実際にそんな反応を見せられると、思っていた以上にショックを受けてしまいました。
やはり恋心というのは厄介極まりない……しかし、それでこそ成就させる価値があるというものです。
「……たとえ、今はまだ路傍の石だとしても、いずれ貴方の心を射止めるのは私です。他の誰にもそれだけは譲りません」
そのために布石はもうすでに撒いてありますし、彼の目的を達する上でも私達は必ず相まみえることになるでしょう。
その時、彼と私は互いの全てをぶつけあい、分かりあう…………そんな確信めいた予感が私の中にありました。
「――――私は絶対に負けませんよ。運命がどうであろうと、全てを薙ぎ倒して、全てを手に入れる…………それこそがこの〝姫ノ宮桃〟なのですから」
決意と共に自ら言い聞かせるような台詞を吐いた私は彼の方を振り返る事なく歩き出します。
何が待ち受けていようと、恋する乙女は誰にも止められません。
近い将来、そのいつか……秘めたるこの想いを遂げるその日まで。
これにて前日譚は終わり。
恋する怪物は目的のために全てを蹂躙し、突き進む。
しかし、進む道に待っているのもまた怪物……ここから先は怪物同士が食らいあう人外魔境へ舞台が変わる。
そして学園という巨大な敵も未だ健在。
目的地はまだ遠く、彼女の行く先は死地にも等しい茨の道……されど、〝姫ノ宮桃〟は止まらない。




