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嘘1

 翌日の午後。僕は病院で保険証を出し、支払いの差額を受け取り。

 今度は、驚かなかった。

 麦わら帽子を被った松嶋さんが、そこにいた。




「もう、体調は平気?」

「大丈夫です」


 ほら、この通り、と下手なボディビルダ―のようなポーズをとると、彼女は小さく笑った。

 そして、少しだけ強張ったような表情で、言った。


「ストーカーみたいな真似をしてごめん。改めて、説明させて欲しいです」


 僕が運ばれた病院は、大学からほど近い。

 二人でゆっくり歩きながら、本部キャンパスの正面にある、大講堂へと向かった。

 講堂時計台前の大きな欅の下の階段に腰掛けると、直射日光が遮られて幾分涼しい風が吹き抜ける。僕はさしていた日傘を閉じた。

 ここ、妙にひんやりしてますよね、と言うと、


「心霊スポットだからね」

「え」


 はい、どうぞと、途中のカフェで買ったアイスコーヒーを手渡される。料金を払おうとしたけれど、彼女は頑として受け取ろうとしなかった。


「ここ、前から好きなんだ、わたし」

「……心霊スポットなのに?」

「やだな、嘘だよ。本当はね」


 ――よく来たんだよ。あなたと。

 松嶋さんは、確かにそう言った。


「え?」

「嘘じゃないよ、これは。嘘だったことに、できたらきっとよかったんだけど」


 アイスコーヒーを一口飲んで、彼女は小さく息を吐く。


「でもね、嘘にできなかったの。どうしても。――わたしが」


 そう言うと彼女は目を伏せた。長いまつ毛の影が目元に落ちる。

 目尻が少しあからんでいるように見えるのは、

 ……泣いている?


「ねえ。もう、多分、思い出し始めてるよね」

「――」

「わたしもなの。思い出した」


 何を。

 何を思い出し始めているって言うんだ、僕が。

 違う違う違う、あれは夢だ、夢でしかない。

 だってそうでなければ。

 僕は。

 彼女は。


「ごめんね。わたしのせいで」


 ――また、やり直させてしまった。

 泣いている。僕の前で。


「ごめんね。城谷――櫂くん」


 彼女が。


『櫂くん』


 泣いている。

 誰よりも愛しい、彼女が。

 その瞬間。

 全ての記憶が蘇った。






 覚えているのは「最初」の「最後」。

 あの飛行機で、僕たち二人が事故死した瞬間だった。

 あの時に確かに僕は祈った。


「彼女との出会いを消してくれ」

「出会いを失くすために、出会う前に戻してくれ」


 そして毎回戻される。「出会いの直前」の場面に。

 彼女の死によって、全てがリセットされて。




 そうだ。「戻ってきた」のはこれが最初じゃない。

 何度も繰り返した、彼女の死を回避するために。

「もう一度」を。

 戻ってくる場所は、毎回あの彼女の帽子が飛ぶシーンだった。

 その帽子を無視しても、拾わなくても、逆に拾って渡しても、どうしてもその後彼女とは巡り会ってしまう。学校の般教で。バイト先で。コンビニで。書店で。学食で。

 どれだけ避けても、必ず巡り会わされて、

 そして必ず彼女が事故で死ぬ。僕らが結婚してから三年目の晩夏に。

 線路に落ちて、車に撥ねられて、工事中の鉄骨が降ってきて、マンホールの蓋が爆発で噴き上がって、落雷で感電して、プールで排水溝に吸い込まれて、山で遭難して。

 その度に、僕の意識だけが、後に残される。


「結婚してから三年目の晩夏に死ぬ運命」が変えられないなら、結婚をそもそもしなければいいのではないかとも考えた。けれどその時は、結婚をしないまま付き合いだして七年目の晩夏に、彼女はやはり死んだ。

 ならばと、何がなんでも彼女と付き合わないようにしてみたことも何度もある。こっぴどく振ってみたり、知り合いに頼み込んで別の彼女がいるふりをしたこともあった。彼女から逃げ回り、なんなら日本からも離れるようにして。さらには彼女が別の男と結婚した、その式に長年の友人として参列した時もあった。  

 どれだけ心が傷もうとも、彼女が死ぬのを見るよりはよほどマシだ。そう思っていた。

 それでも。どうしても彼女が死ぬ運命は変わらなかった。アメリカで暮らす僕の元に、日本人の乗客が多数乗った飛行機の墜落事故のニュースが飛び込んできたとき、死亡者リストに彼女の名前を見つけて、僕は絶望した。

 そして。

 そうやって「僕が彼女の死を知った」瞬間に。

 時間は巻き戻る。あの出会いの直前に。

 さあ、どうやって彼女を守る。

 そう、神様から嘲笑されているような気がした。

 覆らない運命を覆すことに、何度挑めば僕の気が済むのか、試されているように思った。

 信じたくない。でもこれは紛れもなく。

 せっかく彼女が手渡してくれたコーヒーが、手から滑り落ちた。

 ぱしゃん、と小さな音を立てて、僕の足元に水溜りができる。

 コンクリートが吸い込みきれなかった液体が、階段をゆっくり伝わって落ちていく。

 両手で頭を抱え、その場でうずくまる僕の隣で、彼女はそっと口を開いた。


「――それから、あなたは何度も自殺しようとした。自分が先に死んで、わたしとの未来を作らなければ、わたしの死ぬ人生を変えられるんじゃないかって。でも」


 そうだ。彼女が死ぬ前に僕が自殺すれば、僕の方が彼女より先に死ぬようにすれば、何か変わるかと思った。けれど、首を吊った時はロープが切れ、薬を飲んだ時は見事に吐き戻し、樹海に迷い込むつもりでしっかり観光客に保護され。他にもビルから飛び降り、電車へ飛び込み、なんでもやった。でも、どうやっても僕の自殺は成就しなかった。大した怪我すらせず、まるで自殺しようとしたことすら最初からなかったかのように、全ての危険が静かに波が引くように、僕の周りから回収されてしまった。

 さっき見た夢は、その何回挑戦したのかもわからないうちの、多分どれかの記憶の一部だ。


「嘘だ……」


 いや、嘘じゃない。それは僕が、一番よく知っている。

 もう、繰り返したくない。

 何度もそう思った。

 彼女が近い将来、必ず迎えてしまう辛く苦しい死を。自分の、あのたった一回の馬鹿な断末魔の願いのために、何度も味わわせて。僕は、彼女を一体どうしたいのだろう。

 これでは僕は、彼女にとってただの死神でしかないではないか。

 でも。

 僕は、この繰り返しを止める術がわからない。

 彼女を誰に託しても、彼女の人生に極力僕が関わらなくても、彼女は必ずあの日に死ぬ。そして時間も巻き戻る。

 だったら、少しでも、彼女をあの日まで、幸せな気持ちで過ごさせてあげることが、僕の取れる唯一の責任ではなかろうかと考えたこともあった。でも違う、そんなのは責任の取り方でも何でもない。ただの逃げだ。彼女を守ることを放棄した、そんな僕の情けなさが挙げた最悪の言い訳だ。

 ここまで思って。


「……え、なんで……?」


 思い出した。もう一つのこと。

 これまでの繰り返しの中で、彼女が、松嶋さんが。

 その「繰り返しの事実を知っていた」ことなど、一度もなかったはずだ。

 なのに、今回はなぜ。


「――ごめんね」


 思わず顔を上げて、彼女の方を見る。

 彼女は、僕のことをまっすぐに見つめていた。


「本当はね、()()()何も言わずにあの日まで頑張ろうと思った。知ってたの。わたしのために、あなたが何度も何度も人生をやり直して、何とかしてわたしを生かそうとしてくれていたこと」

「知って……?」


 知っていた? 「今回も」?

 ならば、あの時も、あの時も、あの時も。

 必ずあの日に「自分は死ぬ」と、彼女は知っていた?

 それはつまり。

 僕は、ただ彼女に死ぬ運命を繰り返させただけじゃなくて。

 迫り来るその日に、恐怖を感じながら生きることを何度も強制していたと言うことに他ならない。

 


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